第2話 サンダーソニア

「はっはー! お前ら、見えたか? あれが《ブレイク》だ!」


 飛び交う銃弾。怒号。激しいアクロバットのおかげで目まぐるしく移り変わる景色。

 その中で、彼――クレイジージャックは快楽に酔いしれていた。

 ビルを駆けあがり、すぐ隣のビルの窓が銃弾で割れる。ついさっき挑発した連中の苛烈な攻撃の成果だ。

 だが可愛いものである。グレネードが飛んできた時は、彼もさすがに少し焦った。


 銃撃にも構わず斜めに駆けのぼっていく。目指すは、宵闇の空に浮かぶ、漆黒の渦。


 つん、と酸っぱくて不快な臭い、彼は嗅ぎ取った。

 右を見下ろすと、クレイジージャックが救出して抱き抱えていた少年が、吐瀉物を撒き散らしていた。


「おいおいおい、もう何回目だよ、それ、ほら見ろ、真下にいる奴らを空爆しちゃってんじゃん。サイテーだな、いや、サイコーだな! よしもっと吐け。あーでもそろそろ飛び込むからな、おい止めろ。お口チャックしてろよ」


 はっはっは、と笑って、クレイジージャックはビルの壁をさらに走り登っていく。

 そして、ビルの窓を割る勢いで蹴り、その渦巻く穴に飛び込んだ。


 世界が捩れる。内臓が捻じ曲がる。


 これこそ気持ち悪くなるのだが、クレイジージャックはそれこそ愛する。

 闇と光に包まれ、ごぼり、とまた海にでも潜ったような感覚がやってきて。

 外に飛び出た。


 一気に光が差し込んでくる中、クレイジージャックは抱えていた少年を離した。

 だが、少々乱暴だったらしい。

 少年たちはアスファルトの地面に転がり、思いっきりむせ返った。


 ここは、人のいない秋葉原南の交差点だ。


 当然である。交通規制がなされ、避難命令が出ているのだから。

 夏の厳しい日差しが容赦なく突き刺さってくる中、少年はなんとか起き上がる。


「た、たすかった……っ!」

「おー、良かったな。ははー、でもその前に俺に礼を言うべきじゃねぇの?」


 涙も鼻水もヨダレも垂らしながら言う少年の傍に座り込んで、クレイジージャックはしれっと要求した。

 少年たちは反射的に恨みがましい目線をぶつけるが、クレイジージャックに譲る姿勢はどこにもない。むしろ威圧さえかけてくる始末だ。

 ある意味で少年たちの主張は正しい。

 クレイジージャックは要らぬ挑発を行った結果、銃撃の雨とどんな絶叫マシンにも勝るアクロバットな機動体験をさせられたのだから。事実、彼らの服には銃の擦過痕があった。


「おいおいおいおぉい。礼を言えねぇとかクソダセェぞ? まぁ良いけどな、どうせお前らみたいなんかに期待なんてどこにもしてねぇから」


 数秒間だけ待ったクレイジージャックは呆れたように立ち上がり、両手を広げて肩を竦めた。それから少年たちを連れて、交差点の角にまで避難させてから、どこからか紙とペンを取り出す。

