第30話 遡って2018年12月29日
(嫁の朝帰り続き)
29日の早朝に嫁の帰りを待たず仕事に出る。仕事中もずっともやもやしていた。
どうしても家に帰る気になれず、『当直の人がインフルエンザになったので代わりに会社に泊まる』と嫁に嘘をついた。
誰もインフルエンザになんてなっていない。なっていないのだ。
もやもやを引きずったまま終業のチャイムが鳴り会社を出なくてはならなくなった。
さあ困った。
実家は好きではないので帰りたくないし友達もいないので行くところがない。
これには何ともいえない気持ちになった。普段気付いてはいるが見ないようにしていたものの蓋をとられ目の前に突きつけられたようだ。
避けていた現実がグサグサと胸に刺さる。
もやもやも残っている。
もやもやグサグサ
そうなんだよな、友達いないんだよな俺、と思う。嫁が先に死んだら孤独死確定だな、と思う。そうなのだ、結局嫁に強依存しているのだ。
友達がほしいのにいない。
・飲んだ帰りにツレに迎えに来てもらった
・ツレの家で朝まで飲んだ
・ツレの結婚式が重なってご祝儀貧乏
これらには強い憧れがある。
つらかー(思わず西郷どんのようになってしまいました)
だもんで自分で何とかするしかない。
はじめは山口に行こうと思った。山口のどこそこの島に渡る長い長い橋と青い海を見たらもやもやグサグサもどこかにふっ飛ぶかもしれない、と思った。
国道2号線にのり、車を南へ南へ走らせた。
(この辺りは長渕剛っぽいな、かっこいいかもしれないな俺)
岡山から山口まで高速に乗れば4時間ほどだろうか、ちょっと遠いな。
でも俺の深い傷を埋めるには行かねばならぬ。
一時間ほど走る。
一時間ほど走って、まだ岡山県内。
ぜんぜん岡山県内。
だって年の瀬のせいか道が混んでるんだもん。
おまけに金もETCカードもないから高速道路に乗ってないんだもん。
運転飽きたな。下道で山口まで行ったら何時間かかるんだろう、と思った。
そんなに橋も見たくないな、と思った。
海もそんなに見たいわけでもないな、と思った。
弱い意思をぶら下げてUターンする。
(泊まるとこもないし、金もないし車中泊じゃな)と思う。
家の近所のニトリで毛布を、ドラッグストアでタオルや歯ブラシなんかを購入(クレジットカードで)
風呂には入りたい、あと歯磨きも。
家族で行く風呂屋が頭に浮かんだ。
いわゆるスーパー銭湯とか健康ランドですね。
飯を食う気にならない。風呂に行って、寝てしまおう。
瀬戸大橋温泉 山○着く
そういえば大きい風呂が好きでたまに来るのだがいつもチビを連れているのでゆっくり入ったことないな。
(12月29日に俺は何をしてるんだろう)
風呂に入りましょう。
まず入り口入ってすぐ左手に水槽。
だいぶ年期が入ったというか、味が出たというか、かなりくたびれた水槽で一応中に魚が泳いでいるがあまりこれを見ている人を見たことはない。
山○的にも『辞めたいんだよなーアレ、業者に清掃して貰うの金かかるし、客も見てないんだよなー。でも社長がなぜかあの水槽好きだから辞めれねーんだよなー』
と思い、
客も『くたびれてんだよなーあの水槽。水槽もくたびれてて、中の魚もくたびれてんだよなー。あれを見ると介護とか医療保険とか、俗世間を思い出すんだよなー』
と言っている。(嘘です)
なぜか昔からあって、無くても構わないのだがやめるにやめれなくなっている感じだ。
それから前方に石を並べた大きめの温泉。
右手にシャワーと洗い場、その奥にサウナとマッサージ室。
さらに寝転んで入る温泉や子供用に浅くぬるめの温泉、サウナ用の水風呂や電気風呂がある。
以上が室内で外に出ると露天風呂もあります。
そしてこの温泉に来たらヤツと対峙しなければならない。
なぜかここに来ると必ずいる、必ず会う。
ヤツというのは…サウナの王です。
(僕が勝手にそう呼んでいるだけです。)
