016話 童貞には荷が重い役目



 リビングには今、奇妙な空気が流れていた。

 テレビから流れる芸能人達の笑い声が、虚しく響き。

 修とディアはソファーの上で正座をし、動かない。

 なお、謎の卵は床に放置である。


「…………」


「…………」


 当初あった距離は、おおよそ十五センチで止まり。

 そこから先は睨めっこ。

 然もあらん、童貞である修にキスの経験など無く。

 唇を合わせればいい、という認識のディアでも、いざ真正面から顔を付き合わせれば。


(うぅ、何なのでしょうか。この、気恥ずかしさ、と言うんでしょうか…………?)


(キスってっ!? キスってどのタイミングですればいいんですかっ!? もうかれこれ十分ぐらいはこの体勢のまま何ですけどっ!?)


 マンガやドラマなどでは、簡単にしている様に見えたのに。

 勇者時代に、仲間とその恋人の光景を見た事があるが、あまりに自然で、そんなものかと思ったのだが。


(キス、キスするぞって言うのかっ!? いや、何か恥ずかしくないっ!? というかやっぱいい匂いだし、睫毛長くて綺麗なんだけどっ!?)


 どんな芸術品も裸足で逃げ出しそうな美貌に、キスしても良いのだろうか?

 想像しただけで、修の顔が赤くなり、心臓がバクバクする。


(オサム様ぁ、何でそんなに緊張しているんですかぁ…………こっちも何だか、心臓の鼓動がぁ…………)


 お互いにタイミングが掴めず、しかしてこのままでは何も解決しない。

 そんな訳で、修は思い切ってディアを抱き寄せる。


「――――でぃ、でぃあぁさん!?」


「ひゃ、ひゃい――――!」


 この期に及んでは、修の胸板で押しつぶされる豊かな霊峰の感触に、慌てている余裕も、堪能する余裕も無い。

 ドッドッドッ、ドッドッドッとお互いの鼓動が、早鐘を打っているのが分かる。


 ハァ、はぁ、と吐息が荒い。

 生暖かい息が、妙な官能を呼び覚ます。

 泳ぎ過ぎて世界一周してしまいそうな瞳が、お互いの視線を捉えて――――今だっ!



 ――――ごっつん。



「あだっ!?」


「あいたぁーーーーっ!?」


 考える事は同じ。

 お互い目を瞑り、えいやっと顔を突き出した結果が、額の衝突事故だ。

 二人は一旦身体を離し、赤くなったおでこを撫でさする。


「…………はははっ」


「…………えへへへっ」


 唇と唇を合わせるだけの簡単な行為だというのに、正面から意識してしようとするだけで、何という無様な有様。

 だがそれが、くすぐったい様な笑いを生み出した。


「ああ、多分、気負う事じゃないんだな」


「そうですね、瞳を閉じるタイミングだって――――」


 二人は改めて顔を上げ、笑顔を向け合いながら顔を近づけ。

 そして、今度はすんなりと唇と唇を合わせた。

 修は自然と顔を傾け、ディアは考えるより先に自然と瞳を閉じて。

 柔らかなプルプルとした唇と、少し堅い唇。

 お互いの感触と、その暖かさ。

 ただ、押しつけているだけの稚拙なキス。

 なのに何故――――。


(――――これがキス。ああ、恋人達が頻繁にするというのも、理解できる気がします)


(女の子と、ディアとキスするって、こんなにも心が満たされるものなのか…………、何時までもこうしていたい)


 二人のキスの意味は、親愛だったのだろうか。

 それとも、愛情だったのだろうか。

 互いにそれが解らずとも、淡く、暖かな何かがそこに産まれて。


 ――――そして、ディアが覚醒した。


「これは…………ディア?」


「感じます、私の中で何かが解放されたのを――――!」


 それは、魔王を駆逐する為に生み出される「神聖なる光」

 邪なる者を、悪しき心を浄化する女神の癒し。

 その光が、ディアから溢れ――――。


(――――ぬおおおおおおおおっ!? この、この波動はっ!?)


 響き、染み渡り、差し込んで。

 その光は物質的なものでは無いが故に、ありとあらゆる壁を無視して、修と同化した呪いの剣にまで届いた。

 ――――ついでに謎の卵にまで届いた。


(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、ああ…………我の呪いが、溶けて消え去っていく――――)


 モテない独身戦士の恨みが、嫉妬が、怒りが、憎しみが、キラキラと輝く美しい光によって浄化されていく。


 それだけではない、ディアの神聖光は剣の正なる側面を表に出し。

 存在そのものを聖なる方へと導いて。


「なんだこれっ!? 剣が――――」


 修の身体から剣が分離する。

 神剣の摂理に従い、ディアはそれを手に取り掲げ。


「破邪顕正――――ええ、それが新しい貴方。善く、勇者様に御仕えしなさい…………」


 今此処に、呪いの剣は「新たな」女神の祝福を受け、生まれ変わる。


「神命、承った。これより我、ゼファの剣と成りて、尊き命の為に尽くす事を誓う」


「ゼファの、剣…………」


 呆然と呟く修に、再びゼファが融合する。


「私の代わりに、オサム様の剣として使って上げてください」


「うむ、宜しく頼むぞ主殿!」


 にこにこと笑うディア、そして身体の内側から楽しげな波動が伝わってくる。

 

(これは忠告だ主殿。我の力を最大限に引き出したければ、ディア様と仲良くする事が肝心だ。それから安心するといい、先の呪いは無くなった。思う存分、男の本懐を果たすといい。我は目を閉じているから…………)


「ちょいちょいちょいちょおおおおおいっ!? ゼファ? ゼファ? 呪いが無くなったってそれどういう――――」


(――――所で主殿、我と一緒に家に来たその卵は放置していていいのか? 罅が入っているようだが?)