 どこに収納しているのか、は、曰く企業秘密である。

 サラサラサラ、と鼻歌交りにペンを紙に走らせ、クレイジージャックは少年の手にそれを挟み込んだ。

 不可思議に眉根を寄せつつ、二人の少年は紙を広げて、目を見開いた。


「なんだよ……へ? 請求書?」

「費用総額……一二〇万っ!?」


 声を裏返させる程の声量が飛び、少年たちはきっと睨んでくる。


「安心しろ。ちゃんと二人公平に割ってある」

「そういう問題じゃねぇだろ! なんで請求されてんだ!?」

「そうだ! あんた政府の、国の人間だろ! なのになんで!」


 少年たちの主張はつまり、警察や自衛隊といった組織が何かを守る時、費用を請求しないことから言っているのだろう。

 だが、そこまで現実は甘くない。

 クレイジージャックはまだ起き上がれない少年たちの額に、でこぴんを喰らわせた。


「あー、確かに? 特別災害法っていうのがあってだな、この《ブレイク》関連で被災し、救助された場合、免除および助成の申請が出来る。けどな」


 ゆっくりと立ち上がり、くるくると回転する。まるでスピードスケートの選手のように。


「いいか、そもそも、《ブレイク》ってのは異世界からの侵略なんだ。具体的に言えば多次元コンフリクト境界に脅威的な圧力をかけて亀裂を走らせ、そこから入ってくるんだよ。言い換えればここまで分析出来てるんだ」


 遠くで、サイレンの音がした。救急車と、パトカーだ。いつの間にか《ブレイク》も消えている。

 通信相手が色々と手配してくれたようだ、と、クレイジージャックは判断した。もうすっかり呆れられて通信拒否されてしまっているが。


「つまり、今は十五分前に出現予測が出来て、こうして交通規制もかかって? 避難もして? 警報だってちゃんと鳴る。シェルターまで用意されてるしな? それだってのに、お前らはバカな勇気を振り絞って不幸な女神に背中を押されて、そのルールを破った」


 クレイジージャックは少年たちから請求書をいったん回収してから、その額にまたくっつけてやった。


「そういう場合、費用は請求できるようになってるんだよ。例えば山で遭難した場合、民間の山岳会や、民間のヘリを使って捜索活動をした場合、費用がかかる。それは漏れなく請求されるんだぜ、キッチリと。それと同じだ」


 理路整然と説明されて、少年は絶句した。


「それに、そもそも俺は公務員じゃねぇし。ほら、とっとと帰ってパパとママに泣きついて払えってもらえ。おっと、その前に仰々しく救急車で運ばれて病院でケツの穴の中まで検査受けて、んで警察サマに脳みその底まで怒鳴られて説教されてこい。ああ、後反省文な」


 嘲笑うように言ってから、彼は色々と首元を触れてからパーカーフードを取った。

 はらり、とフードが背中に垂れて、露わになったのは、彼の頭と、首。


「大丈夫大丈夫。人間案外どうにかなるもんだゼ? ほら。この俺みたいに、首ちょんぱされても生きて戻ってこれたりするんだからな」


 縫い目、どころか縫い糸とさえ同化しているその生々しい首の傷跡を見て、少年たちは顔を真っ青にさせて喉をひくつかせた。

 それがおかしくて、喉から笑う。

 きゅ、と地面を鳴らして、彼は踵を返した。



 ◇◇◇◇◇



 潰れた小さなフィットネスジム。

 それが、クレイジージャックの家だ。一人で入るには大きすぎる風呂に入り、幾つかのシャワーを気まぐれで使い、身体をしっかりとキレイにしてからロッカールームへ。

 ただし、身体を拭うのはテキトーだ。ぼさぼさの白髪は右目だけを隠し、真っ赤な左目はギラギラと、どこか狂気を孕んでいる。どこか美女にも見えるような相貌も、こうなると台無しだった。

