僕の根底にある理由

碧い高鷲

第1話

「これから話すのは僕がこの研究を始めた理由、もっと言えば僕が欲するもの。興味がない、と思う人は別に聞かなくてもいいよ。でもせっかくこれから一緒に研究をする同士なんだから、人の研究動機を知ることは多分、この中の人には悪い話ではないとは思うんだ。だから、聞いてほしい。僕が、研究を始めた理由を。僕の根底の部分にある、意欲という名の基盤を」




 誤解されがちだが、緊張というのは悪い事ではない。緊張というのは自分が失敗したくないという意志の表れであり、それは自分が何かに対する本気さを証明するものである。だからこうして心臓が激しく動くのも、手が微かに震えるのも、少し汗が出るのも、しょうがないことなのだ。まあ、この汗は緊張によるものなのか疑わしいが。それを踏まえても、これらは正常の反応だと言えるだろう。僕は緊張する時にいつもこの流れを考えるようにしている。そうすれば緊張を敵として見做すことはなく、仲間と思えるから。敵だと思っているものを仲間と見ることが出来るようになれば、少しの有利性が確かめられ、僕は何でも出来るような気がしてくる。素晴らしい。そのような長考を経て、ゆっくりと目を開ける。黄色に濁った白色の光が、僕の目の奥を刺激する。角膜、虹彩で量を調節された光、水晶体、網膜、視神経、脳。光が目に入って、脳へ伝えるまでの大まかな流れだ。ちゃんと記憶してあるな。僕が思うに、学んだことを常にアウトプットするという姿勢があれば、勉強なんてインプットとして教科書を見るだけで十分である。だから僕は、勉強はどのくらいしてるの、と聞かれればいつもこう答える。寝ている時間以外だ、と。もっと言うと、睡眠時には記憶の整理がされているらしく、睡眠時間を勉強時間と仮定するなら、僕は常に勉強しているという事になる。生きることそのものが勉強。なんて素晴らしいことなんだろう。常に自分を高めていること以上に、誇らしいものがあるのだろうか。急な、土の香り。草の香り。来た。また、来た。僕は勉強についてというか、何かの物事を考えると、時々これが起こる。誤解がないように一応言っておくけれど、この時僕は別に外にいた訳ではない。風が靡く草木の真ん中にいたわけではない。僕がいるところは教室で、そこらにある全部の窓は閉められており、ニオイ成分が嗅神経に反応する訳がない。というか、この香りは鼻を通って刺激されているというよりかは、脳へ直接刺激されているような不思議な感じだ。これを踏まえて予想すると、これは記憶によるものだろう。匂いを嗅いで何かの記憶を刺激するように、何かの記憶が嗅覚を刺激することもある。殆ど憶測だが。しかしそれよりも考えるべきなのは、何の記憶がこの香りと結びついているかだ。記憶力には自信がとてもあるのだが、これだけは思い出せない。けれど、とても大切なものな気がする。僕の根底にある、これがないと僕は何もできないと思わさせられるようなものな気がする。胸の中に鉛の異物があるような感覚に陥る。吐き気。気持ち悪い。まあ、しょうがない。思い出せないのは、仕方がない。そう割り切る。今はそれに気を取られている場合ではない。これからテストなのだ。余計な思考は取り除け。試験官の口から、試験の開始を意味する振動が、空気を伝わって僕の鼓膜を振動させる。鼓膜の振動が耳小骨へ伝わり、渦巻管内のリンパ液へ伝わり、リンパ液の振動の刺激を聴神経が感じて、脳へ伝わる。よし、ちゃんと定着してある。目の前にある紙を裏返し、名前の枠を探す。ここからテストに集中したけれど、やはり胸の取っ掛かりはなくらなかった。




