山と雲海 4

 ジミ子が動画の撮影の準備を終えると、僕らは大地を蹴り、雲の海へと空飛ぶ自転車を漕ぎ出す。


 澄んだ空と、うねりながら流れるように移動する生き物のような雲。その上を自由に走り回る。

 雲の上を移動する。そんな子供の頃に思い描いた夢の一つが、現実となった。


「最高!」「素敵」「絶景だ!」「気持ち良い!」


 声が思わず口から漏れてしまう。

 空と雲とそびえ立つ山々。自転車から見渡す風景は、まるで山水画の世界に迷い込んだかのようだ。



 夢のようなサイクリングを楽しんでいると、向こう側から、巨大な雲の塊がやって来た。

 先頭を行っていたヤン太が、振り返って僕らに叫ぶ。


「やべぇな、避けるか」


「避けられるもんじゃないでしょう。突っ切るわよ!」


 ミサキが真っ直ぐに雲に突っ込んで行く。無謀にも思うが、たしかに避けられるような大きさではなかった。突っ込む事に躊躇ちゅうちょして、その場に止まっていた、僕とジミ子とキングも、すぐに雲に飲み込まれた。



 子供の夢に出てくる雲は、ふわふわで綿のようなイメージだが、現実は湿気をタップリと含んだ、重たい霧だ。中に居るだけで、まとわりつくように濡れていく。


「何もみえないぜ」


「ミサキはどこ行った?」


 キングとヤン太が大声で叫ぶ。

 すると、かなり先の方から、


「こっちにいるわよ~」


 という声が聞えてきた。


「今、そっちに行くから待ってて」


 僕は力いっぱい叫ぶと、声が聞えた方へと自転車を進める。



 僕はみんなの最後尾から後を着いていく。2~3メートル離れたジミ子は見えるが、5~7メートル離れたヤン太とキングは、時々、雲が濃くなると見えなくなる。


 周りがほとんど見えないので、時々、声で位置を確認する。

 距離感がよく分らないが、何となく50メートルぐらい進んだ所でミサキが待っていた。


「すごく寒いわね」


 防水のパーカーを着ている僕でさえ寒いのに、防寒服を一切、身につけていないミサキは震えていて、ものすごく寒そうだ。



 真っ白い世界の中で、ヤン太が、みんなから意見を聞く。


「これからどうする? 何も見えないぜ」


「とりえあず、どっちかに進みましょうよ。雲を抜けるかもしれないし」


 ミサキが提案するが、それはちょっと難しそうだ。


「うーん、雲の切れ間があれば、そっちへ向っても良いんだけど」


 僕は辺りを見回すが、分厚い霧の壁に囲まれていて、太陽の光は全く感じられない。


「はぐれたら大変だし、もうちょっと様子を見ましょう」


 ジミ子に言われて、僕らはしばらく待機する事にした。



 何もせず3~5分ぐらい経っただろうか、山頂に近いこの場所は風がかなり強く、空中で制止していても周りの霧の塊がどんどん流れて行く。これはこれで、異世界に居るような不思議な感覚で、面白い。