 整然と並ぶロッカーの上に座り、彼は足をぷらぷらさせながら宅配してもらったピザの蓋を開ける。


 ほわっと湯気が上がり、チーズの風味が広がる。


 まずコーラを流し込んで火照った体を冷やし、ピザを一切れ取る。

 クリスピー生地と、たっぷりのチーズ、そしてテリヤキソースに満たされた鶏肉。


「あー、マジ最高」


 大きく口を開き、ばくっと食べる。

 どろっとしたチーズが熱と塩気を伝えてくる。たっぷりの乳の香りの奥には、クリスピー生地のサクサクした食感。とろっと口から伸びるチーズ。

 それを舌で絡めとってから、口の中に入ってきていた鶏肉を噛みしめる。


 濃厚なタレの味に乗った、しっとりした甘さ。


 これが鶏肉の淡泊なのにジューシーな味わいにマッチする。

 こういうのは、熱いうちに食べる方がいい。クレイジージャックはガツガツと齧り、あっという間にひと切れを口の中に収めた。

 下品な音を立てて、ごくりと飲み込む。口の中に残った脂はコーラでしゅわっと洗い流した。ぷはぁ、っと息を吐いた。


「あー、たまんねぇわ」


 ぷらぷらさせる足下には、脱ぎ捨てたゲッコウスーツ。

 制作費用は数十億もかかっているのだが、彼は気にしない。ガツガツとピザを食べ、コーラで胃を満たす。


 それを何度か繰り返して、ようやく満たされた。


 ハンカチなんてものはない。

 ぐいっと手で口元を拭う。汚れたらまたシャワーすればいいだけだ。

 そもそも、そのつもりでクレイジージャックは何も纏っていないのだ。見事なまでに統制の取れた筋肉には、幾つもの縫合痕が走っている。


 この傷の一つひとつが、国が彼に犯した罪だ。


 こうして見せつけないと、腐る気がして、消えてしまいそうな気がして。

 これがないと、クレイジージャックはクレイジージャック足りえないのだから。


「あ、あのぅ、おじゃまします」


 意味のない感傷に浸っていると、おどおどした声と共にドアが開かれた。

 入ってきたのは、青を基調とした制服に身を包んだ、大人しそうな黒髪の女性だった。一歩進むたびに、ぷるるん、とそのたわわな胸が揺れる。


 ――メロンだ。スイカだ。いや、パラミツだ!


 ごくり、とクレイジージャックは喉を鳴らしたくなるが、それを堪えた。

 警戒心が勝った結果だ。

 しれっとロッカー傍に置いていたハンドガンに手を伸ばしつつ、クレイジージャックはニヒルに笑う。


「あの、クレイジージャック……さんですよね?」

「おいおい、分かっててやる質問なんてナンセンスだろ。腐った納豆みたいなことすんなよな、ダッセェ。こんなアキバの外れのちょっと古いビルで潰れたフィットネスジムになんて住んでる酔狂なヤツとか、俺以外の誰がいるんだよ? それともなんだ、アレか? はいそうです。僕がクレイジージャックって答えればいいのか?」


 呆れつつも威嚇を送ると、女性は黒くて綺麗な髪を揺らして怯えた。

 また胸が揺れる。


「けっ、そのパラミツに免じて許してやるよ。ああそうだ、俺はクレイジージャックだ」


 認めつつも、クレイジージャックは距離を詰めさせることを許さないし、動かない。この高い場所が有利だと知っているからだ。

 銃刀法が整備されたこの日本で、ハンドガンを所有しているこの事実は、彼がいかに周囲を信じていないかを物語っている。


 女性はそんな威圧を感じたのか、更に怯えながらも、懐から身分証明を出した。


「わ、私は、Cabinet Office Special Security Force.――内閣府特務公安隊のものです、コードネームは《サンダーソニア》」


 クレイジージャックは絶句した。

 同時に、沸き上がるのは、怒りと、喜びと、呆れ。複雑に絡まったその感情は、強烈なまでの乾いた笑いを呼び起こした。


「は、ははははっ! COSSeFコセフ――政府でも極秘の極秘、存在さえほとんど知られていない特殊部隊が何の用だよ。この国家機密の塊である、この俺に。とうとう消すつもりになったか? あれか、政府連中はとうとう集団でぶっ飛びたくなったのか? 俺が死んだらどうなるか分かってるよな? 政府がボン! だぜ」

