「小説になっていない」とはどういうことなのか

敲達咖哪

小説の習と小説以前

  ――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。


 ……というのは、未読の人には申し訳ないが、夏目漱石の作品『坑夫』の結びの文である。頭から小説だと思って読んでいて、最後にこう言われると、「小説」とは何であるのかが分からなくなる。分からなくなるというのは、分かっているつもりに過ぎなかったからで、本当は分かっていなかったのだ。

 小説という言葉を国語辞典で引けば、近代文学の一形式であって云々といった説明が載っている。しかしここで問題にしたいのは、そんな辞書的な定義ではもちろんない。また、本屋が分野別に棚割りをすれば小説の棚に入るかどうかという問題でもない。『坑夫』が「小説になっていない」という場合の「小説」とは何なのかということだ。

 『坑夫』は、夏目漱石が実際に人から聞いた話しをもとにして書いたものだという。だから「みんな事実」であり、実話であることの証明が「小説になっていない」という所に求められている。つまり実話が実話性を失わない限り、その文章は「小説」にならないということになる。逆に言えば「小説」とは実話を離れた虚構でなければならないことになる。もっとも『坑夫』は全くの実話にしてはどうも面白すぎる。実話にしても虚構が加えられていないとは考えられない。しかしそれは「小説」にならない程度の潤色に過ぎないというのだろう。

 『坑夫』は分類の仕方としては実話小説といっても構いはしないかもしれない。これと同様に実際にあったことに基づいて書く文学の一形式に歴史小説がある。『坑夫』は大正5年に死んだ漱石が生きた時代の出来事だが、その4年前に死んだ乃木希典を扱った歴史小説に司馬遼太郎の『殉死』がある。

 司馬遼太郎の『殉死』は、小説とはいいながら、冒頭から作者自身が地の文に顔を出している。全体として乃木事件を取材する作者によるドキュメンタリーといった感じが強い。それでも細部にわたる描写は小説的な脚色に違いないが、最後まであまり歴史離れすることは避けている。作者自身が作品の中でこう書いている。「以下、筆者はこの書きものを、小説として書くのではなく小説以前の、いわば自分自身の思考をたしかめてみるといったふうの、そういうつもりで書く」。司馬氏の「小説以前」には、『坑夫』の「小説になっていない」に通じるものがあるようだ。もちろん「小説になっていない」ことが、この作品には独特の価値を与えている。

 大正12年生まれの司馬は、昭和42年に『殉死』を発表している。題材とした乃木希典その人に接した時代の作品と言ってよいだろう。近い時代のことであれば、実話性を確保しやすい。それは取材する能力が十分に必要ではあるものの、取材によって知られざる事実を掘り起こせることもあるだろう。扱おうとする時代が現在から離れれば、それだけ取材より考証が重要になる。

 井上靖の『額田女王』は、今を遡ること1300年ほどの昔を舞台にしている。日本史ではまだ伝わる史料の少ない時代ではありながら、井上靖はかなり綿密に歴史の再現を企てている。それにも関わらず、この作品には歴史小説としての評価を迷わせるものがある。この作品では、主役である額田王が神がかりするような霊感を持った巫女として描かれている。

 額田王を巫女とする説について、歴史学者の北山茂夫は「それをうらづける史料はまったく見つかりません」と言っている(『万葉群像』)。また名指しは避けながらもおそらく井上靖を念頭に置いて、「むろん、小説家がフィクションとして額田王を巫女にしたてて性格づけをすることは自由ですし、興味深いことでもありましょう。しかし、それを額田王の実像と見なすことはとんでもない歴史的歪曲であります」とも述べている。

 ここでの問題は、額田王を巫女とすることが、井上靖の作品に於いては味付け程度ではなく、その文学性の中核をなしていることである。まさに額田王が巫女であることによって、この作品は美しい物語になっている。そしてそれがこの作品の実話性を揺るがしてもいる。歴史小説も「小説」になっているべきなのか、それよりも歴史性を重視するのかで、この作品の評価は大きく変わってくる。

 『額田女王』よりもいっそう歴史性が希薄なのが、横光利一の『日輪』である。卑弥呼を主人公とするこの作品は、美しいロマン的な小説で、作者の想像力が活かされてはいるものの、実話性といえるものは全く無い。「小説」としては秀作かもしれないが、歴史小説としては歴史離れをしすぎているのではないだろうか。もっともこのことの評価には、作品が発表された大正12年という時期を考慮する必要があるだろう。

 ところで今ここで「歴史離れ」という言い方を使ったのは、近代歴史文学に大きな足跡を残した森鷗外の随筆『歴史其儘と歴史離れ』を踏まえている。鷗外は「わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱つた作品は、小説だとか、小説でないとか云つて、友人間にも議論がある」とした上で、次の様に述べる。

「……、わたくしの前に言つた類の作品は、誰の小説とも違ふ。これは小説には、事実を自由に取捨して、纏まりを附けた迹がある習であるに、あの類の作品にはそれがないからである。わたくしだつて、これは脚本ではあるが「日蓮上人辻説法」を書く時なぞは、ずつと後の立正安国論を、前の鎌倉の辻説法に畳み込んだ。かう云ふ手段を、わたくしは近頃小説を書く時全く斥けてゐたのである。

 なぜさうしたかと云ふと、其動機は簡単である。わたくしは史料を調べて見て、其中に窺はれる「自然」を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になつた。これが一つである。わたくしは又現存の人が自家の生活をありの儘に書くのを見て、現在がありの儘に書いて好いなら、過去も書いて好い筈だと思つた。これが二つである。」

 鷗外の言う小説の「ならい」は、『坑夫』の「小説」の意味に通じている。史実の変更は、小説としての完成度を高めるのに必要ではあっても、「とんでもない歴史的歪曲」を犯すことになりかねない。「小説になっていない」にしても、実録の「自然」を尊重した方が良い場合があることは、いくつかの優れた作品によって証明されている。

 しかし実際にあったことに対して誠実であろうとすれば、作品の組み立ては作者の思うままにはならなくなるし、文学性を損なう場合も出てくる。そこで事実の取捨選択をしたり、順序を入れ替えたりすることがある。そうした操作の程度がはなはだしくなると、それは余りに実際離れした空想的小説になる。実在の人名などを出してしまうと、虚構がどこまで許されるかは微々妙々な問題ともなる。

 本屋の立場にしてみれば、小説の棚には「小説」も「小説になっていない」ものも入れなければならない。両者の境界は曖昧であり、また曖昧である所に価値があるものらしい。

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