Holy wars ー避けられぬ戦いー

槍の穂先

 俺とバナージは、馬車のなかで向かい合わせになり、それぞれの両脇を筋肉質でがたい・・・のいい男が固めるという、要人でも警護しているのかと思えるほどの窮屈な環境で外を見ることも許されず、三時間もずっとこうしている。

 窓は外側から板を打ち付けられ、舗装されていないと思われる道をいっているということしかわからない。平衡感覚を失い暗い車内に息が詰まりそうになりながら、俺はこの馬車に閉じ込められたときのサーヴァの態度を思い出す。

 スパイの容疑は死を以て晴らせ、そんな理不尽な言葉が脳内に渦巻いては消えた。馬車に乗せられるときにサーヴァから言われた言葉だ。このことをリニャは知っているのかと問い詰めたときに、こともなげに肯定されたことがいまも苦しい。俺がリニャの信用も失ったというのか。

 きっと何かの間違いだ。そう思うことにも飽き、ただ車酔いによる喉にせり上がる酸っぱいモノを嚥下するので精いっぱいだった。

 向かい合わせのバナージも、うつむいたまま何も言わない。もしかして、俺をこの宗教に導き入れてしまったことを悔いでもしているのだろうか。もしそうならやめてほしい。俺は確かに救われたんだ。バナージの明朗かつ情緒的な聖典クルーンの詠唱に、心洗われたんだ。それまで否定されてしまうと、俺の生きる意味が消えてしまう。

 それはそうと、先ほどからこちらをチラチラと横目で見てくるサーヴァのことが気になっていた。用があるなら言えばいいものの、なにやらよそよそしい。どこか、俺を扱いあぐねているような印象を受けた。

 目を合わせると、サーヴァは煙たげに視線を逸らし、これ見よがしに舌打ちをした。


 馬車が止まると、俺たちは乱暴に降ろされた。立て付けでも悪い馬車なのか、五時間も揺られて平衡感覚が全くなくなっていたが、サーヴァを初めとする教団幹部の四人はなんの影響も受けてはいない。

「なんだ、歩けないのか」

 サーヴァを除く三名は、布で顔を覆い、表情を窺い知ることができない。そのうちの一人が、地べたにへたり込む俺たちを見て、ゴミ屑のことにでも言及するかのように言った。

「何……どこまでも我々の手を煩わせよって」

 サーヴァは振り返り、唾を吐きだしては、こちらに歩み寄りしゃがんで俺の顔を直視する。

「死にたくなければ歩け」

 なにか手助けをしてくれるのではないかなどと、期待するほど精神状態は正常でもない。

「んぐ……」

 ふらつく身体を抱くようにして足に力を入れようとする。それでも力が入らない。まるで、ヘリスの神経毒に中てられたときのような感覚だった。

「のおお」

 それでも、こんなところで死にたくない。元々あってないような命だけど、せめて疑いは晴らしてから逝きたい。あの隊商に生きて帰り、最後に別れの言葉くらいは……。

 そんな俺の心を見透かしたように、サーヴァが言い捨てた。

「お前たちが生きて帰る術はねえよ。せいぜい楽に死ぬべく腐心することだ」

 なにくそ、と思った。そんなことをさせてたまるか。どんな拷問をされるのか知らないが、ぜったい生き残ってみせる。思えばこの時はまだ楽観的・・・だったのだ。

 歯を食いしばってなんとか立ち上がり、フラフラとふらつく。バナージはまだ立ちあぐねていたので手を貸してやる。そうすると思いの外強く引っ張られ、勢い余って俺が倒れてしまう。立ち上がったバナージの腕を借りて俺たちはやっと二人で立ち、虚ろな目をサーヴァに向けた。

「……ほう」

 相変わらず、品物でも見るような目で俺たちを見る。この男に今後、俺たちが人間扱いされることは期待できないのだろう。

想像よりは・・・・・、役立ちそうだな」


 一面に休耕田が広がる土地をただずっと歩かされ、ようやく、地主の家というべき瓦葺きで庭付きの家に案内された。その家は遠くから見ても目立っており、藁葺きの簡素な家々とは階級の違う持ち主が住んでいることを苦労せず想起させた。

「ここで待っていろ」

 麻で編んだむしろが敷かれた、小汚い部屋に放り込まれ、待機を命じられる。染みついた汗の臭いがむせかえるようで吐き気がしたが、肉体的、精神的疲労で俺はその筵に音を立てて倒れ込んだ。身体のあちこちが緊張で固まっており、痛みで身体が悲鳴をあげていた。あの狭い馬車のなかに缶詰にされていたのだから、無理もない。

