第14話


「話とは一体何ですか」


 雪花は紅家の門前で、林汕子と顔を合わせていた。雪花のいきなりの訪問に、汕子は嫌な顔はしないが怪訝そうな表情である。珠華も遠くからこちらを心配そうに眺めている。


「すみません、いきなり。でも、汕子さんにはちゃんと言っておきたかったんです。…今更、と思われるかもしれませんが」


 雪花は拳を握ると、自分より背の高い汕子を見上げた。そして、勢いよく頭を下げる。


「ごめんなさい」

「!?」

「志輝様にとって、自分は身分不相応とか言ったのはただの言い訳で…。自分が半端だったんです。私、馬鹿だから、いつも気づくの遅くて…。人の、特に自分の気持ちなんて、今まで考えることがなかったから。…それに私は、私にないものを持っている貴方を羨ましいと思ったんです。堂々と、彼の横に並べる貴方を眩しく感じました」

「!」


 雪花はそう言うと、ゆっくりと面を上げた。そして汕子の黒曜の目を真正面から捉えて、深く息を吸い込む。


「…あの人を傷つけてしまってから気づいたんです。本当に、私は馬鹿です。…でも、このまま諦めたくありません。自分の気持ちに正直でありたい。だから、卑屈になってないで、やれることはやってみようと思います。今日は、それだけ伝えに来ました。手遅れかもしれませんが、私も足掻いてみます」


 汕子は何も言わなかった。ただ雪花の言葉を、真っすぐな目を受け止めている。


「…お時間とらしてすみませんでした。話はそれだけです。失礼します」


 そして雪花は礼をとると、星煉が待つ馬車へと帰って行った。

 汕子はそんな雪花の後姿を言葉なく見送っていたが、ふと視線を爪先に落とした。

 夕陽に照らされ、地面に自身の影法師が伸びている。そして、後ろから近づいてくる人影。汕子はその人影―――珠華に向かって呟いた。


「珠華。あの子、ずるいわね」

「何か言われた?」


 馬車が出る。蹄と車輪の音を耳にしながら、汕子は力なく笑った。


「…私に嫉妬したんですって」

「!」

「普通は言わないわよ。ううん、言えない。だって、己の矜持が先に立つから。…あの子、率直すぎるわ。中身に飾り気がなさすぎる」

「あは…まあ、確かにそうかもね」

「志輝が選んだのも分かる。…でも、私だってこのままじゃいられない」


 汕子は一度息を大きく吸い込むと、珠華を振り返った。


「今日、志輝が帰ってきたら言うわ。私の気持ち、精いっぱい。後悔のないように」


 きゅっと拳を握った汕子は、そう言うと珠華と共に屋敷の中へと戻っていった。



 ◇◆◇



 ついこの間までここに居たというのに、随分と懐かしく感じるものだ。後宮の大門を潜り北蘭宮に足を踏み入れると、雪花は蘭瑛妃とその侍女達に出迎えられた。


「———雪花!」

「ご無沙汰しています」


 出迎えてくれた面々を眺め、雪花は深々と礼をとった。


「いろいろあったと聞いていたけど、元気そうね」


 ふふ、と朗らかな笑顔を浮かべるのは蘭瑛妃である。

 どこまで彼女が知っているのか分からないので、とりあえず「まぁ、それなりに」と言葉を濁しておく。顔を上げて皆を見渡してみれば、皆それぞれ元気そうな表情をしている。ただ、そこに静姿の姿がない事だけが残念である。

 元気娘の鈴音が前に進み出て、雪花の手を握った。


「おかえり、雪花。噂は皆で聞いてたよー。まったく雪花ってば、志輝様相手には臆病になるんだねえ」

「う…」


 開口一番、無邪気な顔をして本題に触れてくれる。雪花は目を逸らして呻けば、その雪花の額を一水が指でつつく。


「本当になぁ。なーんで強気でいけないかなぁ。こっちじゃ皆やきもきして、無理やりそういった状況作り出そうとか言ってたんだ。蘭瑛様なんて、そのために媚薬効果のある幻の酒を取り寄せて二人に盛ってやるって意気込んでたんだから」

「あら、もう取り寄せてるからいつでもいけるわよ」

「やめてください、蘭瑛様。貴方、そのうち本当に捕まりますよ」

「…」


 ぐっと親指を立てる蘭瑛妃に、呆れる明明。

 当人の雪花は盛大に顔をひきつらせた。

 そういった状況ってなんだ。媚薬ってなんだ。

 酒なら普通の酒をくれ。普通でいい。そんな効果は求めてない。

 身震いしながら結構ですと首を振れば、雪花が入ってきた扉から人影が現れる。


「なら、ちゃんと自分で頑張りなさいよ」

「まぁ桂林様。そう言いながらも、手伝うために来たんでしょう?」


 むすっとした表情の桂林妃と、おっとりとした麗梛妃である。


「ち、ちがうわよ!私は、そう、志輝様の為よっ。こんな地味な子、何の準備もなく一人で舞台に立たせたら彼が恥をかくじゃないのっ。それにやるからには、頭の固い狸やらを徹底的に黙らせなきゃ意味ないのよっ」

