リニャの若かりしとき

 セオがいなくなって三年が経った。リニャがキャラバンを継ぐ形になったが、セオが受けていた密命は自然消滅したので、ラーマ王国に隊商と護衛の軍人として偵察に行くこともない。

 密命が一体なんだっかのか、はっきりと聞かないままに時間が過ぎてしまったので、今さら聞くのも違うような気がしてためらってしまう。預言者が住んでいるという国が、ラーマ王国内部の調査をキャラバンに命じていたとだけ聞いていたがそれ以上のことは皆も知らないのだという。

 俺たちは至って普通の商人として、都市国家群の間で品物を売り買いする。ただ、ミスナという神に理解を示してくれる都市国家に限るが……。

 リニャはその人柄もあって、各地でいい商談をしては契約を勝ち取ってくる。本当に優秀な商才を持っているのかと思えば、リニャは元軍人なだけあって、交友関係が庶民のものと比べものにならないほど広いのだ。

 都市国家を牛耳る支配層の一族に簡単に取り次げたりするし、軍用品の流通のことにも詳しい。そして、戦争の臭いにも敏感だった。

 リニャの本名を、リニャ・フリークスといった。フリークス家は、ルイス家が本拠を置いていたニリヒ・リニャという国家の支配層の一族の血を引き、庶流ゆえに政治には関われなかったとはいえ軍人として名を上げることができた。なんでも、紛争の絶えなかったこの地域の都市国家群を休戦に持ち込んだのも彼の功績らしい。

 そんなリニャが、なぜ勇退するほどの年でもないのに市井に紛れて商人兼大工をやっているかといえば、なんでも若さゆえの過ちらしい。

 リニャが軍にいたころの知り合いだという軍医に、二年前に診てもらったお陰で、俺の脚はわずかながら感覚を取り戻し、杖さえあれば歩けるまでに回復した。俺は頭が良くないから、主に隊商では事務仕事を担当している。そんなある日のこと、そのリニャの過ちとやらを聞いた。

 珍しく早くに目が覚めてしまい、窓の外を見て驚いた。初めは、窓にかけられたすだれから真っ赤な光が漏れていた。町が燃えているのかと錯覚するほどの赤々とした赤だったので、冷や汗をかきながら外を見ると、息を呑んだ。空一面の朝焼け。それは余りにも荘厳で、俺はしばらくその空を見ていた。

 そんなときにリニャが井戸の水で顔を洗っていた。水の音で振り返った俺に、リニャは冷やかすようにこういった。

「物憂げに空なんか見上げたりして、お前さては恋でもしたか?」

「なにを……!」

 全くの濡れ衣であったし、そもそもリニャも本気で言っているわけでもなかったから、俺の恋の話はすぐに立ち消えた。そして隣り合って朝焼けの美しさを語りあったのち、俺はほんの少しの悪戯いたずらを思いついた。

「リニャの恋バナ、教えてくれよ」

「……え? なんだよ急に。それに恋の話なんてオナゴが寄ってたかってやるもんだろうが」

「俺に下衆の勘ぐりをした罰だ」

 それを聞いてリニャはしばらく呆けたような顔をしたのち、口を開けて豪快に笑いだした。あっけにとられていると、リニャはこちらの目を真っすぐ見て、よかろうと言った。

「ただし、あまりの惚気のろけぶりに後悔するなよ?」

 俺は嫌がると思っていたリニャの予想外の言葉にまばたきして戸惑う。兄貴肌で硬派だと思っていたリニャの意外な一面を見ることになった。


 話は十年前にさかのぼる。リニャは弓兵として、その法外な矢の飛距離で諸国から恐れられる存在だった。空から降りしきる沢山の矢から一本の矢だけがグンと飛距離を増し自分に向かってきたときは恐怖だったと、かつてニリヒ・リニャと敵対していた国家の王が言った。

 そんななか、リニャはあろうことか、隣接する国家パズーの国王の妹に恋心を抱いてしまう。

「そんな詩人の絵空事の物語みたいなこと……」

「あるんだよ」

 断言され俺は笑えなくなってしまう。俺はそれ以上何も言えず、柄にもなく頬を染めるリニャを横目で盗み見する。

「パズー家とフリークス家は、ちょうどそのとき捕虜の扱いで揉めてたんだ。捕虜は殺さないというところまでは合意したが、引き渡し場所などを擦り合わせるのが、政治家さんたちの手を煩わせていた。互いの国家の構成員が酔った勢いで揉めたのがきっかけの戦争だったが、思いの外こじれてな……。それで俺は、パズー家のお姫様に気に入られたい一心で、独断で捕虜を解放した」

「――――はあ?」

 思わず身体すらリニャの方に向け、その際に足の小指を壁にぶつけてしまう。幸いなことに足の感覚はわずかしかないから、それほど痛みは感じない。だがそこそこ痛い。

 足の指のことで一瞬忘れそうになったが、国家同士で揉めてるときに捕虜を勝手に解き放つなど言語道断だということぐらい、下層民の俺でもわかる。捕虜はいくら武器を奪っていようと元兵士である。自分のところの兵士が囚われているのに敵の兵士を解放してしまっては、敵に戦力をタダで与えてしまうことに他ならない。

「それって下手すれば国民への背信行為でしょ」

 敵地に囚われているのは軍部にとっては兵士であろうが、国民にとっては愛する父であり兄であり弟であり息子なのだ。その安全が保障されないままに憎き敵の兵を解き放っては、国民が暴動でも起こさないかと心配になる。

「ああ。お前の思っている通り俺は罰せられた。――だが、戦争はそれで終わった」

「え」

「俺の行いに敬服したあちらさんの国王が、こっちの捕虜も全員解放したんだ。それで敵には仁徳者がいると話題になったらしく、俺はあっちからもてはやされた」

「……そんな物語みたいな」

「あるんだよなぁ、これが」

「仁徳者もなにも色恋沙汰なのに?」

「……そこは突くんじゃないよ、君」

 彼の噂は広まり、瞬く間に高名になったが、規律を破った罪が消えるわけでもなく、彼は当然のごとくに失職した。

 そんなときに、彼に職を与えてくれたのがルイス家だったらしい。

「セオの父君に俺は拾われて、なにやら商売のことを学んだが、俺はそれほど頭がよくないから、ものにならなかった。そこで力仕事をやらせればハマったというわけ。それで俺は当主と仲がよかった」

 元軍人とあってリニャは当主のよき語り相手になり、酒を飲み交わしたこともしばしばあったという。

 ――一時の沈黙。次男のよき教育者になってくれと送り出された先はセオのキャラバンだったが、肝心のセオと父である当主との仲は険悪になり、やがてセオは父親である当主を殺してしまう。

「それでだ。俺は、恋慕の相手のお姫様にお目通りが叶う」

 気分を盛り上げるようにリニャは言う。

「遠くから見るだけだと思ったろ? いや、違うね。レンガ造りの五階建ての屋敷のなかで、一対一で拝謁したんだぜ? そのころお姫様はとうに有力貴族と結婚されていたが、俺はますますお姫様が好きになった」

「色々突っ込みどころがありすぎる」

 なぜ元はといえば敵対国家の軍人と、国王の妹君が一対一で会わねばならぬ。そして既婚者を好きになるんじゃない。

「それが俺の恋模様だ。どうだ、臆したか」

「はい、全くもってバカですね」

 そのときおーいと俺たちを呼ぶ声がした。

「お、そろそろ朝飯の時間だな。お前も顔くらい洗っとけ」

 俺はそのとき初めて顔すら洗っていなかったことに気づき赤面するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る