花街の用心棒【 雪解け桜に想いを乗せて】

深海亮

第1話

 雪が敷かれた山道を登り、雪花は家族の墓前に立っていた。まだまだ寒い季節だが、ちらほらと紅白の梅が咲き始めている。


「皆の汚名は、とりあえずは晴らせたのかなぁ」


 白百合を供え、雪花は掌を合わせて亡き家族に報告をする。

 とりあえず、という中途半端な物言いには勿論理由がある。

 迦羅から戻ってきてから、あの狸爺は雪花との約束通り、先王弟が引き起こした事件の再審を行えるように働きかけた。

 だが王家の手前、先王弟の存在を公にすることはやはりできないようで、結局存在もしない賊による犯行として処理するよう仕向けたのだ。

 花街にお忍びでやってきた翔珂から詳細を聞いた雪花が、なんじゃそりゃ、と突っ込んだ事は言うまでもない。

 両親の潔白は証明されたが、真実は闇の中というわけだ。

 雪花の気持ちを十分理解している翔珂は、雪花に頭を深く下げ詫びた。全てを公にできなくて済まないと。

 だが雪花とて、翔珂の気持ちも分かるのだ。国と王家と、そして雪花達一家の板挟みにあっていることを。だから雪花は、彼を責める事などできるはずもなかった。


(真実が公になれば国は大きく混乱する。それに翔様だって被害者だけど、同じ王族の血を引いている難しい立場だし。志輝あいつだって、出自がばれれば色々ややこしくなる。…そんな簡単な話じゃない)


 せめてもの収穫といえば、事件の真相を隠し、事実を歪めた(現在もだが)太保は責任を取ってその任を自ら降りたことだ。どうやら自身が育った田舎に引っ込んだらしい。

 結局事実は歪められたままだが、両親達の身の潔白が天下に示された、というわけだ。


「…それでさ。名前を返してもらったけど、今まで玄雪花として生きて来た方が長いから。騒がれるのも嫌だし、雪花、としてこれからも生きるよ」


 本当は少し悩んだ。両親がくれた名を持って、再び生きることを。

 だけど、もう雪花は雪花なのだ。颯凛という名を、全てを奪われた過去の自分に返すことができたなら、それでいいと思った。

 それに今後迦羅との国交が開かれる事になれば、その名前から勘繰る輩も出てくるかもしれない。なんせ自分は、母の面影を強く継いでいるらしいし。


「…また来るから。今度来た時は、桜が咲いてるかな」


 まだ寂しい桜の木を見上げると、雪花は踵を返した。



◇◆◇



 花街での日常がやっと戻ってきて、穏やかな時間を雪花は送っていた。

 花街特有の問題ごとはあるものの、最近は比較的落ち着いている方だ。

 風牙も帰蝶の厳しい監視下で、せっせとまじめに働いているし。


「姐さん、団子買ってきたよ」


 墓参りからの帰り道に立ち寄った甘味屋で、萌萌が好きな団子を買って帰ると。


「ありがと」


 珍しく、女の客人がやってきていて話に花を咲かせていた。客人と言っても、その格好からして他所の妓女だ。

 真っ白な雪のような肌に、ほんのりと桜色に色づく頬。

 穏やかな光を浮かべる目は目尻が下がり、優しげで。言葉を話さずとも、壁を感じさせない柔らかさを持っている。

 目があって、雪花はぺこりと頭を下げた。


「こんにちは」

「こんにちは。お邪魔してます」


 桜色の唇から紡がれる声も、軽やかですっと胸に馴染む心地よい。


「雪花、この人は喜雨楼の美月さん。知ってるわよね?」

「何度か見かけたこと事はあるけど…」


 美月といえば、競争店である喜雨楼の看板妓女だ。


「ええと…。中に入れて大丈夫なの?」


 営業前とはいえ、さすがに色々とまずいだろうと雪花は萌萌に視線をむけるが、彼女は相変わらずのんびりした様子で、指で丸を作って笑顔で答える。


「だいじょーぶ。ちゃんと許可は取ってるから」

「そうなんだ」


 あの帰蝶がそう簡単に競争相手ライバルの配下を認めるだろうかと、内心首を傾げていると、それを察した萌萌が説明してくれる。

 萌萌はいつものんびりまったりしていて、年の割に子供っぽいところはあるが、感情の機微には敏感である。


「私達の面倒を見てくれた姐さん同士が姉妹でね。店は違っても、二人は時々会っていたから。その関係で、妹分の私達も交流が続いてるってわけ」

「だから萌萌とは姉妹みたいなものなんです。互いの楼主は仲が悪いけど、こうやって店に通して会わせてくれる当たり、二人とも存外に優しいところはあるんですよ。まあ大抵は、外で会うんですけどね」

