第六十六話 クリスの運命
ノルド軍が攻めてくるかもしれないとは言っても、いつ来るのか、本当にくるのか、分からない以上、普段の生活はいつも通り営まれていく。
ノルドが来るから学校はお休み、とはならない訳だ。
戦争の火が目の前まで来ているのに、教室の中は昨日と同じいつもの空気が流れている。
「こんなんでいいんですかね〜」
「まあ、仕方ないんじゃない?今は噂程度でしか無いんだし、準備もしてはいるんだしね」
「こういう漠然ととした不安が一番嫌ですね〜。来るのか来ないのかはっきりして欲しいですよ〜」
そんなこと言ってたら本当に攻めて来ちゃうよ?
「なあ、おい、お前の仕業だよな?昨日のあれは」
もう少し具体的な言葉を入れて欲しい。
漠然としすぎて何を言ってるのかわかんないよ、クラウディウス雷野郎くん。
一応、戦場に共に行く仲間だから、なんとかして名前を覚える努力とかしてみようと思うんだ。
情報操作スキルで記録はしているから、忘れなくはなったけど咄嗟の時に名前が出てこないのは戦いの最中は危険だからね。
ただ、やっぱり貴族の名前は覚えづらい。家名も名前も長ったらしくて、発音もしづらい。
エルツ族とか魔物は覚えやすいのに、なんで人族のしかも貴族って言うのは、やたらと格式張った名前を付けたがるんだろうか。
「クラウ。何のことだかさっぱりだけど、多分それは僕だよ」
「待て。お前に愛称で呼ばれるのは虫酸が走る。家名で呼べ」
「呼びづらいし覚えられないからやだよ」
「な、何を、我が誇り高きツェーリンゲン家を呼びづらいとは無礼な!俺の父はノインの冠だぞ!」
「クラウのお父さんは偉いかもしれないけど、別にクラウ本人はただのクラスメイトだろう?これくらい普通だぞ?」
僕も家名を覚えたくなくて必死だ。
でも、クラウ、ならもう覚えたぞ。
覚えるのに半年かかったけど。
「くっ。それなら俺もお前の事をリ、リンと呼ばせてもらう!いいな!」
ええええ、やだなぁ、でも、ここで断ったら大人気ないか。子供だけど。
「まあ、いいか、よろしくな、クラウ」
「あ、ああ。リン」
きゃあああ
なんで今度はこいつとの会話で黄色い声が上がるようになるんだよ。
(見つめあって、名前で呼びあったわ!)
(クリス王子とどっちを取るのかしら)
(取り合いになるのね?奪い合いね!)
もうやだ。
やっぱりこいつとは出来るだけ関わらないようにしよう。
他のチームメンバーもほとんどの人が2つレベルが上がったみたいだ。
先輩たちは分からないけど、元のレベルはそれほど変わらないから、多分同じくらいだろう。
「あの、、、リーンハルトくん、どうしよう」
「リーカ?どうしたの?」
「昨日のアレ。リーンハルトくんにしてもらったら、その、えっと、、、恥ずかしい、、、、」
ざわざわ
「何をリーカは言い出すのかな?昨日のって、レベル上げの事かな?ちゃんとはっきり言わないとダメだよね」
「痛い痛い!ツムジをグリグリしないで!そうですぅ!レベル上げの時の話ですぅ」
「フゥ。全く最近誤解される事が多いんだから、気を付けて欲しいな」
「誤解じゃない事の方が多いですけどね、ああ、痛い痛いーごめんなさいぃ」
またこんな事をしていたらロルフに恨みがましい目で見られたじゃないか。
と言うよりちょっと涙目だった。ごめんなさい。
「それで?レベル上げの時にどうかしたの?」
「私、レベルが上がっちゃいました」
「まあ、そうだよね。その為に昨日リュリュさんと手合わせしてもらったんだから」
「そうじゃなくてですね!えっと、その、ゆ、の付くものに一歩近づいてしまったんですけど」
はっ!しまった!勇者か!
リーカの勇者になる為の条件がレベル6になるって言うのがあったんだった!