「マジで!? ――――マジかぁ…………どうするんだよ」


 呪いが無くなった、それはED状態が解消され、再び性欲との戦いが始まるという事だったが。

 それはさておき、今は謎の卵だ。

 一難去ってまた一難。

 何故だろうか、勇者をしていた頃より忙しく感じるのは。


(原因は何だっ!? いやそれより、ペットを飼った経験なんてガキの頃、夏祭りで出店で取った近所以来だぞ!)


 どーする? どーしよ? と修が混乱する中、ディアも卵の異変に気づく。


「オサム様、ゼファと何を話して…………、え? 卵ですか…………ああっ! オサム様! オサム様! 大変ですっ! 罅がっ! 産まれるんですよねこれっ! ふわぁ~~、いったい何が出てくるんでしょうねぇ…………」


「待ったディア。迂闊に近づかない方がいい――――。ゼファ、済まないが早速出番だ」


「どうしたんですオサム様? 邪悪な気配はしませんよ?」


 戸惑いながらも修の指示に従い、素直に卵から離れるディア。

 ゼファを構える修は、彼女を守るように前に立つ。


「邪悪な気配がしないのは俺にも解る、だが油断しちゃ駄目だ」


「大丈夫だと、思うんですが…………」


 修は知っている、異世界で魔王の悪意を散々経験したのだ。

 邪悪な気配がしないからといって、それが周囲に害を与えるかどうかは別問題だ。

 何より、この卵は異世界からの漂流物。


(あっちだと、大型種の卵だ。いや、卵型のモンスターの可能性も考えられる。――――いったい何が出る?)


 修とディアが見守る中、罅が大きくなり、その隙間から赤く輝く光が漏れ出して――――。



「ぎゃーーーーーぼーーーーーーーっ!!」



 中から出てきたのは、薔薇色の鱗を持つドラゴン――――の幼性体と思しき何か。


「竜種っ!?」


「か、可愛いです~~~~っ!」


 小さな身体に長い首、蜥蜴系爬虫類の顔立ちには不思議と気品が。

 そして宝石のように輝く金色の瞳を愛くるしく潤ませ、頭には卵の殻が王冠の様に乗っている。


(主殿、どうやら敵意は無いようだぞ? 我を下ろしてはどうだ?)


「…………いや、まだ分からない。分からないが――――取りあえず八代さんに連絡かなぁ…………?」


 異世界セイレンディアーナのドラゴンと照らし合わせれば、産まれた時から高い知能を有し、会話も可能な筈なのだが。

 赤色のドラゴンは、きゅうきゅう、ぎゃーすと子犬の様な声色で鳴くばかりで、意志の疎通が出来る気がしない。


 戸惑う修を余所に、子ドラゴンは首を傾げながら部屋を見渡すと、二人に。

 特にディアを見て、きゅうううん、と鳴くと、トテトテと近づき、褐色の生足に頬ずりした。


(――――これは、刷り込みか? ディアを親と思っている?)


(それは主殿も同じではないか? 撫でて欲しそうな目で見ているぞ?)


「抱っこして欲しいの? ――――よいしょ。見た目より軽いんですねぇ、おー、よちよち」


 抱き上げたディアに、何も異変は無し。

 流石の修も、これは安全かもと、恐る恐る人差し指を近づけ――――、子ドラゴンの小さな前足に触れてみる。


(そなたが余の今生の親か? 許す、名を名乗るがよいぞ)


「…………うーん?」


 はて、今何か聞こえたような、と修は指を離す。

 とても偉そうな少女の声だったが、この子ドラゴンからだろうか?


「ディア? 今何か喋った?」


「いいえオサム様。どうしたのです?」


「ちょっとな…………いや、もしそうなら話が早い」


 ワンモアチャレンジと、修は先ほどの行為をもう一度。


(ローズ…………ココニ…………イルヨ…………)


「何で宇宙人なんだよっ!? お前ちゃんと話せただろうっ!?」


(なんじゃ? 指と指の先を触れ合わせる時は、こう言うのが常識じゃと学んだのだが?)


「常識じゃないしっ! そもそもお前産まれたばかりだろっ!」


「オサム様? いきなり叫んでどうしたんですか? …………昨日頭でも打って、どこかが…………?」


 まるで頭のおかしい人物を見る目をするディアに、修は子ドラゴンを指さす。


「ディアは聞こえなかったのか!? コイツ、普通に喋ったどころかボケかまして来たぞっ!?」


「この子が? 私には何も聞こえませんでしたが?」


「余にも何も聞こえなかったが?」


「お前が言うなっ! っていうかやっぱ普通に喋れるんじゃないかっ!」


「…………てへっ?」


 あら賢い、とディアが朗らかに笑う中、修は失意体前屈を。

 すると子ドラゴンは、ディアの腕から飛び降りると幼い赤毛の少女に変身して堂々と宣言した。

 ――――ディアの時と違い服を着ている事に、修は非常に安堵したが、それはそれ、これはこれ。


「余こそが次元皇帝竜レッドローズドラゴン! そなたらに余の親となる栄誉を与えよう!」


「あ、もしもし八代さん? 卵が孵ってですね、はい、はい。引き取りに来て――――」


「――――ちょっ!? いきなりセメント対応過ぎるじゃろパパ!」


「誰がパパだっ!」「…………という事は、私がママ?」


 そいやっ、と修のスマホを小さな手で叩き落とす自称・次元皇帝竜レッドローズドラゴン。

 久瀬家に、新たなる住人が発生した瞬間であった。


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