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そいつが始めた話は突拍子もないものだった。
彼は、俺の遺伝子を元に作られた、俺のクローン。つまりもう一人の俺。
おばさんの言うことが正しいなら、俺が生まれた当時、両親は金に困っていた。男によると、男の働いていた施設の人間がそういう困っていそうな人のところに行ってはランダムに遺伝子を頂戴してくるのだという。親父に近づいてきたであろう施設の職員は言葉巧みに子供の遺伝子を売ってくれないかと金をちらつかせて、うちの両親は金目当てだったのかどうなのかはわからないまでも、とにかく研究機関に俺の遺伝子を売った。そうして男が生み出された。
確かに男から渡された紙には俺の遺伝子を提供すること、見返りに相当額の金を支払うことを契約する旨が書かれている。下のほうには提供者として両親の名前が書かれていて、ついでに「施設」を出たら一度「両親」に会いに来てくれ、という見慣れた父親の筆跡でメッセージが添えられていた。
「施設……?」
「俺が生まれて、育った施設さ。もちろん孤児が行くようなところじゃなくて、研究機関お抱えの研究室だったけど。」
「……お前の言っていた職場ってのは。」
「嘘はついてない。この間、人権団体が研究所にいちゃもんをつけた影響で研究所は閉鎖になった。俺はその少し前に外部の研究機関に預けられて外に出ていたから、そのまま宿なしになって。そのとき、施設の職員がこれを渡してくれたんだよ。」
「……で、俺の両親に会いにきた、ってことか。」
「行くところもなかったしな。」
確かに研究所のニュースは話題になっていた。ただ、俺とは関係のない、遠い場所のことだと思っていた。
「じゃあ、本当にお前は、俺のコピーなのか?」
未だに信じられない。
もう一人の俺は、癖なのか、腿の上に肘を置いて頬杖をつく。およそ俺がしない動作だ。姿かたちは同じでも、俺はこの男が俺とは思えない。
俺の考えを読み取ったかのように男は続けた。
「まったく同じ遺伝子を持ってるっていう点では俺は完全にあんたのコピーだ。ただし同一人物ってわけじゃない。例えるなら一卵性双生児だな。生まれてきたのは同じ時だが、その後どう育つかはそれぞれの個人次第だろう? それと同じ。」
なるほど、分かり易い。まるで小学校の先生だ。
俺はそのとき、男の思考が読めた気がしてぱん、と膝を叩いた。
「だから生き別れの双子って嘘を思いついたんだな。」
「そうだな。それもある。」
もう一つ、と男は続けた。
「俺のオリジナルが――つまりあんたが、突然自分のクローンを名乗る男が現れても、にわかには信じてくれないだろうと思ってな。」
そう言って男はにやりと笑う。
確かに男の考えた通りだったけれど、そもそもそんな嘘をつかれても、俺はまったく信じてなかったぞ。
俺はそれからクローンについて、研究所についてよく教えてもらうようになった。ニュースやSNSに書いてあるようなことではなく、そいつが体験してきたことを。
研究所の目的はただクローンを生み出すことではない。そんなことはもう当たり前のようにできている。むしろ遺伝子をいじることによって能力の向上を図ったり、遺伝的な病気の解消法を模索するほうに研究者は注力していたのだという。
クローンは生まれる前から遺伝子をいじられている。つまり、生まれた時点で一度その価値がはかられる。検査をすればこの先どう成長するかはある程度分かるらしい。
生後すぐの検査で求められていた結果に対して身体的になんの変化も見られないと判断された男は、研究者に「平凡」の烙印を押されて、施設の中でのらりくらりと生きていたらしい。
「期待どころか失敗作だと思われてたから、あくまでもふつうでいてやった。俺の他にもそういう奴らがいてさ。そいつらにはあまりにも模範的だからって先生とかあだ名付けられてたっけ。」
「あ、それ俺も思ったよ。」
男は辟易したように「やめてくれよ。」と言った。
「じゃあさみしいな。もうその施設はないんだろ。」
「ああ。みんなももう散り散りだろうな。」
特に男がよく話し、心配をしていたのは、いつも自分にくっついていた少女のことだった。
「俺より四つ年下だったかな。自由に過ごしていいときは必ず俺の隣にいた。……あの子もこの間の騒動で外に出られたのかな。」
「その子も失敗作?」
「聴覚の発達を見込まれてたらしいけど、結果だけ言えばちょっと耳がよくなっただけ。絶対音感もなくて、ドクターからも失敗作って言われてた。まああの人は俺たちクローンを人間扱いしてなかったんだけどさ。」
クローンは番号で呼ばれ、人間らしい名前はつけられなかった。男の名前は出向先の研究機関の人がつけたものらしい。
「結構気に入ってるんだ。」
俺には男が作りものには見えなかった。そのドクターってやつはよっぽど人間的な感情が欠如していたんだろう。
俺と男は施設について、すこしずつ情報を集め始めた。あの少女がどうなったのか、少しでもわかればいいと思ったのだ。
ところが不思議なことに、一時期あれだけ出回っていたクローン研究所の話題はどこかで口止めされてしまったのかまったく見つからなくなっていた。もちろん研究所にいたクローンたちがどうなったのかもわからない。
事の発端が「クローンにも人権を与えるべき」という人権団体の行動だったから、彼らが不遇な状況に置かれていることはないだろうけれど。
かろうじて、研究施設を再利用した公共施設に人権団体から医療従事者の派遣が行われていることを知った俺は、そこに潜り込んでみようと考えていた。男は外からそれをサポートすると言ってくれていた。
そして、その日が来た。
医師はひたすら首をひねっていた。
天気のいい、休日の朝だった。車が歩道に突っ込んで五人の人間をはねた。そのうち三人は身元が分かったが、後の二人がどうしてもわからない。いや、正確に言えば、その二人はどう見ても同一人物にしか見えなかったのだ。
残念ながらそのうち一人は亡くなってしまった。もう一人は警察に事情を聞かれて「この男は先日現れた生き別れの兄弟だ」と言ったが、どこにもそんな事実はなかった。
奇妙な話だが事件性も見当たらず、警察は引き上げた。
その後になってわかったことを、医師はとりあえず生き残った男に伝えることにした。
「君と、君の兄弟君ね。確かに君たちの遺伝子はまったく同じだった。――それこそ双子のように。」
「……そうでしょう。」
「ところが困った。君たちを見分けるすべが、我々にはない。」
男はどこか遠くを見ていた。もう一人がかばったのか彼は軽傷で、すぐに退院できるだろう。それなのに、医師のほうを見て笑うこともなく、どこか空っぽのような顔をしている。
「君は一体、どちらなんだろうね。」
医者の質問に、答えは返って来なかった。
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