いざない

 その話をこの下宿に持ち込んできたのは我々のような文士の類いなどではなかった。国学を修める学生で、とある華族の次男坊。家督を継ぐ必要がないためか常にふらふらとしている――まあ、見た目だけならばただの軟派野郎に見える男だ。

 本当はこの話はカフェーでわいわいとお話をしていた女学生たちに教えてあげたかったんだがなあ、このご時世ああ言うものに興味を持つお嬢さんは少ないんだ。とは奴の弁である。この文士烏丸、奴の通う大学校がどこまで厳しいかは知らんがこれだけは言えるのだ。小柳お前、話しかけていたら規律違反で退学させられてたかもしれんぞ――と。

 しかしこの文士烏丸、今下宿の玄関先でへらへら笑う華族の男がそのような阿呆だと思ってはいない。大学校で教授に師事し、国学を修め、将来は自らの国学研究を本として記録するのが夢だと語る。そしてそのための努力や学びにかける労力は一切惜しまない。そう、こいつはおれらと比べたら遥かに真面目なのだ。この間かわら版に載せる小説を書き終えてぐうたらしている同士どもや、この間書いたばかりなのだから今日くらいは気を抜いてもよかろうなどど考えているおれと比べたら。

 そんな奴がわざわざこの文士烏丸と同士どもに語らんとする話なのだ、面白くないわけがないだろう!



 小柳が語るは、この都よりほど近いところにある花畑の逸話。あそこはかつて戦場だった場所で、花が咲き始めたのは人も獣も住み着かなくなった頃からとのこと。ただ、国学を修める奴が言っているのだ、これは寸分たがわぬ事実だろう。

 それで、話の続きだ。件の花畑でよからぬものを見たと語る者が、ここ数ヶ月で複数人現れたのだという。その中には小柳の同士も居た。奴がその一件について詳しく知っていた理由はそういうことらしい。

 それでその一件、よからぬものと言うのが――今回の話の肝であった。

 小柳は奴の同士に何を見たのかと聞いたそうだ。説得を繰り返し、頭を下げて聞き出した「よからぬもの」の正体に――やつは凍りついたという。

 それは地面に映し出された影の絵。

 それは一見すればただの手遊び。

 風に揺れているかのような仕草、手折られたかのような仕草、再び芽吹くかのような仕草。

 そう、それらを行っていたのは――。


「無数の人の手だったそうだ」


 小柳、お前語り手にもなれるかもしれんぞ。青ざめた顔、死んだ魚のような目、低く震える声。人づてに聞いただけの話を自分が体験した恐怖であるかのように語れるあたり、間違いなくそちらの才能もある。

 などという個人的な感想は飲み込んでおく。そう、この文士烏丸は場の雰囲気にそぐわぬことは言わずにおくという分別がつく男なのだ。

 さて。どうやら同好の士どもは小柳の話にえらい勢いで食いついているようだが、この文士烏丸は奴らとは違う。好奇心は抑えずに、しかし冷静に振る舞いながら詳しい話を聞き出すことができるのだ。

 それゆえに、この小柳の言葉には顔を顰めるしかないわけだ。


「烏丸、きみ、ずいぶん楽しそうに聞いてくるじゃあないか」



 瓦板に載せる話の種にはなる。

 この文士烏丸は小柳の語る怪奇譚にそのような感想を抱いた。ただ、まあ、なんだ。聞いただけの話を元に話を書くわけにはいかぬ。まず、おれの書く小説は人づてに聞いた怪奇譚より勝っていなければならない。次に、自分の目で見て自分の耳で聞く――話の種とはそうして初めて糧にできるものである。この文士烏丸、文士としての誇りは人一倍あるのだ。

 それならば、と下宿を発つ。まずは古物店に向かおうではないか。あの手の話、その大本の出処を記した書物もそこでならば見つかるだろう。それに小柳のような輩も、調べ物の際は古物店をあてにすることがあると聞いた。

 この文士烏丸が今現在古物店に来ているのは、つまるところそういうわけなのだ。


 しかしまあ、この古物店は繁盛しているのかいないのか。先程から様子をうかがってはいるものの、このおれ以外に誰一人としてきやしない。おまけに店主はこの文士烏丸を見て「冷やかしなら帰れ」とか言い出す始末だ。


「失敬な」

「ならさっさと用件を言え。生憎わしは暇な文士と違って多忙でな」

「何を言うかじじい、この文士烏丸は――」

「いいからさっさと用件を言え」


 このおれの口上を途中で止めてくれるとは、このじじいやりおる。

 いやまて、そういうくだらない事を考えている場合ではなかろう、文士烏丸よ。さっさと用件を済ませてこの閑古鳥が鳴く店を後にせねばならない。このおれにこのような寂れた場所は似合わんのだ。さあて、先程からこちらをうっとおしいと言わんばかりに見ている店主に用件を言い放ってやろうではないか。


「なんじゃい。古戦場関係の文献が欲しいのかお前は」


 ならこれをやるからとっとと帰れ。金はいらん。

 なんとまあ手荒なことか!