「そんな短絡的思想はやめてください……です。別に、我々は、あなたを始末するつもりはありません」

「あ、そう。じゃあ何の用事だ?」

「……ただ、あなたの行動は、あまりに奇想天外。自由過ぎます。国を守る組織に所属しているのなら、もう少し……」

「おい間違えんな。俺は腐っても首輪なんて繋がれてねぇよ。俺はあくまでもフリーエージェントだ。金になるからこの仕事をやってやってるだけだよ」


 おどおどしながらのサンダーソニアのセリフを切り裂いて、クレイジージャックは口を挟み入れた。


「……国を守っていることには違いありません」

「回りくどいな。俺、若いから早いんだよ。じっくり一回じゃなくて、何回もするタイプなの。だからさっさと目的を言え。あと、真実もな」

「――あなたに異世界ニアの組織と内通している疑惑がかけられています」

「……はっ。面白い話だな」

「その疑惑の真偽を確かめるために、私が派遣されてきました。貴方のお目付け役として」


 怯えながらも、真っすぐな光を宿したサンダーソニアに射抜かれ、クレイジージャックは舌打ちした。厄介な香りを感じ取ったからだ。


「その真偽を確かめたとして、内通してるって判断したら?」

「超法規的措置として、あなたを恒久的に拘束します」

「国を守る行為に加担するから、俺にはあらゆる自由が許されている。それを逆手に取るってことか。俺が死ななければ、機密は外に漏れないからな」


 素早く相手の思惑を読み切り、クレイジージャックはため息を吐く。

 こういったメンドクサイことは嫌いである。同時に、縛りつけられるのも嫌いだった。


「なぁ、俺はただ楽しく生きてるだけだぞ? お前らのせいでメチャクチャにされたこの人生と身体で! ……って、アンタに怒っても仕方ないか」 

「心中はお察しします」

「表面だけの薄っぺらい言葉なんて要らねぇよ。鮭の皮か? 炙るぞコラ」


 そう悪態をつきつつも、拒否ができないことは悟っていた。

 もし拒否すれば、それだけで内通が事実だと認定されてしまうからだ。今、彼の足元は明らかに薄氷だった。


「それで? どうすれば良いんだ?」

「これから二十四時間体制で、私があなたを監視します。任務の間も同行します」

「おいおいマジか。お前が? こんなどんくさそうなお前がか? ビビりのお前がか?」


 それはそれで楽しそうだ、と思いつつも、クレイジージャックは責め立てる。

 楽しそうではあるが、今の楽しいと思っていることを妨害される可能性もある以上、それは拒絶すべきことだ。

 思わずクレイジージャックは前のめりになった。


「はい、そうです」


 サンダーソニアは、怯えながらもハッキリと言い切る。勇気だけはあるようだ。だが、それが行動に出来なければ意味がない。


「は、はははっ! 出来るもんならやってみろって感じだな。言っとくけど、俺は好きなようにさせてもらうぞ。文句はねぇよな?」

「……はい」

「じゃあ手始めに。そのでっかいパラミツ揉んでいい? 夜の相手をしてもらおうか」


 わきわきと両手を動かして言うと、サンダーソニアは途端に顔を真っ赤にさせてから、素早く一歩退いて太ももの黒いパンストに巻いていたホルスターからハンドガンを抜いて構えた。

 その銃口は、一瞬にしてクレイジージャックの心臓をポイントしている。

 実に見事な動きだ。良く訓練されている。


「セ、セクハラは。やめてもらえますか? ……撃ちますよ?」


 ――そして、かなりぶっ飛んでいる。

 それが、気に入った。

 クレイジージャックは、思わず我を忘れて大きな声を出して笑った。


「はっはっは! 最高だ、最高だなアンタ! 良いぜ、認めてやるよ。俺のお目付け役として、せいぜい頑張ってくれ!」

「なんだか複雑ですけど……それはどうも。……ところで、パラミツって何ですか?」

「知らねぇのかよ。世界最大の果物だ。お前さんのソレにはぴったりだろ。カップは? F

どころじゃねぇだろ」


 そうマジマジと見つめると、サンダーソニアは更に顔を赤くさせて両手で胸を覆う。だが、その豊満な胸がより溢れるように強調だけで意味がない。むしろサービスだ。


「こ、この、変態さんっ! サイテーです!」

「はっは! ――Yes.I am crazy jack」


 褒め言葉を受けて、クレイジージャックはそう答えた。


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