020話 無垢な少女の瞳曇らせ隊
バタンと扉が閉まり、久瀬家の玄関は静けさに包まれる。
留守番の為に残された二人、ディアの顔は笑顔が少しずつ薄れて真顔に。
ローズといえば、彼女の様子を後ろから興味深そうに見ていた。
「――――それで、そろそろ良い頃ではないか? ママよ」
「何が良い頃なのです、ローズちゃん?」
紅き幼女の悪戯めいた言葉に、ディアは普段通りに返すも、その声色は若干冷たく。
出会ったばかりの二人の関係は義理の母娘、恋も愛も知らぬディアではあるが、ローズを娘と呼び、家族として一緒に暮らす事は抵抗の無い事柄だ。
そしてそれは、ローズとて同じ。
「いやいや、お人好しの夫を持つ妻は苦労するのう…………それとも、無意識にしてる事かや?」
「言っている意味が解りませんよ、ローズちゃん」
くっくっくと笑うローズと対照的に、振り向きもしないディアの表情は怖いほどに静謐を感じさせた。
「零才児だが、前世経験は豊富じゃ。分からいでか、――――余を、警戒しておるなママ」
「…………聞きましょう」
「ああ、勿論理解しているとも。ママが本当に余を家族として歓迎してくれている事は。血の繋がりのない余に、親愛の情を向けてくれているのも」
「あらローズちゃん。それでは、私が貴女を警戒しているのは、おかしな話なのでは?」
「いいや、ママよ。其れと此れとは矛盾せんよ。――――というか、本気で全部受け入れたパパが変なのじゃ」
レッドローズの呆れ混じりの言葉に、ディアも同意の苦笑を漏らし、漸く振り向いた。
「そうですね、私はローズちゃんと家族になれれば、と思っています。…………家族が何なのか、今はまだ分かりませんが」
「家族の形、意味は各々違うモノじゃ。一緒に積み上げていけばいい」
「ありがとう。では家族として――――、一つ、聞いていいですか?」
慈愛の笑みを浮かべながらも、嘘偽りは許さないという気迫にローズは満足そうに笑った。
(ヒトになって間もない筈なのに…………、いや、神剣としてじゃろうか?)
それがどの様な理由であれ、警戒されているという事実に、ローズは安堵した。
どうやら新しき母は、脳天気に守られているだけの小娘ではない、と。
「ローズちゃんは言いました。心清き夫婦の下に産まれ、栄光と繁栄を約束すると」
「ああ、言ったが? それに何ぞ疑問でも?」
「その事については信じています、けれど――――貴女自身はどうなのです?」
「…………ああ、道理じゃな」
ディアの言葉に動揺もせずローズは笑った、寧ろ、その質問が遅すぎたくらいなのだ。
然もあらん。
心清き夫婦の下、――――それは悪心を抱く者に害され、利用されない為だ。
栄光と繁栄を約束する、――――それだけの力と智慧を持っているからだ。
だが、だが?
「だけど。ローズちゃんがオサム様に。――――害を、悪事に利用しないという保証にはなりません」
「うむ、道理じゃな」
赤薔薇色の髪を持つ幼女は、まるで孫の成長を見守るような老婆の様に笑う。
次元皇帝竜レッドローズドラゴンは、赤子であり老人なのだ。
「では、何を以て。余が悪心を持っていないと証明する?」
「証明など必要ありません。私とて女神様から産まれし神剣。邪悪な心の持ち主かどうかなんて、側に居ればわかります」
「ならば、どうするのじゃ?」
「それは…………」
ディアは黙り込んだ。
ローズという幼子に、隔意を持っている訳では無い。
むしろその反対、良き家族になれれば、と考えている。
そして、その性根が邪悪では無いという確信も。
では、では、何故――――、警戒を覚えてしまうのだろうか。
「どうして、私は…………」
戸惑いに揺れるディアに、ローズは言った。
「ママは今、不安に思っているのじゃよ」
「…………これが、不安…………」
「ヒトになってから、ママはずっとパパと一緒にいたじゃろ? 仕方ない事だが、食べる物、着る物、そういったモノ全てをパパに任せていた」
ローズはディアをしゃがませて視線を合わせると、彼女の頭を抱きしめた。
「そして、ママは神の剣じゃった。これは余の想像でしかないが、剣であった時は勇者を守り、その力になっていた。――――そうじゃろ?」
「ローズちゃんは、私の過去が解るのですか?」
「年の功というものじゃ、零才じゃがな。ともあれ、ママはパパの側に居て、守り、力になる事を望んでいるのじゃ」
その言葉は、ディアの胸にストンと落ちた。
神剣であった頃は、昼夜問わず歴代の勇者の傍らに。
悪心ある者が危害を加えないように、善なる人が誤って勇者を危険に巻き込まないように。
時に警戒し、時に物理的な排除を以て。