サウナの王というのは、おそらくここの常連で湯船には見向きもせずにサウナと水風呂を往復している男。色黒で痩せていて、痩せすぎて尻の皮が余って垂れている。年の頃なら30代半ばぐらいか、雰囲気だけ、あくまで雰囲気だけいうならアルバイト交通整備員で多くない収入の中から国民年金は払わず、入浴代を捻出している。(あくまで想像です)
そんな彼ですがサウナを完全に自分のものにしている。
設備を独占しているという意味ではなく、空間を支配している。我がものにしている。
サウナは言わば彼のステージというか独壇場なんですね。人生を何に捧げても他人に迷惑をかけない範疇なら個人の自由だと思うが、彼の場合それはサウナ。
氷(無料)をくわえる王
サウナに駆け込む王
サウナの中のテレビの横の指定席(玉座)に座る王
汗を絞り出す王
他の常連(王より20歳以上年配と思われる)と『今日は誰それが来ていない』とタメ口で談笑する王
プライドが許さないのか、誰もいなくなるまでサウナを出ない王
サウナから飛び出してくる王
水風呂に飛び込む王
その横の洗い場で頭から髭まですべてT字カミソリで剃りあげていて、失敗して血だらけのじいさん
水風呂でザブンザブンする王
周りを『どうだまいったか』と見渡す王
再び氷を頬張りサウナに駆け込む王
この日も王は僕が入浴中ずーとサウナと水風呂をえんえん繰り返していた。
彼の王たる所以は誰よりもサウナに入っていられることと、あのサウナに入って座る時、サウナから出て水風呂に飛び込む時の流れるような颯爽とした動き。
風の様だ。
何度でも言おう、彼はサウナの空間を支配している、サウナの王だ。
さっきのT字のじじいも大した傷ではない様だが風呂で血流が良くなっているからか、頭だからか中々の血だらけ加減だ。
風呂ではたまにあることなのか周りの人もまったく気に止めない。
血だらけのじじい。
その横で水風呂に飛び込むサウナの王。
シュールだ。
なんだかんだいって僕はサウナの王が好きなのかもしれない。こんなに目を、心を奪われているのだから、好きなのかもしれない。
こんな年の瀬に嫁に嘘をついてまで来たかいがあっかもしれない。
自分は体を洗って各々の風呂とサウナ2回を楽しんで浴場を後にした。
ちなみにこういう風呂屋の洗い場では洗った後の桶の片付け方が何通りかあり、通の常連の片付け方にならいたい。山○では椅子の上にひっくり返して置く様だ。
(蛇口のところに逆さに置くとか、各席ではなくどこかに纏めて置いてあるとか色々ある。)
服を着て、歯をみがいてロビーに出ると王が1人椅子に座りDS(ゲーム)をたしなんでおられる。王は独身なのだ。(たぶん)
王はサウナを出ると見る影もなかった。小さく、威厳もなかった。
まったくロビーを支配していない。
ロビーの隅で小さくなって1人でDSをしている孤独なアルバイト交通整備員だった。
彼はまた明日もサウナに来るだろう。
また氷を頬張り、水風呂に飛び込むだろう。
サウナで彼に敵うものはいない。
彼はサウナの王なのだ。
車に戻りニトリで買った毛布をセットして寝る。この時買った敷き毛布が良かった。
厚みがあって良かった。
自分の車は軽四の商用のバンで2列目以降が席を倒すとフラットになるのだが、ここにこの敷き毛布を敷いて転がると厚みがあり床の固さを感じずまことに具合がよろしい。
他の荷物があり足が完全に伸ばせないのが残念だが仕方ないだろう。
近くにフットサル場があり、10時になってもワーキャー言っている。中には女の子の声も聞こえる。なでしこJAPANがワールドカップで優勝したし、フットサルはサッカーよりコートが小さいからやりやすいのかもしれない。
今日は12月29日だ。
きっと世の中の皆楽しくやっているのだろう。家族でコタツで鍋をつついているかもしれない。恋人と映画館にいるかもしれない。
年の瀬もせまってきている時に自分は何をしているのだろう。
そうだ明日寿司でも食べれば少しは元気になるかもしれない。そんなことを思いながらこの日は目を閉じた。
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