タイムスリップ

2018.8.11 21:00

 店員に教えられた個室へ向かう道すがら、足早に向かってきた誰かとすれ違った。

 世間では盆休み初日だ。

 夜の街では、帰省をきっかけとした飲み会が多く開催されている。

 先ほどぶつかりそうになった誰かも、電車の時間かなにかで1人先に抜けたのだろう。

 息を整えて、僕は引き戸を開ける。

 食べ物と、酒のむわっとした匂い。

「お、おせーよ!」

 同窓会で盛り上がっているところに到着した。

「とりあえずそこ空いてるから」

 幹事の声に礼を言って、さっきまで誰かがいた席に腰をおろす。

 座敷の空気はすでにできあがっていた。

外で出したら眉をひそめられそうな大声に、ほろ酔い気分の仲良しグループ。

 当時一番仲の良かった西川は、何人かと話が弾んでいて、割って入る勇気もない。身の置き所を計算していると、幹事の坂本は、ビールを片手に隣へとやってくる。

 タイミングよく烏龍茶が運ばれてきて、僕へと置くようバイトにサインした。

 こういう自然な気遣いが、昔からできるやつだった。

 高校時代、演劇部。

 坂本と西川は同級生。

 部活も大事だけれど、二人はそれぞれの友達も大事にしていた。

 僕と違って。

 ここではみんな、かつての自分達に戻る。

 坂本が定期的に声をかけているからか、クラスの集まりはまずまずだ。

「来てくれてありがとな」

「いや、こっちこそ、無理言ってごめん」

 ギリギリになって出席といったのだ。

 人数変更が間に合わなかったに違いない。

 僕が座っているテーブルに残された、使用済みの食器が静かに主張している。

「誰か早めに抜けたの?」

「早瀬」

 クラスでも存在感は強くなかった女の子だ。

 坂本がムードメイカーを買って出ていたから、他よりは過ごしやすい集団のはずだった。

 事実、仲はよかった。こんな僕でもなんとか過ごせるくらいには。

 それでも学外での思い出作りの場に、彼女がいたことはほとんどなかった気がする。

「珍しいよな、顔だすほうじゃないっぽいし」

「俺だって来ると思わなかったよ」

「あ、結婚してるから?」

「ばかっ」

 思いの外鋭い声に慌てて引っ張られていく。

「早瀬はフリー」

「なんで?」

 だって早瀬は、目立たない女の子ながら、寡黙で、よくみたら見た目も悪くない、そして性格もいい西川と付き合っていたはずだ。

 別れたなんて聞いていないから、てっきりン年目の付き合い、もしくはゴールインしたとばかり。

「知らねえよ、友達でも聞けることと聞けないことあるじゃねえか」

 僕たちの騒ぎを聞き付けたのか、当の本人がやってきた。

「なんのはなし?」

 穏やかな笑みをたたえているのは、西川本人だ。

 雑然とした空気にシンクロ、ポーカーフェイス。

「積もる話」

 態度を装うだけで精一杯の僕とは違う。相変わらず坂本は人を煙にまくことが得意で、それでいて不快にさせない。

「だよね、なかなか会えなかったし」

 その薬指には、銀色に光るものがはめられている。

「結婚したの?」

「ああ」

 西川は垂れ目がちな目を細くした。

「三郷と」

「……藤原三郷、覚えてないなんていわないよな?」

 坂本がいい具合に茶化してくれる。

 一緒の高校で、確か早瀬と仲が良かったはずだ。

それでも話は見えてこない。

大学卒業までは付き合っていたはずだし、別れただの付き合い始めただのとは聞いたことがない。

「……なあ頼まれてくれね?」

「ん?」

「会費もらうの忘れてた、早瀬に」

「…………は?」

 それは幹事であるお前の凡ミスじゃねーの、と喉まででかかってやめる。

「頼む!ほんと、お前しか、頼めるやつがいなくて……!」

 来て早々とんぼ返りか。

 別にそれでもいい。

 今のふらふらした自分には、ここの空気はあわない。

「わかったよ、じゃ、お先」

「おー、さんきゅーな」

 僕は答えずに部屋を出た。


 早瀬の顔は、よく覚えている。

 地味で目立たない。着飾ることもしない。

 おおよそ女の子らしい、という事柄からは距離を置いている人間だった。

 かわいいな、と不覚にも思ってしまったのは、早瀬が偏差値の高い大学に入り、同じ大学に進んだ西川と付き合いはじめてからだ。

 もしかしたら、高校のときから無意識のうちに気になっていたのかもしれない。

 けれど男の好みど真ん中なのは藤原三郷のほうだ。

 自分だけだろう。彼女を好きになるのは。

 そんな傲慢なことを計算して、気がついたら友達の彼女になっていた。

 クーラーの効いた店から外へ。

 むわっとする空気が身を包む。

 不意に店についてからのことを思い出した。

「……さっきすれ違ったのが、あいつか……」

 だとしたら、まだ遠くへは行っていない。

 近場のコンビニ、次いで駅。目的地なんてそれくらいだ。

 真っ白な蛍光灯の下、人が行き交う場所。なのに早瀬は最短ルートのどこにもいなかった。

 脇目も降らず、帰ってしまったのか。

 ありえない話じゃない。

 会費を回収できなかったらどうなるのだろう。

 責任とって僕が二人分払うのか。いや。

 ミスをしたのは幹事なのだから幹事持ち出しのはず。そうしてもらわないと困る。 いまの自分には財布は常に火の車だ。

 けれど、すぐに帰るのも都合が悪い。

 もう少しだけ、探そうか。

 街灯の下を通ったときだった。

 衝撃音が、一本横に入った道の方から聞こえた。

 店がある大通りとは違い、人通りもあまりない。

 治安は悪くないほうだけれど、万が一ということもある。

 なにより早瀬はド文系。

 体育は本当に苦手だった。

 スマホを片手に、ゆっくりと横道へ入っていく。

 切れかけの街灯に、点在する駐車場。

 店じまいしたテナントに、やや塗装がはげたガードレール。

 また大きな音がした。

 青白く光る自動販売機。

 釣りがでなかったのか、思っていたのと別の商品が出たのか。

 一人の若者が自動販売機を蹴っていた。

 ひときわ大きく足を振りかぶり、勢いそのまま叩きつける。

 側面が大きくへこんだ。

 横顔が自動販売機の光に照らされる。

 思わずスマートフォンを取り落とした。

 アスファルトで盛大に跳ね、彼女は音の発生地を正確に視認する。

 わかっているはずなのに、あちらはなにも反応しない。

「……ひ、久しぶり、早瀬」

 スマートフォンを拾い上げ、僕は器物損壊の現行犯のほうへ足を向けた。


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