9-2

「はい、ワンツーワンツー、前を向いて。止まらない、ワンツーワンツー」


 ゴキブリのウォーキング講師がリズムを刻みながら手をぱんぱんと叩く。


「ワンツーワンツー」


 皆はそう口ずさみながら壁まで歩いてはUターン、また壁まで歩いてはUターンを繰り返す。


「はいはい、みんな元気よく。ワンツーワンツー」


「ワンツーワンツー」


「ドンガガさん」

「はい」


「もっと足を延ばして」

「はいっ」


「キャシーさん、笑顔」

「ハイっ」


 キャシーの笑顔は引きつっている。


 一時間程レッスンし講師の「きゅうけーい!」と言う声で皆はその場に崩れ落ちた。タオルで汗を拭きドリンクを飲んでへたへたに座っているとスズコがやって来た。


「みんな頑張ってるザンスか?」


 リンとした声で問いかけ、くたびれたドンガガたちの顔を覗き込む。


「これから生地合わせに行くからついてくるザンス」


 一同は汗だくのままスズコに連れられ近くの紡績工場へと向かった。

 生地を貰いに来ただけなのだがせっかくなので工場長にお願いして工場内を見学させてもらうことにした。中を見て仰天する。紡績工場と言うが機械は一台もない。代わりに古式の機織はたおりがたくさんあった。


 工場の隅から隅までずらーっと何列にも規則正しく並べられている。織っているのは大きなカイコたち。皆、機織の前でつーっと絶え間なく糸を吐きながらシルク百パーセントの生地をしゃかしゃかと織り上げていた。


「一級品のシルクザンス、地上の物にも引けを取らないザンショ?」


 そう言ってスズコは織り上がったばかりの生地を撫でる。


 上品につやつやと光っている。ドンガガも少し触らせてもらったが、するりとして柔らかく心地いい。


 ドンガガもシルクのネクタイは何本か持っている。けれどそれらを手にするとき以上の感動がそこにはあった。カイコが汗水たらして織ったものだ。これで洋服を作ると思うとため息が出た。


 機織所を離れ隣の商品庫へ入った。


 これまたすごい量の在庫だったのだが、スズコはその中からすぐに紫の反物を手に取り「ドンガガさん、あーたにはこの色が似合うザンス」と言った。スズコは一人一人の肌色を見ながら丁寧に生地を選んだ。計十三反、色とりどりの生地をドンガガたちはわっせわっせと縫製工場へと運んだ。


 縫製工場にはすでにデザイン事務所のスタッフが作ったパターンが届いており、皆、首を長くして待っていた。


 スズコはこの色がこのパターン、この色がこのパターンと的確に指示を出していく。縫製スタッフは聞き逃さぬようにとメモをする。指示が終わると、わっと生地に群がり各々作業台へと向かった。


 スズコは指示を出し終えると忙しそうに事務所まで戻ってしまった。


 ここでも工場長にお願いして、少し作業を見せてもらうことにした。生地を裁断するのはカミキリムシ、糸をつむぐのはクモ、針で縫うのはハチ、役割分担をして皆それぞれの能力を最大限に発揮し黙々と仕事をこなしていた。


「適材適所、市も見習わなきゃですね」


 感心したようにニッケルが言ったがドンガガたちはもう市の職員ではない。忘れているのだろうか? 疑問に思っていると知らぬ間にうーんうーんと声が出ていたらしい。


「おっさん糸がそんなに気になるのかい?」


 クモが声を掛けてくれた。


「触ってみなよ、びよんびよんするぜ」と尻を持ってくる。


 ドンガガはそっと手を近づけた。糸は見えるか見えないかというぐらい細くてしかも粘りがあり丈夫だ。ちょっとやそっとじゃ切れないだろう。面白いので引っ張って離すと糸がびんっと揺れる。まるでギターの弦を弾いているようだ。繰り返すとクモが「くすぐったいからよしてくれよ」と笑った。


 出来上がるのをずっと見ていたかったのだが大勢で見ていても邪魔になるだけなのでそっと事務所に戻ることにした。


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