「そうなんですか」

「ええ。でも今日は、どうしても報告しなければならないことがありましたので。こうしてやってきた次第なんです」


 そう言うと美月は萌萌と目を見合わせて笑んだ。


「美月ね、身請けが決まったの」

「それはおめでとうございます。…でも、そんなに条件の良い方なんですか?」


 大抵身請け話のお相手といえば、そっちにしか興味のない好色爺だったり、女を物扱いする尊大な金持ち野郎が多い。そんな男の傍に一生侍らされるのであればと、女は嫌がるものなのだが、彼女の表情はどうにも嬉しくてたまらないようだ。


「聞いてよ雪花。美月ったら、幼馴染に身請けされることになったの」

「へえ、幼馴染ですか」


 それはまた珍しい。萌萌は団子を包んでいた笹の葉をめくりながら頷き返す。


「昔に将来を誓い合った男が迎えに来てくれる。…素敵じゃないっ。まさかこの花街で、そんな夢物語が聞けるなんてねぇ」


 照れる美月を萌萌は肘で小突きながら冷やかす。


「本当におめでたいですね」

「ふふ、ありがとうございます」


 照れ隠しをするように、やや俯いて髪を梳いている美月を見ながら、可愛い人だなぁとぼんやりと眺めた。


(身請けねぇ…)


 結婚なんて、やっぱり自分はまだ考えられないな。

 というか、似合わない。想像するにも難がある。全然思い浮かばない。違和感しかない。

 萌萌が茶を差し出してくれたので、饅頭にも手を伸ばそうとしたら、なぜか饅頭だけが遠のいた。

 何で、という目を萌萌に向けたら、彼女はにたりと笑っていた。

 ろくでもない笑顔だ。


「雪花。あんたは志輝様の事、どうするつもり?」


 ほら、来た。


「どうもこうもないですよ」


 そう言って、遠のく饅頭を捕まえようとすれば、饅頭が今度は美月の元へと渡ってしまう。


「もう、雪花ちゃん。あんな方を放っておいたら、どこの馬の骨とも分からない女に取られちゃいますよ。志輝様はこちらでも大人気だったんですから」


 饅頭を食みながら、事情を知っているのか美月も参戦してくる。


(そういや後宮にいる時、蘭瑛様が何か言ってたな…。確か、後腐れのない女が好みと言っていたから、こういった場所に来ていてもおかしくないか)


 などとぼんやり思い返しながら、何でそんな奴に心を許してしまうことになったのかなぁ、などと今の自分の状況を冷静に考えてしまう。そして逆も然り———何故奴も、自分なんかを選ぶんだと。


「へぇー。志輝様、そっちに通ってたのねぇ」

「時たまよ。ほら、あの顔じゃ目立つでしょ?だからその辺り、賢い姐さん達がお相手してたみたい」


 なるほど、やはり蘭瑛様の言う通りだったようだ。まぁあの性格じゃ、べたべたくっついてくる女は好みじゃなさそうだ。


(大人な関係って感じだねえ)


 悪いが雪花は、そんな女性から真逆に位置する。閨で楽しませる身体も技も持っていない。まぁ知識くらいなら、姐さん達から色々聞いているからあるにはあるが、何せ実践経験(雪花的には実戦である)がない。


(ってことはやっぱりあいつ、何か勘違いしてんじゃないか?胡散臭い催眠術にでもかかっていて、自分の好みと真逆な女を選んじゃうとかさ)