「ふふ。つまり、やるなら徹底的にぶちかませ、というわけですよね」

「そんな物言いしてないでしょっ」

「いえ、してますよ。というわけで雪花さん、私達も手伝わせて頂きますね」


 どこからともなく集まってきた妃達に、雪花は激しく困惑した。


「あの…。よく事情が飲み込めていないんですが、私は一体どうすれば…」


 とりあえず、星煉に急かされて後宮ここまでやってきたのはいいが、何をすれば良いのだろうか。

 大体、風花雪月を皆の前で舞うのだって、何のためなのかいまいち分かっていないのに。

 呑気に首を傾げていると、星煉と鈴音に腕をガシッと掴まれた。


「宜しいですか、お妃様方」


 にやりと笑った一水に、三人の妃達は大きく頷いた。


「え、あの、一体、何、え、本当に何、」

「悪いけど雪花。時間がないから服、脱がすよ」

「は!?」


 一水は両の指をわきわきさせると、雪花の悲鳴を他所に、彼女が来ている服を全て取っ払ったのであった。



 ◇◆◇



「うーん。思った以上に、胸周りに詰め物しないといけないね」

「そうだね。それに丈も調整しないと。思っていたより長いしな」


 下着姿にひん剥かれ、雪花は一水達に囲まれて色々と好き勝手に言われていた。

 一水はどこから持ってきたのか、美しい藍白の裙裳を雪花に合わせ、星煉と共に長さを調節するために仮止めをしていく。裙裳は裾に向かって色が濃くなるように染められており、今仮止めしている裾の部分は天色だ。白い背子は薄っすらと透けていて、衽には同じ天色の雪輪桜文様が施されている。絞める帯は銀糸が編み込まれており、いくら装うことに疎い雪花でも高級な代物だという事は分かる。


(た、高そう…)


 一体いくらの金額を身に纏っているのだろうかと、不安になる。

 一方の妃達は、自ら化粧道具を手にして唸っていた。


「化粧は…。うーん、なんか微妙に紅が似合わないわねえ。浮くというか、」

「この子の顔が薄すぎるのよ。薄紅の方がいいと思うわ」

「なら、赤は目尻に持ってきたらどうでしょう。あと髪は…」


 相変わらず桂林妃は率直な物言いをしてくれるが、事実であるため反論できない。それに化粧の技術ノウハウも分からないから、なされるがままだ。


「あの、これは一体…」


 皆忙しなく意見を交わす中、雪花は恐る恐る尋ねた。

 大方予想はついているが、この衣装はもしかして―――。

 すると、蘭瑛妃が紅を筆にとりながら目を細めて笑んだ。


「雪花、言ったでしょ?援護するって。これを着て舞ってちょうだい」

「でも、こんな高価そうな、」

「値段なんて貴方が心配しなくとも大丈夫に決まっているでしょう!?あなた、本当に馬鹿ね。誰も請求なんてしなくてよ!」

「はぁ…」


 しり込みすれば、すかさず桂林妃からお叱りを受ける。


「あのね、雪花。本当に遠慮しないで。これはね、私達が貴方にお世話になったお礼でもあるのよ。…私は貴方に助けられて、無事に帰ってこれた」


 蘭瑛妃は邑璃妃に捕らわれた時の事を思い出したのだろう。僅かに瞼を伏せた。

 雪花だって、思い出せば未だに胸がきしむ。あの時、目の前で姉を失った悲しみは、この先も消えることは無いだろう。

 蘭瑛妃は手巾で雪花の紅を拭うと、代わりに薄紅を載せていく。


「それにね、もう一度こうして桂林と話すきっかけをくれたのも雪花なのよ。忘れちゃったかしら」

「…あ、」


 そういえば、そんなお節介を焼いたこともあったことを思い出す。


「貴方のおかげで少しはわかったみたいだから、仕方なく、たまに。…そう、たまーにお茶してるのよっ」

「まぁ桂林様、嘘は良くないですよ。最近ではしょっちゅうお茶会開いているじゃないですか」

「そ、そんなことないわよ!たまによ!」


 相変わらずのツンデレぶりは健在のようだが、ともかく二人が仲直りできたならよかったと、雪花は小さく笑った。

 ここで過ごした思い出は、何も辛いものばかりではない。

 すると、それを見逃さなかった桂林妃が頬を赤くして、むっと眉間にしわを寄せる。


「何笑ってるのよ!」

「い、いえ、」

「言っとくけど貴方、このままのんびりできるとか思ってないでしょうね」

「え?」


 衣装合わせのために連れて来られたんじゃないのかと目をぱちくりさせていると、桂林妃は手を叩いて女官達を呼んだ。

 彼女達はそれぞれ楽器を運んできて、すぐに弾けるように準備を整えると出て行ってしまう。


「あ、あの。これは…」


 そこには古筝に二胡、龍笛が置かれている。


「うん。紅はこの色でいいわね。衣装はもういいかしら?」

「はい、蘭瑛様お任せを。今から手直しします」

「よろしくね」

「あ、あの、蘭瑛様…?」

「何かしら、雪花。もう採寸は終わったから服に着替えて。時間がないんだから、さっさと始めるわよ、練習」

「練習…?」

「ふふ、演奏は私達が致しますから、大船に乗った気分で踊ってくださいね」


 き、妃達に演奏させて自分が踊るだと…?

 そんな恐れ多いことできるかと言いかけたが、三人の妃達はやる気満々で———今更断ることなどできそうにない。特に桂林妃あたりには、「黙ってやりなさいよ!」と張り手をお見舞いされそうだ。

 それに、既に妃達三人はそれぞれ楽器を構えて音を出し始めている。


(…遠慮するなんて、今更無理か)


 雪花は大人しく諦めて、言われた通り元の服に素早く着替えた。

 そしていつも通りに髪を後ろで一つに結ぶと、明明が雪花に扇を差し出す。


「これを使いなさい」


 扇を受け取りながら、雪花は思案顔でそれを見下ろした。

 確かに、風花雪月を舞うなら普通は扇なのだが…。


「雪花、明明は舞踏が上手くてね。超手加減なしだけど、きちんと見てくれるわ」

「…」


 それって、俗にいう厳格教育スパルタなのでは…。

 口許をひきつらせながら、とりあえず今は、手の中にある扇を使うことにした。


 あとから、許可をもらってあるものを庭園に探しに行こうと考えながら。

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