第二話 天子様
「
まだ測量技術も確立していない時代ではあれど、人々は当然のように天羽を鳥の姿に例え、各地の特色を述べてきた。
首都、
「左翼平原の主要都市は
そう、穏やかな声で話しているのは天子様だ。日が昇り切らぬ午前のこと、
天子様は御歳四十。大柄な体格と裏腹にどこか憂いを帯びた瞳が印象的な御方だ。国主といえど、神苑に来る時はあまり着飾らず動きやすい平常衣で訪れる。それでも、爽やかな
「一番北の、尾の部分はどうなっているのでしょうか?」
燈が天子様に尋ねる。その顔は真剣そのものだ。彼女は天子様と話すこの時間を何よりも楽しみにしている。
「北の地は酷く寒いため、人が居着かず鋭く短い常緑の葉が茂る木々が立つばかりと聞く。昔は人も住んでおり、舞う雪が綺麗な場所として有名だったが、皆南の地に移住してしまったそうだ」
天子様の言葉を聞いて、燈は目を細め夢見るような表情でその光景を想像した。瑞希は年中比較的温暖な気候で、雨は多いものの雪はあまり降らない。極寒の地に舞い降りる雪とはどのようなものだろう。そんなことを考えるだけでわくわくした。
一方、こうして燈が天羽について色々聞いている時、
「
不意に、天子様が燈を呼んだ。燈は真っ直ぐに彼を見てはい、と返事をする。
「少し早いが、余はそろそろ戻ろうと思う」
燈はそっと外を伺った。まだ太陽は天頂には程遠い。確かにいつもより少し短い訪れだったが、お忙しい身、何か大事な用事でもあるのだろうと、深くは聞かずに微笑んだ。
「分かりました。お話して頂きありがとうございました」
「詠姫」
お見送りしようと立ち上がった時、天子様がもう一度燈を呼んだ。
「はい、何でしょう」
燈が顔を上げると、天子様はいつになく真剣な顔をしていた。いつもの穏やかな笑みが消え、濡れ羽色の瞳が真っ直ぐに燈を見つめる。
「ひとつ、余の頼みを聞いてはくれぬだろうか」
頼み? 燈は目を丸くした。天子様にそんなことを言われたことは今までで一度もない。
戸惑う心のまま頷く。天子様は真剣な表情を崩さない。
「頼みというのは、余のふたりの皇子のことだ」
天子様には二人の皇子様がいる。兄皇子は東の御方の息子、
「ふたりは、母は違えど共に余の息子であることには変わりない。妃同士が仲が悪いので仕方がないところはあるが、余も父として兄弟で仲良くやってほしいのだ」
燈は天子様の言葉に深く頷いた。天子様の願いは分かる気がした。燈に兄弟はいない。けれども、もし兄弟がいたとして、彼らとの仲が悪いとしたら、それはとても寂しいことのように思うから。
けれど、天子様が燈に二人の皇子のことを頼むとして、燈に何ができるというのだろう。未だ腑に落ちないものを感じていたが、続く天子様の言葉ではっとした。
「余は、詠姫のことも実の娘のように思っている。だから、少しでもいい。父を助けると思って、息子たちを仲良くさせるために何か考えてはくれないか」
なるほど、と思った。きっと、天子様は燈に相談がしたいのだ。そのために燈に少し考えて欲しいと言っているのだろう。
納得すると同時に、燈はとても嬉しい気持ちになった。それは、天子様が燈を娘のように思っていると言ったことだけではない。もちろんそれも恐れ多くも大変嬉しいことではあるが、何より、天子様のために自分にできることがあるというのが嬉しかった。いつも様々なことを教えてくれる優しい天子様。けれど、いつもどこか憂いを帯びた彼のために、燈ができることなど何もないと思っていたから。
「もちろんです! 私にできることがあれば何でも致しますから」
燈がそう言って微笑めば、天子様も安心したように柔らかな微笑を返してくれた。
「ありがとう」
最後にそう囁いて、天子様は神苑から去っていった。
*
「何か、今日の天子様変だったな」
天子様が帰ってすぐ、部屋に入ってきた疾風は開口一番そう言った。
確かに、今日の天子様はいつもとは違っていた。頼みごとをするのも、その時の射抜くような真剣な表情も初めて見るものだった。
疾風は何やら興味津々な様子でうずうずしていたが、燈は緩く首を振った。
「あまり詮索するものではないわ。私たちに言えないことも多くおありでしょうし」
もともと詠姫は、あまり政治の表には立たないもの。お話を聞いているので多少の知識はあるものの、あまりに難しいことはぴんとこない。それでも、国の一番上に立つ天子様が極めて難しいことを多く抱える立場であることも、それ故燈に話せないことも沢山あるのだろうということも何となく察していた。
「それでも、燈にできることはしたいって思ったんだろ?」
疾風の言葉に、燈は大きく頷いた。それはもちろんだ。燈にできることは少ないけれど、天子様のためにできることがあるのならば何でもしたいと思う。あの憂いを取り除けるというのなら、どんなことでも。
それは、拾ってもらった恩返しというより、もっと深い、尊敬とも親愛ともつかない深い情に近い思いだった。あるいは燈も、天子様を父のように思っていたのかもしれない。僅かな記憶すらない実父の代わりに、偉大で優しい父のように。
皇子様を仲良くさせる方法なんてこれっぽっちも思いつかないけれど、「考えて欲しい」と言われたからには考えないといけないだろう。燈は疾風を見てにこっと微笑んでみせた。
「疾風も一緒に考えてね。天子様のお願いなんだから」
「何にも思いつかないけどなー」
疾風はそう言って、ちょっと苦笑しながらも頷いてくれた。
二人で考えれば、ひとつくらいは妙案が思いつくかもしれない。それで、天子様に喜んで頂けたなら、それはどんなに嬉しいことだろう。燈は次に天子様と会えた時のことを思って、期待に胸を躍らせた。
この時はまだ、ほんの些細なことで忘れるような違和感があるだけで、普段と変わらない幸せな日々であることを疑いもしなかった。
しかし、時間は酷く無情にも過ぎていく。
天子様が亡くなったとの知らせが届いたのは、その翌日、まだ日も明けきらぬ頃のことだった。
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