一度、部隊から外しておくとかやりようはあった筈なのに、すっかり忘れてた………。
「ま、まあ、あとはラーシュ写本のまだ見ていないページをもう見ないようにすればいいんだし。まだ、何とかなるよ」
「今日の午後の授業『写本を読もう』ですよ?」
「目をつぶっていればいける!」
「私、先生に怒られないですかね、、、」
午後の授業、『ラーシュ写本を読もう』の時間になった。
リーカはあと一手で勇者になってしまう、チェック状態だから、この時間は目を瞑るか視線をずらして何とか凌ぐしかない。
まだまだこの授業は今後何回もあるから、この方法を繰り返して、勇者になるのを阻止するしかない。
参ったな。
リーカから勇者の運命を引っこ抜けないものかな。
引っこ抜けてもそれを何処に置いておくか、と言う問題もある。
流石に運命をその辺に捨てるわけにはいかないし、、、というかそういう物みたいな扱いができるんだろうか、運命。
「ああ、、、、王子、、、授業で使うから写本を返してもらえるかな、、、」
「はい。それと、これは、写本を書き写したものです。出来るだけ見ないで意訳してから書いたので、正確ではないですけど読めないところは無くなってます」
「ほほう。これは、、、、ふむ、、、よく書けているな。読みやすくなっているし、なにしろ暗号化されていないのがいい!書かれている本来の意味からも大きくは外れていないから、これなら誰でも読めるようになるかもしれんな」
おお。クリス頑張ったな。
休み時間とか他の授業の時にもやってたもんな。
「さて、こちらがラーシュ写本の方だが、このクリストフォルス写本とも言うべきこちらの写本も皆は読んで見た方がいいだろう。今まで全く読めなかった者も、一部だけしか読めなかった者も、こちらなら全て読めるはずだ」
なんと、早速授業の教材に使われているぞ!
すごいぞクリス!
皆んなの所にクリス写本が回ってくる。
僕の所にも来たから見てみると、キレイな字で丁寧に書かれているから読みやすいと言うのもあるけど、言葉選びとか文の組み立てがとても上手だ。
だから、内容がすんなり頭に入ってきて、理解しやすかった。
いやまて、これも写本の一種なのか?
それだと、これもリーカが読んだらダメなんじゃないの?
リーカを見ると既にクリス写本を読んでしまっていた。
「リーカ。読んじゃった?」
「はい。あ!これ、、、ダメなんですかね?」
「ど、どうだろう。ステータスは?」
「ああ!見てみます!……………あれ?読んだことになってないですね。写本の写本の写本だからでしょうか」
「長いな。クリスのは意訳だからかな。暗号化されてるものじゃないといけないとか?」
まあ、とにかく条件をクリアしていなくて良かった。
「あ、あああ、あがああ!!」
なんだ?クリスが頭を抱えて苦しみだした。
「クリス?どうしましたの?頭が痛いのですか?」
「フリーデ、クリスに何があったの?」
「わかりませんわ!いきなり苦しみだしたのです!」
クリスは椅子からも転げ落ちてしまい、痛みからか体を震わせている。
「クリス!大丈夫?何か痛いんなら回復魔法を掛けるよ?いい?やるよ?」
「うがががああ!!」
声を掛けるけど、クリスまで届いていないようだ。
仕方ないまずは痛みの軽減だ。
「リーフデの癒し」
ダメだ。依然クリスはのたうち回っている。
「ヴェルフリッシングの種。レーベンの泉」
傷じゃないとすれば生命力か体力か。
と思って掛けてみたけど、どっちも効果が出ない。
何が原因なんだ?
「はあはあはあ。ふう、、、」
お?急にクリスの息が整ってきた。
治ったのか?
「クリス?平気?」
「ああ、心地よい」
すっと立ち上がると、僕の事を見下ろして、ふっと笑う。
「貴様が勇者だったか。こんな近くに居たとは、上手く仕込まれたものだ」
クリスの雰囲気が違う。
いつものクリスじゃない。
あ、いや、あんまり変わりないんだけど、何か急激に大人になったみたいな違いだ。
と言うよりマナが自然と溢れ出てくる量が半端なく増えている。
「クリス?あなたどうしましたの?痛いのは治りましたの?」
「フリーデ、そう、エルフリーデ・アーレルスマイアー。貴様が触媒だったのだな。よくやってくれた」
「クリス!姉に向かって貴様なんて、いつからそんな言葉遣いを覚えましたの!」
「我は貴様の弟ではない。運命の女神に作られた悪夢の石、魔王オーニュクスだ!」
魔王?!
え?クリスが?
何を言ってるんだ!?