 やがて時間がすぎて、レンタルサイクルの時間終了の表示が現われた。


『レンタル終了の3分前です、矢印に従って戻ってきて下さい』


 霧の中に光の矢印が現われ、僕らはそれに従って、ロープウェイの山頂の駅へと戻った。

 ナビゲーションの矢印がなかったら、雲が晴れるまでは、僕らはあの場所に足止めされていたかもしれない。



 空飛ぶ自転車を返却するとき、受付の人が驚いた様子で声をかけてきた。


「そちらの方は大丈夫ですか?」


「ハ、ハイ、ダ、大丈夫デス……」


 ミサキがガチガチと歯を鳴らしならが答える。

 確かに端から見れば、唇が紫色に変わり、全身が濡れてガタガタと震えているミサキは、あまり大丈夫には見えない。


「タオル持ってきますね。カフェテリアにストーブがありますので、そこで暖を取って下さい」


 タオルをいくつも渡され、僕らは濡れた子犬を拭くように、よってたかってミサキから水分をぬぐい取る。そして、カフェテリアへと移動した。


 カフェテリアは清潔で、かなりオシャレだった。

 窓が大きく、天井の高い開放的な空間が広がる。

 部屋の中心にはまきストーブがあり、僕らはそこで暖を取る。


 まだ震えが止まらないミサキを横に、ヤン太が感想を話し出す。


「いやぁ、寒かったな。特に雲に入った後は寒かった」


「そうだね。太陽の光が無くなったのと、あと、雨の中に居たのと同じだから、気温がやたらと低かったよね」


 僕がそう言うと、キングがスマフォの時計を見ながら答える。


「20分間のレンタルサイクルのうち、10分くらいは雲の中に居たな」


「動画を撮ったけど、半分は雲の中で使えないかもね」


 ジミ子がちょっと愚痴を言う。まあ、でも、天気に関してはどうしようもない。仕方が無い事だろう。

 窓の外を見ると、先ほどの雲の塊を抜けたのか、もう青空が広がっていた。山の天気は本当に変わりやすい。



 ミサキの震えが、ようやく収まってくると、こんな事を言い出した。


「ツカサ、ソフトクリームおごってくれるって言ったわよね?」


「うん、言ったけど、この状況で食べるの? 温かいコーヒーとかにしない?」


 震えは収まったものの、まだ、とても大丈夫な状態には見えなかった。

 しかし、ミサキは力強く言い切る。


「ソフトクリームが良い! ソフトクリームが食べたい! 私はソフトクリームを食べる!」


「……まあ、そこまで言うんだったら、ソフトクリームを買ってくるよ」


 僕はソフトクリームを買い、それをミサキに与える。すると、紫色の唇でそれを食べ始めた。相変わらず食べ物への執念は凄い。



 この後、僕らはカフェテリアから外を眺めて、ゆっくりとした時間を過ごす。

 しかし、しばらく見ていると、再び雲に覆われて、何も見えなくなった。


「おっ、気がついたら20分ぐらい経ってるぜ。そろそろ下に戻るか?」


 キングがスマフォを見ながら言った。するとミサキが反論する。


「もう少し待ってみましょう。また晴れるかもしれないし」


「それだと、食い放題の果樹園で、桃を食う時間が無くなるぜ、それでも良いなら」


「ロープウェイを降りましょう、今すぐ」


 ミサキが話を遮って、僕らは下山する事となった。



 この後、僕らは果樹園に寄り、ちょっとだけ温泉に浸かり、丁Rていあーるの18切符でのんびりと帰路に着く。

 途中、ゆっくりと色々な場所に寄ったので、地元の駅に着いたのは夜の10時30分を超えた頃だ。

 もちろん、一番時間が掛ったのは、果樹園での桃の食べ放題だった。誰かさんは30分くらいは食べ続けていた気がする。


「じゃあね」「また明日」「バイバイ」


 別れの挨拶をすると、ヘトヘトになった僕らはそれぞれの家に向う。



 後日、ジミ子がこの時の動画をYOURTUBEユアチューブに上げる。

 動画の時間は25分あまり。後半の雲に覆われた部分はカットするか悩んだが、結局、そのまま上げてしまったらしい。


 キングはトゥイッターで、この動画の事をつぶやいたので、少しはアクセス数が稼げたようだが、広告料にすると500円くらいだったらしい。ジミ子が「安すぎる、割に合わない」とぼやいていた。



 ジミ子の上げた動画をネットで見ると、感想欄にコメントがけっこう付いている。


『この子、美人だな』

『アイドルかモデルか?』

『キング様が、天使のようだ』


 大半はキングに対してのコメントだが、中にこんなコメントが混じっていた。


『山をなめるからこんな事になるんだ』

『この子、無謀すぎる』

『やっぱり夏でも防寒着は必要だよな』


 おそらくミサキに対してのコメントだろう。



 この動画を上げてから、しばらくすると、『登山は計画的に』という政府広告のポスターに、ミサキの写真が使われた。おそらく姉ちゃんの推薦だろう。

 全身が濡れていて、紫色の唇で震えている様子はインパクトがあり、ネットの世界では、ちょっと話題になった。

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