 なぜだ。単純な疑問が自分の脳内を支配する。現実逃避にも似た思考停止を続けること数秒、やっと思考が流れ始める。まずは、状況整理を始めよう。まず、いつ。今は六時間目だ。まだ日は昇ったままで、僕らに恵みと害と熱を与えている。次に、どこ。僕らが普段なんの面白みもなく、授業を受けている教室。因みに、僕は学校の授業が嫌いだ。勉強するのが嫌という最上級に愚かしい考えなどではなく、単純な答えだ。それは、時間に見合った内容がないからだ。まず教師が生徒に教えるべきなのは教科書の一ページ目ではなく、勉強に対する考え方だと思う。勉強をする意味。勉強の楽しさ。つまり、勉強の心と言うべきものを最初に教えるべきである。心の授業。それが、最重要優先項目である。それを、僕らの教師たちは教えようとしない。なぜだろうか。多分、それは怖いからだ。勉強の基礎の基礎。一番根底にある基盤がこれであり、これが違うと全てが間違ってしまう。とても、重要なことだ。だから、責任も生まれる。しかし、これを教えずに何を教えるというのか。これを教えずにどうして教壇に立てる。謎だ。本当に、自分も。話を戻す。次に、何を。僕らはついこの前受けたテストを返されている。これが、今回の最大の問題だ。大丈夫。どこ、の部分で思考が安定し始めた。僕は再度、返されたテスト用紙に目を通す。結果、二位。二位、ね。再度、自分自身に問う。なぜ、二位を取った。自慢というか、事実なので誇ることも何もないのだが、僕は今まで一位以外の順位を取ったことがない。順位表には、一という数字と隣に膨大な他の生徒の数が載っている事以外あり得なかった。全てが当たり前の事だった。けれど、それが崩れた。椅子に座っているのにも関わらず、足元が不安定な感じがした。足裏の皮膚が床を溶かして、沈んでいくような気がした。有り得ない。記入ミスか。いや、違う。五回ほど見直した。印刷ミスか。仮にそうだとしても、どう訂正してもらうのか。それで本当に二位だったら、僕は。意図しない汗がいっぱい出てくる。心臓が激しく鼓動する。息が荒くなる。これは、何。戸惑いか。それもある。劣等感か。それもある。けれど、もっと主なのがある。これは、焦りなのか。なぜ、僕は。

「ねえ、どうかしたの」

 穏やかだがよく通る声が、僕の耳へ入る。うつむいていた顔を上げて、隣を見る。人がいた。一人だけ。帰りのホームルームは終わったのか。どのくらい時間が経っていたのか。時計は、七時を指している。すごい時間が経っている。いや、違う。それくらい感情が揺れていたのか。一旦、目を閉じる。落ち着け。考えるのは、後だ。取りあえずは、感情を落ち着かせろ。激しく鼓動していた心臓は徐々に落ち着いていき、気持ち悪いくらいに出ていた汗は鳴りを潜めた。よし。目を開ける。改めて、僕に話しかけた人を見る。女性だ。彼女も、席に座っている。僕の隣に。同じ制服。頬杖をついて、足を組んでいて、挑発的な笑みを浮かべている。記憶が確かなら、僕の隣の席は学年二十九位で、その子は長い髪で活発的な女性だった気がするが、僕の現在隣に座っている女性は短髪で雰囲気は落ち着いている子だ。こんな子同じクラスにいたかな。記憶力には自信があるが、興味がないものは覚えづらいからな。まあ、そんなものどちらでも構わない。その態度は少し癪に障るが、今は早急に考える必要があるものがある。

「いえ、なんでもないんで大丈夫です」

 出来るだけ簡潔に答えて、僕は帰りの支度をする。手にテストの用紙を持つ。支度と言っても、鞄を持って帰るだけなのだが。僕の教科書は、全て頭のなかにあるからだ。席を立ち、直ぐそこにある扉に手をかけようとしたが、それは果たされることはなかった。いや、自分で踏み止まった。何故なら、その子から発せられる言葉の振動を聞き逃すわけにはいけなかったからだ。

「そのまま帰るのも構わないんだけど、多分君が欲している答えを私は知っているよ。だって、そのテストの一位は、私だもの。それについて君は私と話すべきだと思うんだけど、君はどう思うのかな」

 今、なんて言ったんだこの女。自分がこのテストで一位、と言ったのか。そうだよな。それしかないよな。つまり、こいつが俺よりも上なのか。こいつの方が頭がいいのか。こいつの方が、俺より優れている。俺はこいつより劣っている。なんてことだ。こんな初対面の人に挑発してくるような失礼な奴に、俺は負けたのか。疑問、憤怒、劣等感、自己嫌悪。色々なものが僕の心を染め上げる。多分、生きていた中で一番動揺している。こんなの初めてだ。だから八つ当たりの面もあったのか、愚かしい素直さで奴に振り返った僕は聞いた。

