格安の宿 5

 僕らは大きな『離れ』の部屋へと案内された。


 荷物を置くと、僕らはすぐに次の行動に移る。ヤン太が時計を見ながら言う。


「今は……4時か。せっかくだから風呂に行かないか? だいぶ汗をかいたし」


「そうね、サッパリしたいわね」


 畳の上でゴロゴロと転がりながら、ミサキが返事をする。

 僕がクローゼットの中を確認すると、人数分のタオルと浴衣が用意されていた。


「ちゃんとアメニティが用意されているよ」


 僕がみんなにタオルを配ると、ジミ子が感心しながら言う。


「格安の宿だから、無いと思ったのに付いているのね」


 宿屋のタオルはかなり厚手でしっかりとした物だった。とても安宿とは思えない。


 この離れにはバスルームも着いているが、やはり温泉地に来たからには大浴場に行くべきだろう。

 旅館の案内図を確認して、僕らは大浴場へと向う。



 大浴場に着くと『女湯』『元男湯』と、のれんが掛かっていて、その横に『あくまで目安であって、強制ではありません』との説明文がある。

 女性しか居なくなった現在では、男女の垣根かきねが完全に無くなって、どちらの浴室に入っても構わないはずだが、僕らは目安に従い、別れて入る事にした。


 更衣室で服を脱ぎ、洗い場で良く体を洗う。

 僕らは元男子同志だが、お互いの体は直視できない。自分の体で慣れてきたとはいえ、やはり女性の体は刺激が強すぎる。



 大浴場の浴槽は、内風呂が二つ、露天が二つあるが、それぞれはあまり大きくは無い。一つの浴槽に入れるのは、せいぜい10名くらいだろう。人が多ければ狭く感じるかもしれないが、時間帯がたまたま良かったのか、他に客は居なくて僕らの貸し切りだった。


「せっかくだから露天風呂の方へ行こうぜ」


 ヤン太に言われて僕らは外へと出る。


 キングが二つある露天風呂の浴槽の一つに、片足を突っ込んで、急いで引き上げた。


「あつっ、ちょっとこの露天風呂、熱すぎるな」


 僕がもう一つの露天風呂に手を入れてみる。


「こっちは、そうでもないよ。ちょっとぬるいくらい」


「じゃあ、そっちに入るぜ」


「俺は熱い方が好きだから、こっちに入るわ」


 キングと僕はぬるい方へ、ヤン太は熱い露天風呂へと入る。


 肩までお湯に浸かると、疲れが全身から溶け出していくようだ。うるさく鳴いている蝉の声も心地よく聞えてくる。


「良いところだな」


 ヤン太が周りに広がる木々をながめながらつぶやく。

 キングが大きく伸びをしながら言う。


「また、ここに来てもいいな」


「そうだね。でも、これだと、やたらと安いのが気になるけど……」


 僕がそう言うと、ヤン太がこう答える。


「まあ、これだと、どんなに酷い晩飯が出ても文句は言えないな」


「そうだね、文句は言えないね」


 リラックスしながら、のんびりとそんな話をしていると、垣根かきねの向こう側からバシャバシャと音が聞えてきた。その直後にジミ子の声が聞える。


「ほらミサキ、誰も居ないからって泳いじゃダメ!」


 どうやらミサキが泳いでいるようだ……

 本当に晩ご飯が酷くても、僕らは何も文句は言えないだろう。



 露天風呂を十分に楽しみ、僕らは離れへと戻った。

 部屋に戻ってくる途中、自販機で買ったフルーツ牛乳を飲みながら、チャンネル数の少ないテレビを入れて時間を潰す。


 6時近くになると、仲居さんがやってきて、僕らにこう言った。


「そろそろご夕食です食堂へ移動して下さい。食事中に、こちらに布団を引かせてもらいますが、どのような配置で引きますか?」


 この離れは、10畳の部屋が二間ある。今は全員女性だが、ここは分けた方が良いだろう。


「元男子と女子は部屋を分けた方がいいよね?」


「そうだな。すいません3人と2人で布団を引いて下さい」


 ヤン太が言うと、仲居さんは深くおじぎをしながら答える。


「分りました。そのように致します。お食事へどうぞ」


 僕らもおじぎを返すと、みんなで食堂へと移動を開始した。



 長い渡り廊下を通り、入り組んだ旅館の中を僕らは食堂へと向う。


 食堂に着くと、受付に声をかけ、部屋の名前が書かれたテーブルへと案内される。

 テーブルには人数分のお膳があり、食事が用意されていた。


 値段が安いので、酷い食事かと考えていたが、周りを見ると他のお客さんと変わらないようだ。


 イワナの姿焼き、山菜のおひたし、味噌汁、漬物、刺身こんにゃくの盛り合わせ。他には小さな固形燃料の鍋があり、中には豚肉の朴葉焼ほおばやきが入っていた。


 宿の従業員さんが、固形燃料に火を付けながら言う。


「ご飯はおかわり自由なんで、足りなくなったら言って下さい」


 おひつに入ったご飯を置いて、他のテーブルへと仕事をする為に移っていく。


 ホテルや旅館であまり食事を取った事は無いが、これは高校生の僕らには十分に豪華な食事だった。


「「「いただきます」」」


 挨拶を済ませると、僕らはご馳走を食べ始める。

 味噌汁など、ちょっと上品な味で塩気が足りない気がしたが、この食事は十分に美味しい。

 川魚のあっさりとした身と、味噌味の豚肉でご飯が進む。ミサキはご飯を口いっぱいに頬張り、おひつごとおかわりをした。

 酷い食事を想像していたので、なおさら美味しく感じる。


 お腹いっぱい食べた僕らは、満足して自分の部屋に戻った。



「ふーう。ご飯、美味しかったね」


 ミサキが引かれた布団の上に寝転びながら言う。


「そうだな。この値段で、このサービスは最高だな」


「3200円なんて、ありえない値段だわね」


「また来年もこようぜ」


 ヤン太もジミ子もキングも大満足だ。


 布団の上で、だらけながらテレビをつける。

 すると、すぐにミサキから寝息が聞え始めた。時刻はまだ7時30分、寝るのには早すぎる。


「ミサキがもう寝たみたい、どうしよう?」


「放っておけば良いんじゃない? 今日は疲れただろうし」


 ジミ子に言われ、僕らはそのまま放置する事に決めた。



 明日の帰りはどうしようかと、相談していると、カタリと音がして、壁に展示してある、山の風景の写真のパネルがズレた。


「なんだ、風か?」


「僕が直してくるよ」


 外から心地よい風が入ってくるので、窓は開けっ放しだ。

 風に吹かれて、たまたまパネルがズレたのだろう。


 僕が近寄り写真のパネルを手に取る。すると、パネルの後ろの壁に、なにやら紙が貼ってある。

 その紙は、横10cm、長さ25cmほどで、達筆の文字で何かが書かれていて、大きな朱色のはんこが押してあった。おそらく何かのお札だろう。

 お札は、何が書かれているか分らないが、かろうじて読める漢字をひろっていくと『悪霊退散あくりょうたいさん』と、読めなくも無い。この部屋がなぜ格安なのか、僕は理由が解ってしまったかもしれない……

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