「今まで行ってきた役目が無くなり、更に環境がガラリと変わったのじゃ、不安になるのも仕方なかろうて、寂しさだってあるじゃろう…………」
「寂しさ…………、私は今、寂しさも感じているのですね」
「ああ、これで一つ。ママは自分の、ヒトの感情を知れたの」
「――――ありがとうございますローズちゃん。私は貴女に心配させてしまった様ですね」
「何、これもママの娘として、そして次元皇帝竜の役割といった所よ。お節介ともいうがのう」
ローズはそう言うと、ディアから見えない事をいいことにニヤリと口元を歪める。
それはもし修がいたならば、嫌な予感がすると苦い顔をしただろう。
「――――そこで、じゃ。お節介ついでに。ママの不安と寂しさを解消する方法が一つあるのじゃが、試してみんか?」
それを聞いた途端、ディアはローズの腕から脱出して目を輝かせた。
「教えてくださいローズちゃんっ!」
「うむ、うむ! 留守番の役目を放棄させてしまうが、パパに叱られる可能性が発生するが、効果は抜群だと保証するぞ!」
「…………うっ、そ、それは――――」
「――――パパの外堀を埋めるのにも丁度良いしな」
「すみませんローズちゃん、今の小さくて聞こえませんでした。もう一度お願いします」
「なんでもないぞっ! それより、この方法は時間が大切じゃっ! 早よう決めて欲しいのじゃママよっ!」
我が子に唆されて、もとい、急かされてディアは考え込んだ。
日本の治安は良いと聞いているが、万が一があるかもしれない。
修はゼファを持ち歩いているが、やはり、万が一があるかもしれない。
(それに、妻は夫と共に居るモノと聞きました。ならば、用が終わるまで学校の側で待機していても、問題無いのでは?)
留守番しなかった事を、咎められるかもしれない。
だが修に怒られる恐怖より、ディアは自身の感情を優先した。
「…………オサム様がお怒りになるのであれば、全て私が責を負いましょう」
「その時は余も一緒じゃ。――――さぁ、そうと決まれば早速準備じゃっ! 異世界課で貰ったスマホと、パパから貰った財布を忘れるでないぞっ!」
「はいっ! 今すぐ取ってきますっ!」
そして新米親子は、元気と決意を胸に久瀬家から出発したのであった。
□
修の通う丸千田高校までは、最寄りのバス停まで五分、バスで二十分、バス待ちをカウントすると、約三十分かかる。
(あー、そうそう、こんな感じだった)
最寄りのバス停に並ぶ顔ぶれ、バスに乗り込み流れる光景、途中乗車する同じ高校の生徒達。
身体は十七才に戻ったが記憶は据え置き、元々日本に帰ってこれると思っていなかったのだ、色褪せた記憶が再び着色され、妙に新鮮な光景である。
「次は、丸千田高校前。丸千田高校前。御降りの方は――――」
(懐かしいなぁ…………、って、浸ってる場合じゃない、降りないと!)
続々と学生が下車する中、修も慌ててその最後尾に付く。
そして地面に足を付けると、そこはもう校門前。
「よっ! おはよう久瀬」
「ああ、おはよう(やっべ、名前出てこないんだけどっ!?)」
「久瀬くんおはよーっ! ね、ねっ! 今さっきスマホで情報入ったんだけどさ、あの噂、本当?」
「おはよう。噂ってなんだ?(うあー、夏休み前に何かあったか? 全然覚えてねぇ…………)」
親しげに話しかけてくる者は、恐らくクラスメイトだろう。
下駄箱の場所すら朧気だった修は、彼らと談笑しながらこれ幸いと着いていく。
(一歩後ろを歩いて――――それにしても何だ? やけに注目を集めているような)
修は本人故に解らぬ事だが、注目を集めるには理由が二つあった。
一つ目は、彼が勇者として戦い抜いた日々により、その雰囲気を凡人からイケメン? くらいには変わっており、――――ざっくばらんに言うと、夏休みデビュー成功的な視線である。
そして二つ目といえば、何やら好奇心に満ちた顔で、皆が修をチラ見して。
強いて言うならば、異世界にて魔王討伐後に娼館巡りをしていた時に感じたものと、似た感じを覚える。
「みんな、おはよ――――…………へ?」
首を捻りながら、クラスの扉を開けるとそこには。
「あ、やっと来た久瀬くーん」
「おい修っ! お前の嫁さん来てっぞ! 何時の間に結婚したんだお前っ!」
「あ、オサム様っ!」
「パパ、来ちゃったのだ!」
「――――――!?!?!?!?!?!?!?」
(なんでディアとローズが学校に居るんだああああああああああああああああああああああああ!?)
つまりはそう、視線の意味はこういう事だったのだ。
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