「で、なに。それが何なの。お前がそれを僕に言って、何になるの。それが、君にとって何をもたらすの。自慢か。そうか、自慢か。そうやってちょっとした優越感に浸って何になるんだよ。答えろよ」

 興奮していて、後半の方は何を喋っているのかわからなくなっていた。旗から見たら、とても滑稽だっただろう。しかし、そんなことは滅茶苦茶動揺している僕にわかるはずがなかった。そのことを代わりに目の前の子が教えてくれた。

「そんなことないでしょう。なんで私が君に優越感を持たないといけないの。結構ショックなんだけど。何がって、まず私がそんなものに満足するほど小さい人間だと思われてること。次に君がこんなことで、とても動揺していること。ちょっと、笑っちゃうな」

 浮かべているのは、明らかな嘲笑。それに対した怒り、が心を染める前に他の感情が僕を染めた。それは、恥だ。大きな羞恥心。勝手に動揺して、勝手に八つ当たりして、他人に失望される。愚かだ。あぁ、早く誰からの視界に入らないところへ行きたい。誰にも干渉されないようなところに。でもまず、この子に謝らなければいけないのかな。常識的に考えてそうだろう。でもな。こんなに恥をかいてしまって、僕はこの子に関わる権利があるのだろうか。むしろ、何もせずにいた方がいいんじゃないのか。いや、しかし何も非礼を詫びないのは、それはそれで失礼な気がする。実際そうだろう。した方がいいな。謝ろうと目の前の子に、目線を向ける。焦点がなかなか定まらない、僕の目を満足そうに見た目の前の子は急に自分の鞄の中から一枚の用紙を取り出した。それは、その子のテスト結果だった。順位は、一位。当たり前だな。ここで、嘘をついていたら、僕は目の前のこいつに何をするかわからない。一位。ここで、疑問に思うのは何が僕と目の前の子に差をつけたのか。それが、気になる。即座に自分のテスト用紙を取り出す。綺麗にまとめられている欄を、見比べる。何が違う。何の差なんだ。間違い探しをする。順位は違う。それは、知っている。じゃあ、科目別順位はどうだ。国語、どちらとも満点。あった。僕と、目の前の子の差が。科目別順位の上から二番目。数学の欄だ。目の前の子は、満点。僕は、最終問題を落としている。数学の最終問題。わかった。あの問題だ。思考力を試す問題だ。

「私と、君の違いがわかったかい。もっというと、差だね。それは、考える力だよ」

 テスト用紙の向こう側から聞こえる。どんな顔をして言っているのだろう。気になる。いや、それよりも聞くべきことがある。

「どうやって解いたんだこの問題。この問題は、連立方程式でも二次関数でも因数分解でもなかった。対策のしようがなかった。公式に当てはめるわけでもない。どうしようもないだろう。どうやったんだ」

 そう、この問題は思考力を試す問題だった。今までの数学の知識が通用しない問題だった。解いたこともない。解いたことがないものをどうやって解けるって言うんだよ。

「君は大きな間違いというか、大きな誤解をしているよ。数学は、知識で解くものじゃないよ。今までは、それで通用してきたかもしれない。基本問題は、公式に当てはめて答える。応用問題も、その基礎から発展した考え方のそれ自体を覚える。これじゃ、だめなんだよ。自分で考えないと。確かに、そのやり方でも解ける。解けてしまう。多分、結構多くの問題がそのやり方で解けてしまう。もう一回言うけど、それじゃだめなんだ。なぜなら、それが通用しなくなる世界が必ず来るから。やり方が一筋で、答えがある問題は学生で終わり。もっと成長すると、答えがない問題が出てくる。そういう時はどうするの。きちんと、それを考えて欲しい」

 説教なのかな。わからないけど、正論だから言い返せない。反省だな。大いに反省。今まで、傲慢になりすぎていたんだ。誰にも負けなくて、ずっと一位で褒められてきた。生徒にも、先生にも、親にも神童や天賦の才など言われてきた。けれど、実のところは違ったんだ。ただ、人よりたくさん覚えていただけ。別に、知識が役に立たないなどとは決して思っていない。ただ、使い所が間違っていた。本質を見誤っていた。知識を使うところは、知識で。考えるべきところは、きちんと考える。それを、はき違えていた。自嘲の思いがこみ上げてくる。何を思い上がっていたんだと。けれど、ここで終わりにしてはいけない。僕は、もっと学ぶべきだ。目の前の子に。自分は、自分の実力を過信していた。ならば、それに見合うようにまた頑張ればいいことだろうに。何を迷っていたんだ。何を悩んでいたんだ。もう、小さなプライドはない。ならば、するべきことはたった一つだ。