 疑惑は死を以て晴らせ――この言葉がまた脳内で再生された。死の臭いが近く、過酷でいて、逃げ出す場所もない場所に。

 なにやらサーヴァと誰かが話し込む声がした。俺はその声を聞いた記憶を最後に、つかの間の眠りについた。


「誰の許しを得て寝ていやがる!」

 金槌を耳元に振り下ろされたような怒声で、俺は飛び起きた。胸が腐ると思うほどの臭気に、ここが筵の部屋だということをすぐ思い出す。できればあのまま寝ていたかったと思うほどの環境。そこに、長袖長ズボンのみすぼらしい身なりの青年がずかずかと入ってきた。

「あなたは?」

「アアン? 俺はサウード様の畑を耕す小作人だよ。そっちこそ、人の寝る場所を奪ってるんじゃねえ……グハアッ」

 サウードという単語に聞き馴染みがあったが、それを思い出そうとする前に俺に小作人だとなのった青年の身体が力なく覆いかぶさってくる。それは脈打つ血をあたりに振りまき、ただの肉片となり果てていた。

 恐れとともに俺を襲ったのは、不快感だった。血の臭いと汗の臭いが俺の鼻の先で混じりあう。見かねたバナージが死んだ青年をどけてくれなければ、俺は嘔吐していたかもしれない。

「ロドさん、大丈夫ですか」

「あ……ああ。大丈夫」

 とは言ったものの、大丈夫では全くない。だが、バナージが今にもぶちまけてしまいそうなほど苦しげな顔をしていたので、強がったまでのことである。

 倒れた肉片の向こう側に仁王立ちしていたのは、サーヴァだった。一瞬のことだったのに、もう剣を鞘に納めている。

「サーヴァさん」

「なんだ」

「なぜ殺したんです」

「……」

「なぜ?」

「一日この部屋に入るなという言いつけに背いたからだ」

 サーヴァは言い切った。俺がひるんだことで、バナージが負けずに問いかけた。

「しかし、この男性はここは自分の〝寝る場所〟であると……ウッ」

 青年の頸動脈を断ち切った剣の鞘で、バナージは打たれ、身体三つ分飛ばされた。そのバナージが飛んだ先に見向きもせず、サーヴァは俺を睨み付ける。

「話がある。こちらに来い」

 バナージが立ち上がろうともがく音が背中から聞こえた。それを見てサーヴァは剣を再び抜いてバナージに投げた。俺は目をひんむいて振り返った。そこには、上着の布に剣が刺さり血の気が引いた顔でこちらを見ているバナージがいた。

「貴様には用はない」

 サーヴァはそう言い捨てて、腰の抜けた俺の髪を掴み、無理矢理に立たせようとした。俺が立てないと知ると、俺の後ろに回り首根っこを掴んだまま、ずるずると引っ張った。

 痛いなんてものじゃなかった。俺の宗教に対する信頼が、人によって揺らぎ始めた始まりだった。

「槍の穂先になれ」

 一転、豪華絢爛な部屋に投げ込まれ、姿勢を整える間もないまま、見たこともない人に言われた言葉がこれだった。

「は……」

「お前の代わりはいくらでもいる」

 体制を整えきれていないミスナ教徒側が、そのことをクリ族軍に悟られまいと編み出した、特攻に近い無茶苦茶な作戦だった。

「お前が命を賭して一人の敵を打ち払うたびに、同胞を殺す人間が1人減るのだ。死ぬまでにより多くの働きをいたせ」

 もはや、何を言う気力もなかった。


「サーヴァ。なぜ二人揃えて連れてこぬ。私に手間をかけさせるな」

 バナージにもロドリゲスと同じことを言ったのち、仰々しい言葉遣いの男がサーヴァに詰問していた。もちろん、ロドリゲスとバナージは別室に隔離してある――それも薬を嗅がせて眠らせて。

「――あの連れの男が見れば、気づかれたかもしれないですから」

「なにがだ」

「預言者さまはお気づきであらせられないようで。あなた様は、ロドリゴと顔立ちがよく似ていらっしゃる」

 預言者と呼ばれた男が、眉間に深いしわを作った。それをみて、サーヴァは身を固くする。この顔をされた人間が彼に殺されてきたところを、預言者の一番の側近は身飽きるほど見ている。

「――よい。しかしサーヴァ」

「はっ」

「私があの男と顔立ちが似ているという話、私の前で二度とするでない」

「――御意に」

 サーヴァは主に背を向けぬまま、部屋を辞した。

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