2018年8月11日 雨に打たれて

「あれ、珍しいね、大宮」

 婚約指輪をはめて、西川は隅で一人飲む僕に近寄ってくる。

 同窓会。

 基本的には不参加を決め込んでいたけれど、今日はなぜだか参加の返事をしてしまっていた。

「なんかさ、たまにはいいかなって」

「そりゃな」

 学生時代、浮きまくっていた僕に話しかけるのは西川と、坂本くらいのものだった。

「黒ひげ危機一髪に純水イッキ飲み事件、雨に打たれてぱしゃりと被写体事案って、設定盛りすぎだろ?」

「やー、ほんっと黒歴史発掘するの勘弁……」

 今ではあまり記憶がない。

 地味なはずの僕は、高校二年生の春、集会で体調が悪くなったと嘘をつき、食堂前の自動販売機に科学部からパチッたスイッチ式黒ひげ危機一髪装置を設置。自分は理科室で管理された純水をイッキ飲みし、何がしたいかわからないようなことをやった、らしい。

 保健室に運ばれたあと、容態が悪くなり意識もうろうとして病院へと送られた。

 目が覚めたら、その間の記憶はほとんどなかった。

 僕と西川は、ひっそりと活動する文科系部活男子として、一年生のときからそれなりに話はした。

 けれど、黒ひげ危機一髪の装置があったこと、保管期限が切れてがえげつないことになっている純水があることは、僕は西川から聞いたことがない。

 それが西川の「もしや未来からきたのでは」という仮説につながり、しばらくはSFの話を聞かされるはめになった。

 それはそれで、ぼっち待ったなしだった僕の高校生活唯一の救いだったし、西川といる時間は楽しかった。

 一学期のテストのヤマは驚くほどよく当たったきとも、未来人説を捨てなかったのだけれど、二学期からはそれなりに外れた。

「あれ、もう帰るのー?俺のデビュー作!」

 直球をぶん投げてきたのは坂本だ。

 学生時代に僕を盗撮し、それをネットにアップして話題をさらい、鮮烈なデビューをした新進気鋭の写真家。

「いやー、今そんなことしたらいろいろ問題だからね。今度うちの演劇部の舞台写真とりにきてよ!」

 さらりと助けてくれたのは、教員になった西川だ。高校で科学を教え、演劇部の顧問をしているらしい。

「あー、わかったよ」

 僕は西川に会費を渡し、そっと会場を抜け出した。


 いじめがあったわけじゃない。

 痛い思いをしたわけでもない。

 けれど突発的に、涙がこぼれることがあった。

 情緒不安定かよ。

 自分に突っ込んでも、起きてしまうことはしかたがない。

 困ったのは、学校で起きたときだ。

 花粉症と誤魔化したり、ダメになったときは保健室へ駆け込んだ。

 前科があるから、保険委員が付き添ったけど、付き添いもなにも聞かずにいてくれた。

 その日も、僕は帰り道、なぜだか涙が止まらなかった。

 激しい雨をやり過ごすため、図書室から出た瞬間。

 戻っても司書に心配される。

 かといってまっすぐ家にも帰れない。

 雨が降っていた。

 それなりに勢いは殺されていた。

 傘をさそうとして、突風にあおられた。

 運動部が校舎で走り込みをしている。

 吹奏楽部が明々とした教室で音を出している。

 そして僕は、外へ出た。

 冷たい雨が、どんどん降ってくる。

 校門前の街灯に、雨粒が照らされる。

 制服の色が濡れて変わって、涙は雨に溶けていく。

 安心できた。

 冷たさに。

 一人だということに。

 そうしているところを撮られた写真が、坂本のデビュー作「雨に打たれて」だ。


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