表情も口調も何か違う人のように変わってしまっている。
でも、最も違っているのは髪と瞳の色だ。
髪は青黒くなり、瞳は白目が黒く、黒目がエルツのと同じ銀色になっている。
「リン!本当だよ!この王子が魔王オーニュクスだったんだよ!」
「ベルシュ?どうしたの?ああ、クロか!久しぶり」
「久しぶり!ああもー!すっかり存在を忘れてたわよ!勇者がいるなら魔王もいるのが当然よね!だって魔王になるクエストって勇者とほぼ同じなんだもん!」
「そうなんだ。それで、これってクリスに戻せるの?」
「王子は王子のままだよ。クリストフォルス・アーレルスマイアーのままオーニュクスでもあるの!」
何だそれは。魔王に乗り移られたとか、別人格とかじゃなくて、クリス本人が魔王なのか。
「こうなったら勇者も作るしかないよ!あれ?誰が勇者候補?居ないじゃないの!」
「いるよ。リーカ。この子だよ」
「ふえあうえあ。何が起きてるんですか。王子殿下が黒王子になって、ベルシュさんが馬鹿っぽい話し方になって、どうなってるんですか?」
「私、話し方、馬鹿っぽいの?」
「自覚は無いんだ。とにかくこのリーカが勇者候補だ。リーカ写本を読むんだ!」
「え?え?読んでいいんですか?勇者になっちゃいますよ?」
「勇者になるの!」
「ふええん。読みますー」
リーカが写本に飛びつき読み始める。
どこのページがクエスト達成の条件か分からないから、片っ端から読むしかないだろう。
「この娘が勇者?いや、違うだろう、リーンハルト貴様が勇者では無いのか?」
「いや違うよ、クリス。僕は元勇者候補だ」
「我はもうクリストフォルス・アーレルスマイアーではない。魔王オーニュクスだ」
「それも違うよ!クリス!君はクリスだ!」
多分。
クロの言う事だから、ごっめーん間違えちった、とか言いそうだけど、今はこの目の前の自称魔王が、本質はクリスのままだと信じて行動するしかない。
「クリス!君は今や魔王になったんだと思うけど、クリスでもあるはずだ!なら分かるよね。僕は君の友達だ!そうだよね」
「我は魔王だ、友などいない。我は神に作られた存在。生まれ出でた時からこの世界に悪夢を見せるのが役目。石はただ、その役割に従い光を放つのみ」
魔王クリスはその手を男子生徒の1人にかざすと、何か呪文のような聞き取れない言葉をつぶやく。
すると、その男子生徒はクリスと同じような髪と瞳の色に変わる。
「魔王オーニュクス。あなたの運命に従います」
男子生徒はクリスに跪いて忠誠を誓うかのようにこうべを垂れる。
その他にも何人か男女問わず生徒達を部下にしていく。
「待って、クリス、何をしてるの?」
「このアバターは元々我の配下のものだ。過去に殺された後、人族として再利用されていたのだよ。そこで我の配下を呼び込みこのアバターにねじ込んだだけだ」
なんだよ、クリスだけでも、戦うなんて無理なのに、クラスメイトまで敵になるなんてやりづら過ぎる!
「クロ!どうにかなんないの?」
「あうう、クロさん?は帰られてしまいました。お金がないのが悔しすぎるとおっしゃりながら泣いてました」
くっ。仕方ない。
まだ、クリスは誰かと闘おうとはしていない。
何か変な事をし始めるかもしれないけど、何もしないでいてくれるならそれでいい。
というか、魔王って何が目的なんだ?
「クリス!君は何がしたいんだ?何がしたくて生まれて来たんだ?」
「我に欲望は無い。ただ、運命に従うのみ。我の運命はこの世の全てに悪夢を見せることだ」
クリスが近くにいたロルフの顔に向かって掌を向ける。
それだけで、ロルフはバタッと倒れてしまった。
「ちょっ、クリス何してるのさ!」
「この者のアバターをフリーズさせた。中の者は天の世界に戻り、そこで意識を取り戻しているであろう」
「ええ?それって殺しちゃったの?」
「違う!意識を切り離して、天に一時戻しただけだ!命を奪ってどうする!」
あ、そうなんだ。魔王なのに。
別に魔王だからって残虐非道って訳じゃないのか。
他の人もどんどんと手を向けて倒していく。
命に問題はないと聞いても、こんな風に倒れていくのを黙って見ている訳にはいかない。
「クリスやめるんだ!こんな事をして何になるんだよ!」
「こちらの世界には中の者が増えすぎている。天の世界からこちらに来過ぎているのだ。それを元に戻すのが我の使命!」
「さっきは悪夢を見せる事だ、とか言ってなかった?それに使命じゃなくて運命って言ってたよね?」
「………些細な事はどうでも良い」
うん。やっぱり話が通じない訳じゃ無さそうだ。
というより、中身はクリスのままだよ、これって。
なんか、こう、カッコつけているだけだし、自分の役目を見つけて喜んでいるだけにしか見えない。
さっきまでの、写本を書き写して喜んでいたクリスそのものだよ。
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