混浴の読み合い

「とにかく早く出て行けよ」


 とりあえず視線を逸らして叫ぶ。こんなところ誰かに見られたら大変だ。まったくどれだけ寝ぼけていたら男湯と女湯を間違えるんだ。


「何言ってるんですか! ここ女湯ですよ」


「そんなわけないだろ。ここから脱衣所だって見えるし」


「そうですよ。だから心配してるんじゃないですか。誰かが来る前に出ないと」


 だめださっきから話が完全に平行線だ。俺は仕方がなく自分が入ってきた脱衣場の方を見させてやる。それと同時に初雪も俺とは反対の方向に向かって指を指した。


「「ほら、あそこ」」


 湯船から見て俺は右側、初雪は左を差している。確かにその先には脱衣所らしい場所が見えた。二箇所ともだ。つまりこの露天風呂は男女とも同じ風呂に繋がっているっていうことだ。


「混浴ってことかよ」


 どうりで誰もいないわけだ。亜久高なら顧問がついてきているだろうし、混浴に紛れ込むなんてことをしたら怒られるに決まっている。他の客も混浴になんてロマンを求めてきたりはしないだろう。おとなしく大浴場に行った方がいい。


 ここにいるのはろくに説明も読まなかった俺と、寝ぼけたまま近くにあった風呂ののれんをくぐってきた初雪だけだ。


「って、なんで入ってきてるんだよ」


「だってこのままだと見えちゃうじゃないですか」


 確かにここはにごり湯だから湯船に浸かっていた方が体は見えなくて済む。それにしたってこんな近くに来られたら気になってしかたがないだろ。せっかくさっき学んだばかりの格ゲーの知識が俺の頭からポロポロとこぼれていく。


「ったく寝ぼけてこんなところ入ってきたんだろ」


「それはりおんさんも同じじゃないですか」


 驚きで目が覚めたからか、頭が冴えてやがるな。まともな受け答えしやがって。あとこっちに寄るな。お前には羞恥心ってものがないのか。


「もしかして下で対戦してたんですか?」


「あぁ。亜久高も帰っちまったし、電源落ちたからな」


「そうですか。で、戦績はどうでしたか?」


 こいつ、今の状況わかってるんだろうか? それとも意識を他のところに移したいだけか? そんなこと今聞かれたってろくに答えられるわけがないだろうが。顔がさらに真っ赤になっているから気付いてないってことはないはずだ。


 なんでこんなところで読み合いなんてやらなきゃいけないんだ。それならさんざん今日対戦中にやったっていうのに。とにかくこっちが動揺してるのはバレたくない。落ち着いている、今俺は落ち着いてる。よし。


「暴れはときどき通ったよ」


「ときどきってことは潰されたんですね」


 わかっていた、というようにキメ顔でこっちに目線をよこしてくれる。知ってたってことはこいつやっぱり説明する前に疲れて寝やがったな。


「なんかC攻撃をカウンターで食らった」


「さすが亜久高の人だと暴れ潰しの仕込みがうまいですね」


「なんだよそれ」


 そりゃ格闘ゲームになんにでも対応できる行動は用意されていない。だから有効な対策が必ず存在している。暴れには様子見のガードや小パンを無敵でかわすというのがあったが、まだ別の方法があったのか。


「暴れ潰しは連携にわざと隙間を空けて暴れを誘って発生勝ちするんですよ」


「は? どういうことだ?」


 ちょっと言っている意味がわからない。いやひとつひとつの用語はわかるんだが、その結果暴れが潰される答えがどうやって導かれるのか。現実の格闘技ならなんとなく続けていれば感覚で理解できるんだが、ゲームの中にある法則を理解しないといつまで経っても理由がわからないままになる。


「ガード硬直はわかりますよね?」


「あぁ、だいたい小パンなら五分だろ」


「それで、チェーンで2A小パンはC攻撃でキャンセルできますよね?」


 ひとつひとつ初雪が説明していく。つまりはこういう理屈だ。本来なら五分の状態で小パンとC攻撃を同時に出せば発生の早い小パンが勝つ。ただこれは攻撃側が硬直をすべて待っていた場合の話だ。


 攻撃で攻撃をキャンセルすると硬直がなくなるということは、攻撃側が一気にフレーム差で有利になる。発生で小パンに勝てるということだ。


 言われてみれば確かに理解はできる。ただ教えてもらわなければ自分では気づいていなかっただろう。ボタンを押した瞬間に次の行動が決まってしまう格闘ゲームだからこそ起こる結果を理解していないと、連携の意味すらわからなくなる。


「C攻撃は硬直差が悪くなりますからその後反撃に出ればいいです」


 そしていつものようにま、昇竜でいいんですけどね、と初雪は続けた。だからそれはミツバにはないってのに。自分で選んだキャラなんだから、ないものねだりをしたところで意味がないこともわかっている。


「まぁいいか。次は考えながらやってみるか」


「それでいいんですよ。少しずつできるようになればいいんですから」


 それが簡単にできるようになれば苦労はないんだが。結局必要なのは嫌になるのを越えてまたやりたくなるくらいの練習なのだ。


「助かった。やっぱり人に教えてもらうと理解が早い」


「いえ、お役に立てたなら」


 そこまで言って初雪は言葉を止めた。俺の顔を見て一気に顔が上気する。話に夢中で気がつかなかったが、いつの間にかかなり近くまで寄ってきていた。柔らかそうな頬が口の動きに合わせてぷるぷると上下している。


「なんで裸なんですか!」


「そりゃ風呂だからだろ」


 めちゃくちゃ落ち着いていると思ったら、格ゲーの話をしてて忘れてただけかよ。初雪は取り乱したまま俺を湯船の中に突き飛ばすとそのまま走って脱衣所の方へと逃げていった。湯煙の中、遠目に何か丸いものが見えたような気がしたんだが、見なかったことにしよう。


 せっかくの合宿だったっていうのに、なんだか何も成長していない気がする。ほとんどがさっきのせいだが。俺は火照った体を冷ますために湯船の縁に腰をかける。


 格ゲーと海と露天風呂を楽しむための合宿になってしまった。なんとなく初雪の心の奥を覗かされたような気分になる。俺の考えは間違っていると暗に言われているような心地がするのは、俺自身がそう思い始めているからだろうか。


「どうして勝者と敗者は存在するんだろうな」


 誰もいない露天風呂で問いかけたところで答えはない。


 ただ俺がそうだと思っている間は、このまま前に進むしかない。まっすぐに進んで壁があったら殴って壊す。俺は他に道の開き方を知らないんだから。

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