第18話 宿屋フルム

 チリンチリン、と。


 扉を開けると、俺たちが訪問したことを建物の主に知らせる鐘の音が鳴る。


「いらっしゃーい」


 若い女の声が出迎える。


 見れば受付には、二十代後半の女が居る。


「すみません、二人なんですけど……部屋空いてますか? できれば一緒の部屋で」


「はいはい、二名様ねー。あなたー、お客さんだよー!」


 声に、カウンター奥、厨房なのだろう。そこから一人の男が出てくる。


「いらっしゃいませ。フルムを選んでいただき、ありがとうございます」


 深い一礼に、こちらも簡単ではあるが、一礼する。


「ここは、お二人で営んでいらっしゃるのでしょうか?」


 フードを脱いだゼルシアが女の方に問う。


「あらま! 美人さんだ。

 そうだよ。私たち、夫婦でやってるの。建物はちっちゃいから部屋数は多くないけど、その代わり部屋は大きいから二人一緒でも大丈夫だよ!」


 夫婦でやっているのかー、と周囲を見てみれば、確かに俺たちの他に客は無い。


 俺の様子を見て、察したのか、男の方が、


「自分で言うのもなんですが、お客さんはほぼ来ないので、静かな時間を提供できると思います。ごゆっくりお寛ぎください」


「こら、あなた。それじゃ駄目じゃない! 儲かってないのがばれちゃうでしょ!」


 いや、まあ……とこちらとしては何とも言えない。


「―――って、ごめんね。早く部屋に行きたいよね。ここに名前と、あと御代は先にもらうけどいいかな?」


 問いに頷く。


「一人ヴォル銅貨十枚―――で大丈夫ですよね?」


「あらま、なんでわかったの? もしかして誰かに聞いてきた?」


「ええ。モンドリオという商人の方に」


 俺が出した名に、夫婦が驚きの顔を作る。


「ええ!? モンドリオ兄さんの紹介かい?」


「珍しい。モンドリオの義兄さんは身内びいきしないと思ってたんだけどねぇ」


「―――兄さん、ということは……まさか……」


「あ、はい。モンドリオは自分の実兄です。そういえば名乗りが遅れてしまいました。宿屋フルムの主人、モデルトです。こっちは妻のリンネル」


 はー、なるほど、と俺はゼルシアと顔を見合わせた。


(似てないな、この兄弟!)


 歳、というのはあるだろうが、ひげを揃えたやり手の商人であるモンドリオに対して、モデルトはなんと言えばいいか。人畜無害そうな感じだ。


「お客さんはモンドリオの義兄さんとどういう関係だい? 見たところ、冒険者のようだけど、伯爵様にお仕えしてるあの人と接点なさそうなんだけど」


「リンネル! お客様に失礼だって……!」


「ああ、大丈夫ですよ。実は……」


 簡易的にモンドリオとの関係を説明する。


「そんなことが……、いえ、それよりも兄の命を救っていただきありがとうございます」


「通りがかっただけですから」


 それよりも、今、俺には聞きたかったことがある。


「ここ、朝食付きって聞いたんですけど……近くで食堂とかありません?」


 俺は、腹が減っていた。



●●●



「ここ、水浴び場もあって助かったな」


 翼の水気を魔法で取っているゼルシアの様子を眺めながら俺はベッドに横になる。


 宿屋フルムの客室は、想像していたよりも広く、水浴び場も客室ごとに備え付けられているので、ゼルシアが一々翼を隠すことなく身体を清められるのは良い点だ。


 ちなみに夕食は、追加の料金を払うことで宿の一階でご馳走してもらうことが出来た。


 その味は、


「美味でしたね、モデルト様の料理は」


「そうだなー。あれなら朝食も楽しみだ」


 フルムは客対応や掃除などは妻のリンネルが、料理などはモデルトが受け持って切り盛りしているらしい。


「質は十分。それなのに繁盛していないのは、立地と建築物のせいかね」


「おそらく、そうでしょう。大通りの方、ちらほら宿屋は見られましたが、どこもいっぱいの状況でした」


 耳を澄ませば、外から喧騒が聞こえてくる。


 時刻は、人によってはもう寝る時間だが、それでも騒がしいのはこの町が、地方都市に当たるからだろう。


「―――しかし、今日もなんだかんだで忙しかったなー……」


 朝からこの町に向かって移動し、午後はクエストをこなして、いろいろあって、今に至る。


 今までの人生の中で考えれば、そこまで苦ではない一日ではあったが、それで疲れない、というわけでもない。


「―――この世界に流されてから十日近く。二度目の魔王時代その前から考えてもサキト様はきちんとお休みなられておりません。

 幸い、女神オーディアの追撃も確認できません。油断は禁物ですが、ゆっくりと過ごされては?」


 一度、大きく展開した翼を収納し、ベッドの端に腰掛けたゼルシアが言った。


「そう……そうだな。元々、オーディアの下から外れて休みたいから敵対した訳だし」


 今まで何かを為すのに、とりあえず動く、というスタンスでやってきたため、休むために働く、という状態を続けてきた。


「……ん」


 俺はゼルシアを手招きする。


 頷きを返答として、ゼルシアが指を鳴らすと部屋を照らしていた灯火がふっと消える。同時に、ゼルシアが俺の横に移動してくる。


 そのまま俺は彼女の身体に手を回して引き寄せ、浅く抱いた。


 対し、ゼルシアは片方の翼、空中で自由に出来る方を展開し、俺の身体に被せるように覆った。


「ヴォルスンドの通貨もかなり手に入ったし、明日買える物資は買って、拠点に戻ろうと思ったけど……あと二、三日は人間の町を観光ってのも悪くはないかー」


 デートするって言ったしなー、と付け加える。


「はい、そうしてくださると私も嬉しいです」


 ゼルシアにしては珍しい笑みがくる。


(ゼルがこういう顔をする時は本心から言ってる時だよなー)


 思い、明日以降はどうしようかと考えようとする。



 だが、疲れと、ゼルシアの温かさで、眠気が一気に襲ってくる。


(まーいいか、その場の流れで。今の俺たちは、明確な目的を持った勇者でも、魔王でもないんだから) 


 そうして、俺は意識を落としていった。

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