 考えれば考えるほど、ますます紅志輝という男の嗜好が分からない。

 難しい顔をして黙り込む雪花を見て、何かを勘違いした美月が、慌てた様子で言葉を付け加える。


「あのね、でも志輝様に馴染みの姐さんは居なかったから安心して!」

「あらぁ、雪花ったら立派に悋気?少しは女の子らしくなったじゃないのぉ」


 二人はそう言うと、ようやく残った饅頭を差し出してくれる。

 雪花は彼女達の話を右から左へと聞き流しながら、とりあえず饅頭を受け取って齧りついた。


(…考えても分からないことは、考えなくていっか)


 邪魔くさくなった雪花は、その思考を放棄することにした。関係が進むなら進むのだろうし、後退するならそこで終わりだ。それに奴は、現実をいまいち見れていない気がする。


「あー…雪花?」


 すると萌萌が、黙りこくったままの雪花を恐る恐る覗き込む。


「はい?」

「怒ってる?」

「何でですか?」


 と首を傾げたところで、雪花は「―――あ、」と目をぱちくりさせた。


「な、何よ、雪花」

「忘れてました」

「何を」

「饅頭代」


 そういって手を差し伸べたら、萌萌に足でどつかれた。



 ◇◆◇



 紅家本邸に現れたのは、志輝の叔父である紅優である。彼は駿や麗梛の父親で、志輝の父親の弟だ。最近年と共に肥えてきていて、後ろに控える長男の駿からは食事制限するようにくどくど言われている。現に今も、志輝の前には煎餅と饅頭が用意されているが、優の前には茶しかない。

 甘いものが食べたいのだろう。ちらり、ちらりと茶菓子に視線がいくが、そのたびに駿が咳払いしている。あまりに可哀想なので杏樹に下げてもらった。

 ああ、と遠ざかる茶菓子を悲しそうに見送る優に、背後にいる駿が再び大きな咳払いをするので、彼はようやく居住まいを正した。


「それで志輝や。お主、本当にその娘を娶るつもりか」

「ええ。叔父上には先に伝えておこうと思いまして」


 ようやく落ち着いて本題に戻れそうだ。

 志輝がはっきりと言葉にすれば、優は大きく頷いた。


「私は反対せんぞ。惚れた女を娶るのが一番良い」


 優は俗にいう恋愛結婚推奨派である。だが哀しい事に女の本性を見抜く勘を持ち合わせておらず、いつも駄目男ならぬ駄目女を引いてしまう。

 前回、彼の金を散財した叔母とはすでに離縁しているが、これで四回の結婚を繰り返しているのだ。ちなみに駿と麗梛は初代奥方(一番目の妻)との間にもうけた子である。

 彼は悪い人ではないし、おおらかで人当たりは良いし、仕事はきちんとできる。ただ、女運だけが絶望的にない。

 だがまぁ、言い換えればそれだけ恋には一直線なので、志輝の味方についてくれる有力者の一人だ。


「叔父上ならそうおっしゃってくれると思っていました」


 志輝はにこりと笑んだ。


「無論だ。花街で働いておろうが関係なかろう。今までだって、妓女を娶ってきた貴族などわんさかおる。それに彼女は武人なのだろう?強そうで良いではないか。駿さえ負かしたと聞いたしな。それだけで箔はついている」

「…父上。あれは油断しただけです」

「ほっほっほ。負けたことに変わりはあるまい。だがなあ―――」


 優は笑いを引っ込めると、両腕を組んで低く唸った。


「あいつは私と違って、そう簡単にはいくまいよ」

「ええ、分かっています。大反対されるどころか、黙殺されて終わりでしょうね。その上、絶対に彼女の件を持ち出してくるはずです」


 優の言うあいつとは、もう一人の叔父の事である。その者は、目の前にいる優とは真逆の性格をしているのだ。


「…だが、お主は馬鹿ではない。何か考えがあってのことなのだろう?」


 優の問いかけに、志輝は笑みを深めた。


「勿論。いつ横やりが入るか分からないのでね…。利用できるものは全て利用しますよ。やっと心を向けてくれた彼女を、私は手放す気などありませんから」


 美しい笑みとは裏腹に、志輝の眼光は獲物を狙う鷹のように鋭く、そしてどこか蠱惑的で。優と駿は、思わずごくりと唾を飲んだのであった。


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