のんびりと暴れる

 さんざん海で遊んで、疲れを癒すためにゆっくりと温泉に浸かった。浴衣に着替えて部屋にあったまんじゅうを食べながら温かいお茶をすする。夏だけど冷房の効いた部屋では温かいお茶が心地いい。


「やっぱり旅行ってのはいいもんだな」


「ホォォォ」


 トニーちゃんの声もいつもより緩んでいる。おかしいな、ここには何か別のことをやりにきたような気がするんだが。まあいいか。こんなに羽を伸ばせることもそれほど多くはない。


「ちょっと、ちょっと。私がなんでここに連れてきたと思ってるの」


「えっと、リフレッシュだっけ?」


「特訓に来たんでしょうが!」


 そう言われてみると、そうだった気がする。そしてその特訓を無視して海に連れていったやつが何を言っているんだか。すっかり休み状態になっている俺たちはまったく格ゲーという気分じゃない。いや、一人を除いては。


「そうでした。せっかく持ってきたんですからやらないと!」


 明らかに俺の荷物の三倍はある大きな旅行用のカートから結構なサイズのモニターが出てくる。それ本当にポータブルか? と聞きたくなってくる。そこからさらにノートパソコンにアケコン。そりゃ二泊三日でもそんな大荷物になるはずだ。


「さぁ、やりますよ」


「やるなら特訓だろ」


「もちろん。私たちは格闘超人同好会ですから」


「いや、格ゲー部のはずなんだが」


 そしてその話をしている間にもパソコンは立ち上がり、格闘超人がモニターに映っている。本当にブレないな。そのやる気がどこからやってくるのかはまったくわからないが。


「大丈夫ですよ。結局りおんさんに必要なのは格ゲーの基本的な部分ですから」


「このゲームで本当にそれは学べるか?」


「もちろんです」


 その自信満々の答えが逆に不安にさせるんだが。単純に格闘超人がやりたいだけって可能性が否定できない。とはいっても今から一人で亜久高のやつらがいるであろうアミューズメントスペースに行く気にもなれない。ここは話に付き合ってやるしかないか。


「格ゲーっていうのはゲームごとにそれぞれ違いがありますが、基本的な部分では似ていることがあります。長年やっていると身についてきますが、りおんさんは初心者ですからまずそこから理解が必要です」


「一応いろいろネット記事や用語は勉強してるけど」


「でもまだまだ足りません。なので一つずつ説明しますね」


 それならBlueMarriageで説明してくれよ。どのゲームにも共通する話ならわざわざマイナー同人ゲームでやらなくてもいいだろうに。俺の頭の中とは裏腹に初雪は嬉々として格闘超人のトレーニングモードを開く。


「まずは防御の基本を学びましょう。ミツバは攻めが強いですから今のプレイングでも十分だと思いますし」


 そう言ってキャラを近づけてから初雪は基礎の基礎から話し始めた。


「ガードの基本はしゃがみです」


「知ってるよ。中段は見てからガードが間に合うからな」


「そういえば反応速度、すごく速いですよね」


 そりゃ目の良さはボクサーの命だからな。とはいっても全部を目で追っていられるわけじゃない。パンチをかわすのと同じように痛みと経験を繰り返して覚えていくしかない。実際はゲームのキャラの痛みはプレイヤーには伝わらないからな。


「りおんさんが一番ダメなのは暴れです」


「暴れか。イマイチ理屈が理解できないんだよな」


「りおんさんはきっちり固められたらガード一辺倒になっちゃいますからね」


 それが戦いの基本だからな。下手に手を出すと手痛いカウンターを食らうんだから、まずはガード。攻めてきている相手の方が基本的に有利だ。こっちは前のパンチをさばいているところなんだから手は守りに使わなきゃいけない。


 攻め続けていれば相手はいつか疲れてくるし、クリンチで中央に逃げるという手もある。とはいってもこれは全部戦法というよりも俺の長年の経験から来る無意識にやっていることだ。ゲームのキャラは疲れてくれないし、レフェリーが止めに入ってはくれない。


 最終的には相手の猛攻を抑えるにはどこかでこっちから打って出る必要が出てくるのだ。事実、俺は何度もカウンターで初雪を追い返している。そうはいってもゲーム上の見た目と実際の状況がリンクしていないせいでどうにも反応しづらいのだ。


 キャラの見た目上はパンチしているのに判定は消えていて硬直だと言われても目では判断できない。つまり知識と感覚でヒットストップと硬直を覚える必要があるのだ。


「困ったら昇竜擦ればいいんですよ」


「お前は困らなくても昇竜じゃねぇか」


 毎回食らっているだけに強くは言えないが、暴れという言葉がこれほど似合うプレイヤーもそうそういないだろう。常識に囚われないといえば聞こえはいいが、やっていることはハイリスクローリターンを強引に通しているんだから。


「それにミツバに昇竜はねえよ」


 攻めに特化したミツバには切り返しらしい切り返しはない。ガードキャンセルはあるが、ゲージがないときは本当に何もできないと思える。現実にだって無敵状態なんてないんだから別にいいと思っていたが、せめてダッキングくらいはしてほしいところだ。


「まぁ、そういうわけですから上手な逃げ方から覚えていきましょう」


 初雪が画面上でキャラを動かしながら説明してくれる。暴れというのは自分がガードしている状態かつ相手が先に動ける状況で攻撃を出すというかなりリスキーな選択肢だ。もちろんうまくいけばいいが、失敗すればさらに厳しい状況に追い込まれる。


 カウンターってのは相手の甘い大振りの技に合わせるもんだ。似ているようでこの二つはまったく違う。


「暴れないとわかっているといくらでも攻められますからね。たまにはやっておかないと画面端に永住することになりますよ」


 実際今まさにその状態だけどな。ただでさえ初雪の方が格上で俺のほとんどやってない格闘超人でやってるんだから、この状況が当たり前っちゃ当たり前だ。画面端で小足をガードしながら、中段と投げの択に怯えている。


「でもガードはできるわけですよね?」


「そりゃレバーを入れておくだけだからな」


「そこで代わりに攻撃すればいいんですよ」


 あいかわらず適当なことを言ってやがる。そう思いながらもとりあえず立ち小パンを擦ってみる。するとキャラが赤く光ってカウンターの文字が画面横に出てきた。当たったのはこっちの攻撃だ。


「それでいいんですよ。そこから攻めに転じればいいんです」


「ったく、これができるんならミツバも攻撃をかわしてくれよ」


「それができるのはりおんさんだったら、ですからね」


 なるほど、ミツバたちは攻撃をかわしてくれない、とよく嘆いていたが、それは相手のキャラも同じだ。自分が攻撃する時に最も気をつけなければいけないこと、カウンターに対してきちんと防御しておくことをこいつらはまったく理解していない。素人のおもりってのも大変なんだな。


「そういうわけで相手の固めの隙間に攻撃を刺しこんでいくんです。もちろん相手も読んで潰してきますから何でもいいわけじゃないですけど」


「それはわかってるよ」


「昇竜ならそれもまとめて狩ってくれるんですけどね」


 その代わりガードされたらフルコン確定だろうに。BlueMarriageなら条件次第で体力半分どころか七割もあるっていうのにそんな恐ろしいことがよくできるものだ。相手も見ずに大振りのフックを振り回すような戦い方でよく勝てると感心したくなる。

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