 この店主、あろうことか本を投げてよこしたではないか! 客であるこの文士烏丸は丁寧に扱うべきだろうに。まったく、このじじいには少し配慮というものを学んでほしいものだ。

 ――などと思っていれば、保護者連れの女学生たちが店主に話しかけてきているではないか。どうやら彼女らはこのおれと店主とのやり取りを少しばかり見ていたらしく、話の節々からその件についての単語が聞こえてくる。


 店主よ、おれだけではなく本も丁寧に扱うべきだぞ。うむ。

 他人から悪く見られたくないのならな。うむ。

 

 ◇


 かくしてこの文士烏丸、必要な資料を手に入れたわけだ。

 さて、ここでおれは考えるのだ。この資料、下宿へ帰らずに読むのも一興だろう。例えば、そう、カフェーで珈琲コーヒーと洒落込みながら……いや、決して同士やつらの冷やかしが嫌だとか言うわけではない。ましてや折角の外出に寄り道をしたいという、些細な欲が湧いたというわけでもない。

 ただまあ、この資料はカフェーで読むべきではないと気づいたときには後の祭りだったわけだが。


 事前に聞いた小柳の話通り、あの花畑はもともと古戦場。花畑となった理由も不明瞭とのことだ。

 しかし、資料の一つは語る。たしかにあそこは戦場だ。だが元をたどれば、あの地はとある国の姫君とまた別の国の若君が逃げ延びたところだったのだ! そして惹かれあった二人が浄土にて再び、と誓いを立てたところでもある。あの花畑が美しいのは、それこそ浄土の水辺に咲く花々のようなのは、彼女らの亡骸が大地へと還ったからなのだ――などと。

 また別の資料は語る。姫君が逃げおおせる最中に、敵兵に殺害された地があそこなのだと。彼女の無念と未練は、その後あの地にて合戦を繰り広げた者共をも飲み込んだ。そうして、全てを地に還していった――そう、あの地が美しいのは、そしてその影によからぬものがいるのは、死に満ちた場所をいのちで彩ったからである。


 いったい何が本当なのやら。

 おれは思うのだ。資料はあくまで資料である。どの説が正しいか……否、この文士烏丸にとっての真実は、自分自身の目で見て耳で聞いてこころで感じねば気が済まん。……さて、件の花畑とやらはここから近いところだったか。


 ◇


 この文士烏丸、花畑の話は聞いていたが実際に見るのははじめてなのだ。

 ゆえに今、こうして感嘆の息を漏らしている。


 細工がされた床と見紛うかのような紅色、白色、黄色、緑。かつては遊歩道として使われていたのだろう、道を作るように規則的に植えられた桜の木々は立派な薄紅が揺らしている。そして一枚、ひらりと溢れおちた。

 ふむ、立派なまでの春の匂いだ。資料が語った浄土と言う表現も納得できよう。今の所おれの目にもそう映っている。せっかくだ、散歩をしていくのも悪くない。この春色にそまる花畑の中を歩いて見るのも一興だ。もしかしたら小説を書く上で役に立つかもしれん。

 あの春に誘われてみるのも良いものだ――そう、思ったところで、気づく。


 ――曼珠沙華だ。

 何故かはわからんが曼珠沙華が咲いている。かつては人の往来も合ったであろう道に沿うように、花が、赤い花が整列しているのだ。

 しかし、目に見えてわかるほどの違和感がある。


 曼珠沙華はこんなに花弁が少ない花ではない。

 茎もこんなに太くはない。

 それに――今は、春だ。


 そう思った途端に、血の気が引いた。この文士烏丸、一応心の臓は強いという自負がある。それでも、大丈夫だとは思えぬ。本能的に、といえばいいだろうか、ここにいてはならないと確信したのだ。

 そうだ、おれのすべきことはここから逃げることだ。

 そうして、下宿へ帰って書きかけの小説の続きを記すのだ。


 踵を返し、帰路につく。

 振り返る前に一瞬だけ花畑の様子が見えたようだが――おそらく気のせいだろう。


 川原の石のごとく積み上がる人骨、曼珠沙華のように土から芽吹く人の手。

 赤々と燃え盛る花畑。

 その中心で、静かに佇む女の影――。


 ◇


 この文士烏丸、件の花畑で見たものについては黙っておくことにした。

 一応、同好の士どもにも小柳にも花畑へ行った下りだけは伝えてある。同好の士どもはおれを軟弱者扱いしてくるのだが、実に不本意だ。どうやら察したらしい小柳がいるのが救いといえば救いだろう。そう、奴はこのおれの機嫌をも察したようで、カフェーにて珈琲コーヒーを奢ってくれたのだ。小柳め、やりおる。


「ところで烏丸」

「なんだ、小柳よ」

「きみには伝えたほうがいいかと思った話があってね」

「ほう」

「あの花畑を見に行って――そして、おそらくきみと同じものを見たらしい文士が、失踪したそうだ」


 ああ嫌だ。これだけでわかってしまうとは。

 あの時、花畑に誘われていたならば――失踪したのはおれだっただろう。

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