双拳とクローバー

「ずいぶん頑張るんですね。面白いですか?」


「面白いかは分からないけど、まぁ新鮮な気持ちにはなるな」


 せいぜい勝率は二割を超えたというところだろう。経験の差が活きるという意味では、俺みたいな始めたばかりの人間が勝てるほど甘い世界じゃない。それはどんなジャンルでも同じだ。ただ他のスポーツをやっていたということが、この敗北の積み重ねの意味を教えてくれている。


 それでも毎日のように黒星が積み重なっていくと、何かに当たりたくなるような気持ちになる。それでもやめられないのは、この悔しさも面白いと感じているからかもしれなかった。


「でも勝つためなんですよね、それ」


「もちろんだ。まずお前から倒す。そしたら大会に出てもらうからな」


「私は嫌ですからね。絶対負けませんよ」


 そう言ってから初雪ははっとして口元を押さえた。勝ち負けにはこだわらない、そう言っていてもやはり負けたくないという気持ちは残っているようだ。今はそれだけでも十分だ。


「それじゃ早速一戦やってみようぜ」


 やはり直接戦ってみるのが、今の自分の実力を理解するのに手っ取り早い。あと俺はどれほど練習を積み重ねれば初雪の長く伸びた影の先を踏むことができるんだろうか?


「まぁ、私が勝ちますからいいですけど」


 そっけなく返して初雪はモニターの前に座る。一週間ぶりの対戦。どれほど近づいているか俺は妙に楽しみだった。


 その日は、当然のように完敗だった。


「なんで手が出ないかなぁ」


 部屋に入って、カバンを投げると同時にパソコンを起動する。もうすっかり癖になっていた。今日も勝てなかった。ただ理由はなんとなくわかっていた。


 攻撃のときにリスクが常に頭をよぎるのだ。攻撃中はブロッキングもダッキングもできない。つまり先に相手が手を出していたら必ず攻撃を食らってしまう。大振りの技なら攻撃をガードされた後もフォローができない。


「なんかそういう気の利いたキャラの一人くらいいないのかよ」


 格闘技経験者向けのキャラとかさ。そんなものがいるはずがないことくらいわかっている。本当に攻撃と防御が同時にできるキャラなんていたら強すぎるに決まっているんだから。


 いつものようにトレーニングモードを起動して冥夜を選ぼうとボタンを押す手前で手が止まった。そういえば一人だけいる。防御しながら攻撃して、攻撃の硬直中に攻撃できるキャラクターが。


 主人公キャラということもあって最初から選択カーソルがアイコンに合っている冥夜から三つほど移動してみる。そうすると、選択キャラの待機モーションが出る枠もやや影のある女性キャラだった冥夜から双子の可愛らしい女の子の姿に変わる。


 ミツバとヨツバ。双子の姉妹、というのは見た目だけでミツバの方は男だったはずだ。ストーリー上のラスボスに当たる蒼炎の魔王への復讐を果たすため、女の振りをして潜り込んでいるという設定だった。


 ミツバは動きが結構特殊なキャラで、本体のミツバとは別に妹のヨツバがサポーターとしてついてくる。一対一が基本の格闘ゲームにおいて二人組で戦うという面白いキャラクターだ。


 それゆえに操作がとても難しいことでも有名で、一つのレバーとボタンで二人のキャラクターを同時に動かすという他ではやらない操作を求められる。一人動かすのでも大変な格闘ゲームでそんなことを求められては、簡単に対応できるものではない。


 ネットでも初心者に絶対に勧めてはいけないキャラ、とほとんどの初心者向け記事に書いてあり、それも大文字や色文字を使ってやたらと強調されていた。そういうわけで俺もまったく使ってみないまま放りっぱなしになっていた。


 そもそも初心者は主人公から、という話を丸呑みして冥夜ばかり使っていたが、シンプルだからといって使いやすいとは限らない。いろんなことができるのは裏を返せば覚えることが多くなるわけで、俺みたいな頭より手が先に動くタイプには向いてないのだ。


 ミツバはヨツバと動きが別になる関係で、ミツバのガードモーション中や攻撃の硬直中にも行動できる。さすがにガード硬直や食らい中なんかは無理だが、それでも多くの場面でフォローしてくれるに違いない。CPU相手にも妙なところで反撃を受けて頭を混乱させられた。


「ちょっとやってみるか」


 使い手はやっぱり少ないみたいで、ミツバ初心者向けの攻略記事はほとんどない。あっても初心者向けと言いながら、基本的な部分はすっ飛ばしてセットプレイやコンボの説明ばかりが書かれている。このくらい理解できないとミツバは使えないってか。


 それでもいくらかの初心者向け記事を見つけて読んでみる。ヨツバはボタンを離すと行動するという特殊さが輪をかけて操作を難しくしている。それでもあの二人の連携に何か思い出すものを感じてひとつひとつの動作を確認していった。


「お、こいつ。いけるかもしれねぇ」


 深夜も三時を回ろうとしていた。キャラチュートリアルを終え、一通りの簡単なコンボチャレンジを終え、トレーニングモードで反復。そして今、腕試しにアーケードモードをクリアしたところだ。


 操作が難しい、という話は前評判通りだった。しかも交互に動かすなんて生易しいものじゃない。本当に同時だ。ミツバを前に歩かせるとヨツバも前に歩く。その場にいてほしいならボタンを離して待機させなきゃいけない。これだけでも投げたくなるやつがいるのは想像できた。


 だが、俺には妙に手に馴染んだ。

 たぶんボクシングに一番近かったからだろう。


 左手で殴っている間は右手で守るように、ミツバが戦っているときはヨツバが守ってくれる。逆にミツバが守っているときにはヨツバが戦ってくれる。


 二人のキャラクターは俺にとってそれぞれの腕に対応してるようなものだ。これなら他のキャラではできなかった格闘技らしい動きが一番再現できるような気がしている。


 いつもなら眠り込んでいる時間なのに今日は少しも眠くない。シューズを新しく買い替えたときの気持ちに似ている。前に使っていたものと変えたからといって俺の実力が変わるわけじゃない。なのに妙に強くなれるような錯覚がするのだ。


 明日、もう一度初雪に挑戦する。このミツバで。そう思うとベッドに体を放り投げてもすぐに起き上がりたい気分だった。


「絶対に勝ってやる」


 枕に押しつけた顔は絶対に満面の笑みを浮かべている。俺は初雪のカエデを俺のミツバが圧倒する夢を見ながら、眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る