 「僕に、もっと色々と教えて下さい」

 頭を下げ、誠意を示す。声を張り上げ、必死さを強調する。心臓が痛いほど、動いている。テスト前の緊張の比ではない。時間が長い。外では、夕日の下で運動部の掛け声が聞こえる。外で走っている人よりも、僕の心拍数の方が高いと思う。まだかな。長いな。しばらく耐えていたが、我慢できずに目線だけその子を見る。テスト用紙で隠されていた顔が見えた。その子は満足そうな顔で、首を縦に振った。急に、草の香りがした。土の香りも。いつもは不快に感じたこの匂いが、その時だけ何故か心地よかった。



「そこから、僕と彼女だけの授業が始まった。決まった日は指定されてないけれど、ほとんど毎日それは行われた。僕が自分の教室で、勉強していると彼女は来る。そして、彼女は僕に色々な事を教える。教えるというよりかは、僕が疑問に持った内容を彼女と話し合う。数学の話も、国語の話もする。それ以外の教科の話もする。それだけじゃない。普段僕が生活していて、ふと疑問に思ったことも一緒に話し合う。色々な話を。ここでは語り尽くせないほど多くの話を。でも、何も言わないのは寂しいから、一つだけ」

 


 ある日、僕は彼女に聞いた。

「どうして、そんなに君は天才なの」

 彼女は、天才だった。文句のつけようもなかった。思いもよらない斬新な考えをたくさん持っているし、僕が知っていることはほとんど全て知っている。知識量も桁違い。そして何より、思考の速さが異常だった。頭の中に電卓が入っているのかと錯覚させられるほど、計算が速かった。さっき言った、斬新な考えもその場でほんの数秒で思いついてしまう。僕には、全くもってできないことだった。だからせめて、どの位の差があってどうしたら追えるのかを知りたかった。そのためには、彼女の天才性を知る必要がある。だから、聞いた。けれど、返ってきた答えは意外なものだった。

「確かに、私は天才と呼べるね。でも、それは君もだよ。もっと言うと、誰にでも才能はあるしみんな天才なんだよ」

 流石に、それは違うと思った。なぜなら、実際に自分には何か他人よりも秀でているものがあると胸を張って言えない。昔はと言うか、彼女に会うまでは僕は自分の事を天才だと思っていた。けれども、それは違うと彼女に痛感させられた。そのような事を彼女に説明した。そしたら、こう返ってきた。

「君は、才能がどういうものかわかっていないね。確かに、世の中には天才と呼ばれて偉業を成し遂げた人がいるし、それと同じことをしろって言われても私も含めてみんなできない。でも、それはその人に才能がない訳ではないんだよ。もっと、才能の原点について考えようよ。才能の原点、それは個性なんだよ。どういうことかって言うと、つまり才能っていうのは個性が世の中に認められる事なんだよ。天才は、才能を持っているから凄いんじゃないんだよ。自分が持っている個性に実力を足して、世の中に認められたから凄いんだよ。こう考えると個性がある人は、みんな天才になることができるんだよ。そして、みんなは必ず個性を持っている。それは、先天的なものや後天的なものでも持っている。個性っていうのは、人と違うことだからね。極論を言うと、生まれたときから私達はみんな天才なんだ。じゃあ、そこからどうするか。そっちの方が重要なんだよ。まあ、それは今度語ろう。とりあえず、誰にも才能はあるって事。それは、君もだよ。しかも、君はその個性を世の中へ認めさせるだけの実力を持とう、と努力している。きみは、天才の中でも結構優秀な方だと思うよ」

 なんか、自分の凡人さを知りたかったのにそれを否定されちゃったよ。それになんか、元気がでる内容だったな。結構無茶苦茶だけれど、納得できる部分もある。特に、才能は個性が認められたものって言うのは心に残った。じゃあ、それをどうするかが問題なんだね。なるほど。自然と笑みが溢れる。やっぱり、君は凄いな。僕の予想なんて遥かに凌駕してくる。僕も頑張ろう。そう、思った。このような日々が、長く続いた。僕にとっては、毎日が新鮮でとても楽しかった。一つ一つが、綺麗なパズルのピースみたいに貴重だった。どれか一つが欠けては完成できない。そんな感じだった。けれど、僕はこのパズルだけは完成して欲しくなかった。



