第31話 その感情の名前は不明のようです(ジェード視点)

ダニエルがアリスを街に誘ったその後、身支度を整えてから出発する事になった為支度するダニエルに付き添う。

支度といっても衣服をシンプルなものに着替えるだけだ。今回は視察という事であまり目立つ事はないように質素な服に着替えたダニエルに合わせて、私も騎士服ではなく動きやすい普段着へと着替えている。勿論帯刀する事は忘れない。


「どうした、ジェード。眉間にシワが寄ってるぞ」


顔をあげるとダニエルが楽しげに笑みを浮かべていた。

「お前がそんな顔をするなんて珍しいな、何かあったか?」

「………なんでもない」

部屋の外に私たち以外の人間がいないことを確認してから返答するとずいっと顔を覗き込まれる。


「お前がそんな顔をしている時は何か悩みがあるときだ。違うか?」

妹溺愛主義のダニエルに『お前の妹の事だ』なんて言えるわけもないので「話せない」とだけ答える。

「話せないなら無理には聞かないさ。話したくなったらいつでも聞いてやる」

肩をぽふっと叩かれ、いい笑顔を向けられる。その笑顔はやはりアリスと似ている。


「なんだ、そんなに見詰められても私は男に興味はないぞ」

「安心しろ、私もない。万が一あったとしてお前だけはごめんだ」

「気が合うな、私もだ」

そう言ってダニエルは楽しげに笑う。


「……なぁ、ダニエル。もしも…もしもだが……想い人が幼い姿になっていたらどうする」

ぽつりと呟けば軽く睨まれた。

「ジェードが幼児趣味だとは思わなかった。アリスはやらんぞ」

「違う、変な誤解をするな!」

慌てて弁解すれば疑いの眼差しを向けられる。


「例えばの話だ。…想いを寄せていた女性が…再会してみれば小さくなっていた場合、どう行動を起こすのが適切だ?」

「言っている意味がよくわからない」

「だろうな、私もどう説明していいか分からないんだ」

「……想い人が若返った、ということか?」

「そうではないんだが…似たような事だと思ってくれて構わない」

私がそう告げるとダニエルは眉を寄せる。

「それは……また夢物語のような話だな。母上が好みそうだ」

「言うなよ?」

「分かってるって。……そうだな、もしそんなことが起きたとして私なら変わらずに想いを寄せるし、大事にする。仮に幼児趣味と言われても構わないさ、だから気にするなジェード。ただしアリスはやらん」

「だから違うと言っているだろう」


その言葉にダニエルは楽しげに笑いながら部屋を出る。

「例えそんなことが起きたとしても、詰まるところ『自分が相手とどうなりたいか』が大事なんじゃないか?……さて、アリスを待たせているといけない。そろそろ行くとしよう」

「……畏まりました」

廊下を歩き出したダニエルの背中を眺めながら私は彼の言葉について考える。


『自分が相手とどうなりたいか』か…。

私はどう想っているのだろう。


そこで頭に浮かぶのはアリスと以前夢に見た救えなかった女性。あれから女性は何度も夢に現れた。

こことは違う世界で時には一緒に食事をしたり、時には励まされたりといった夢。

その度に夢の彼女へ愛しさが募っていく。そしてまた彼女を失ったことに絶望する。


アリスが階段から落ちそうになり抱き寄せた瞬間、なぜか夢の女性が重なって見えた。

「謝らないで下さい」と言われた瞬間、アリスが彼女であると私は唐突に理解した。雷に打たれたような衝撃と歓喜に胸が震え、気がつけばアリスの前から逃亡していた。

見た目も年齢も彼女とアリスは似ても似つかない、それなのに私の心は『アリスは彼女だ』と叫んでいる。

そして『今度は彼女を助けられた』とも。



…彼女は生きている…!


その事が何より嬉しくて、私は人が来ない物置部屋に飛び込むと口許を覆って嗚咽を漏らした。あんなに情けなく泣いたのは生まれて初めてかもしれない。

それほどに彼女が私のすぐ傍で生きていることが嬉しかった。


それだけで充分なはずなのにアリスに彼女への思いを向けている自分がいるのに気が付いた。それは恋だなんて甘いものではなく一つの執着だろう。

だからアリスの成長をなるべく近くで見ることが出来たらそれで充分だと思い込む事にする。

この気持ちは誰にも打ち明けることが出来そうにない、誰も知らなくていいし知られようものならダニエルに刃を向けられるだろう。それだけは間違いない。


そう思いながら私はダニエルの後を追い掛けた。

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