 窓に桜の花びらが数枚くっついている。風に流されてこんな所まで来たのかは分からないが、もしこの桜の花びらたちが意識的に僕に会いに来たとしたら、それはどういうつもりで来たのだろう。僕の制服の胸ポケットにある、造花に引き寄せられてきたのか。それとも、僕という人間のことについて興味を示してくれたのか。確かに、僕は他の生徒とは全く異なる動きをしている。他の生徒達は校門で写真を撮ってもらったり、普段とは違う雰囲気や言葉でお互いに話していたりする。まあ、仕方がない。今日は、特別な日なのだから。普段とは、違うことをするのが普通だ。けれど、僕は普通の生活をしている。晴れた日も、曇りの日も、雨の日も、雪の日も僕は放課後に教室で待っていた。学校に行ったら、必ず。普通、を行っていた。しかし、僕自身が普通を過ごしていようとも、環境が、時間がそれを許してくれない。足音が聞こえる。来た。穏やかな足取りで、意識して聞かないと聞こえないような足音が。そして、扉が開く。遠慮も、躊躇もない。しかし決して乱暴に開かずに、本来扉はこう開かれるべきだ、と思わさせられるほどの静けさと威厳を持った開け方だ。そして、一人の少女が教室に入る。短髪で、穏やかさをまとっている。背丈はそこまで高くなく、運動系と言うよりかは文学的な雰囲気を醸し出している。顔立ちは整っている方だと思うが、不思議な感じがする。女子中学生、と検索したら上から二桁に入るくらいに出てきそうな、あくまでも女子中学生という範疇の人形めいた感じがする。自然を僅かに意図的に外れさせた、不自然さな感じがする。扉を開けた彼女は、僕がいることを前提として教壇に立つ。そして、いつものように少し挑発的な口調で言葉を発した。

「いいのかい、友や先生と話せる数少ない機会だよ。あ、それとも友達がいないのか。これは、失敬。でも君のコミュニケーション能力不足は、最優先に改善すべき案件だね。それについて、君はどう考えるのかい」

 いつも通りだ。これにも慣れてしまった。彼女の挨拶みたいなものだしな。まあ、まだたまに怒りを覚えることもあるが。

「それよりも優先すべきは君の一回挑発をしないと、会話が出来ない件についてだよ。僕はまだ話しかけていないから相手にとってはマイナスの事柄ではないが、君のはマイナス以外の何物でもないよ」

 僕が、いつも通りに反論する。今でも、彼女の圧倒的な考えや思考速度には追いつけるかは微妙だけれども、背中は見えてきた。これは僕にとってはとても大きな成長だ。圧倒的で、超越していて、輪郭が見えなかったけれど、見えるようになった。けれども、もうそれも終わりかな。一通りの討論という会話が終わった。そして。次は。

「一つ疑問があるんだけどいいかな」

 いつものように、問う。

「いいよ、なにかな」

 彼女が返す。僕が聞きたいのは、ただひとつ。


「君は、一体何者なんだい」


 彼女は一瞬、驚いた顔をした。急な、草の香り。土の香り。でも彼女の表情は直ぐに隠され、とても満足そうな笑みを浮かべた。

「正解だよ。その疑問を、私は最後に君への宿題として出そうと思ったんだけど、これはもう私が関与するほど君は弱くなくなった。強くなった。もう、君は一人で生きていける。自分で学んでいける。何かに疑問を持ち続ける姿勢。あとは、その回答を探す手段が必要。でも、そのための知識と知恵も君は身に付いている。君は、もう一人前だ。遅れたけど、祝福させてもらうよ。卒業おめでとう」

 拍手の音が鳴り響く。彼女は、とても嬉しそうだ。自分が教え、育ててきた子が成長したことに大きな達成感を感じているようだ。満足そうだった。今までにない、感情の表し方だった。拍手の音が止む。彼女は、僕に発言を促してきた。けれども、僕はまだ完全にはわかっていないんだ。不十分なんだ。


「君は、人間じゃないんだね」


 そう、彼女は人間じゃない。それは、彼女が無言で僕にわからせるように意図的にしていた。理由はいくつかある。まずは、テスト。あれは、偽物だった。僕の用紙と彼女の用紙は偽装だった。僕は、あのテストで一位を普通に取っていたということを親から教わった。おかしいと思ったんだ。小学校から中学校まで一度も一位以外を取っていないことを、生徒も先生も認知しているはずなのに誰も何も言って来ないことを。けれど、これはまだ人間が出来る範疇だ。次だ。これが、僕が彼女が人間じゃないと確信した事だ。それは、時間。これも、テストが返された日だ。僕が彼女に話しかけられたのは午後七時をまわっている時だった。そしてその後に僕が彼女にお願いをする時に、夕日が見えていた。いくら夏とはいえども、これは遅すぎる。ならば、どうやったらこれが成り立つのか。それは、僕等がいる教室内の時間を変える事だった。仮にこれが事実だとしたら、これは人間の成せる技ではない。つまり、彼女は人間じゃない。あまりにも非科学的な答えだけど、妙な確信があった。

 「そうだよ。私は人間じゃない。まあ、流石に気づくよね。じゃあ、君は私を何だと考えるのかい」

 考えるべきなのは、僕に色々なことを教えて何が彼女のメリットになるかだ。彼女は、論理的だ。行動には、必ず理由を付けるような生き方をしている。じゃあ、何か。わからない。絞れない。何をどう、考えればいいのかがわからない。

「悩んでいるようだね。じゃあ、特別にヒントをあげよう。まずは、私が人間じゃないこと。それはわかっているから、いいね。次に、私が君に沢山の事を教えてきた意味を考えること。そして、私はきゅうちだと言うこと。これを元に、考えてほしい。わからなくなったら、どうするのかは教えたはずだよ。何回も試行錯誤することだよ。もっとよく考えてね。私の言葉の最初から最後までをよく考えてね。それが、私から渡す最後の君の宿題」

 ちょっと待て。どういうことだ。彼女は、人間じゃないのはわかっている。彼女がなんで僕に教えるか、ということは今考えている。問題は最後だ。今、彼女は窮地にあるらしい。どこが。どんなふうに。外見には、傷なんてない。精神的に窮地にあるのか。そうなのかな。わからない。

「私は、全てを言ったよ。全てを教えたよ。後は、君がこれを解くだけ。頑張ってね。健闘を祈るよ」

 いつものように挑発的な口調で、軽く言った。ちょっと待て。今、考えている。どういうことだ。わからない。わからない。激しく嫌な気持ち。これは、焦り。彼女が、どこか遠くへ行ってしまうのではないかという恐怖。彼女へ、手を伸ばそうとする。それは、でも果たされなかった。けれど、聞いた。彼女の言葉の振動が、空気を伝わって僕の鼓膜を振動させる。鼓膜の振動が耳小骨へ伝わり、渦巻管内のリンパ液へ伝わり、リンパ液の振動の刺激を聴神経が感じて、脳へ伝わった。

「焦らないで。ゆっくり考えて。私は、待ってるから。何年。何十年。何百年。何千年。待ってるから。だから、だから、必ず私を助けてね」

 彼女は、いつも通りの挑発的なで軽く言った。でも、最後だけは、泣いているような笑っているような声で懇願するように言った。彼女は、消えた。もう声も、形も何もない。急な、草の香り。土の香り。けれど、今までとは違う。匂いだけではない。他の情報も脳へ送り込まれた。


「公園、木、草、土、ブランコ、少女、涙、少年、疑問、少女、応答、窮地、懇願、少年、了承、決心、少女、笑顔、名前」


 そうか。わかったよ。わかった。君の正体がわかった。そして、僕がなぜ勉強するのか。いままで、ずっと疑問だった。何が、僕をここまで動かしてきたのか。僕の根底にある理由は何だったのか。君だったんだね。ずっと前に僕らは会っていたんだね。了承したよ。その願い。叶えて見せるよ。僕は決心すると、勢い良く立ち上がった。それを見た桜の花びらたちは、満足したように窓から落ちた。




 「これで、僕の研究動機についての話は終わり。まあ、自分を自分で語るというのはとても恥ずかしいことだね。じゃあ、そうだね。みんなのも聞きたいな。なんで、この研究をしようと思ったのかを。みんなを支えている意欲の基盤は何なのかを僕は知りたい。じゃあ、君からよろしく頼むよ」



「同じ、地球を救うために」



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僕の根底にある理由 碧い高鷲 @Oshidame

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