第4話 食い違う記憶

 好きな作品は何度も読むタイプだし、好きなフレーズがあると暗唱出来るようになるまで繰り返し読む。

 莉奈の作品はどれも好きなので、大抵の作品は繰り返し読んでいる。

 特に一年生の時に書いた作品は大のお気に入りだ。

 少年と少女が夏休みの花火大会で体験する淡い恋物語で、花火の描写と少女の心理描写が巧みに絡み合う事で生まれる独特の雰囲気は特筆すべき物がある。

 たった五枚の原稿用紙でよくこんな密度の物語が描けたものだと思う。


 そして作者である莉奈は、その花火大会のシーンで行き詰まっていた。


「花火をただ描写するだけだと時間経過とか情景描写にしかならないよね。ページも少ないし、どうしようかなって」

「ほほう、なるほど。やはりここはだね、花火の描写にぃ、少女の心理描写を絡めることでだね……」

「うんうん」


 もの凄く真剣なまなざしで俺を見る莉奈。

 もっともらしいことを適当に並べているが、結局最初にこの文章を書いたのは莉奈であり、俺はそれをただ再現しようとしているだけだ。

 あまり慣れていない立場のせいで、なんだか言葉遣いが芝居じみてしまっている件については、誰にも突っ込まれずに済んでいるので気にしないことにする。


「つまりぃ……、あー……」

「うんうん」


 解説のネタが尽きた。話をつなげられない。

 そりゃあそうだ。俺が考えたわけじゃない。

 あくまで莉奈がどういう風に書いたのかを解説してるのだから。


「……こういう感じでどうかね、チミぃ」


 結局解説しながらやるのも無理があったので、原稿用紙に直接書くことにした。


「最初からそうしてあげれば早かったのではありませんか」

「こういう時だけ迅速に突っ込んでくるんだね!」


 女神はいったいどこで見ているのかわからないが、現状ではただのツッコミ役でしかない。

 ツッコミの台詞は俺以外に誰にも聞こえていないが。

 俺がうっかり声を出してリアクションを取ってしまうと完全に不審者だ。

 もしくは春先によく出没する人みたいな扱いをされかねない。


「つうか黙っててって言ったよね、俺?」

「そうでした」

「頼むわ。呼ぶまで出なくていいから」

「喚び出す場合にはどのような形になるでしょうか」

「うん学習してるね、最初に確認するのえらいね。でもそれは何でもよくね?」

「そうでしょうか」

「指を鳴らして呼び出すとかしないじゃん? 脳内で呼び出すじゃん?」

「そうですね」

「そしたらなんでもいいじゃん?」

「そうでしょうか」

「とりあえず話進まないから黙っててくれる?」

「失礼しました」


 脳内における女神との壮絶な舌戦を何とか乗り越え、原稿用紙のマスを埋めていく。

 幸いにして一字一句覚えていた部分なので、完全にトレース出来ているはずだ。

 最初の花火が打ち上がる数行分だけを書けば、あとは莉奈なら続けられるだろう。


「わあ、すごい!

「こういう感じで書いていけばいいだろ」

「すっごい! そう、こういう感じにしたかったんだ! でもどう書けば良いかわからなかったんだよね……!」

「そうだろうそうだろう。俺くらいになるとわかる」

「本当……なんでわかったの?」


 一度読んだことがあるからです、とは言えない。

 一度どころか文集の表紙がすり切れるくらい読み返したとは言えない。


「すごいよね。なんか、しゅうちゃんが書いたのに、私が書いたみたい……っていうと、変かな」


 変じゃないです。

 だって事実その通りだから。


「なんか、私より私の文章になってるっていうか……ホント、すごいねしゅうちゃん!」

「いやあ、莉奈だったら、こんな感じに書くかなって言うのを考えながら書いてみただけなんだけど、そんなに良かったか?」


 本当は莉奈が書いた文章です。


「読点の位置までそれっぽい! 私ね、今気付いたけど読点多いのね」


 だってそれは莉奈が考えた文章だから。

 なんだか嬉しそうに自分の文章の傾向を話しはじめたけれど、そもそも全て莉奈の生み出した文章なので、違和感があるはずもない。

 しかし原稿用紙の上では、途中から俺の字で文章が綴られている。

 これって結局最初に考えたのは誰になるんだろうか。


「しゅうちゃんって、何でも出来るんだねえ」

「いや、それはないだろ」

「ううん! 本当に! 前もこんな事あったの!」


 大きな目をさらに大きく開いて嬉しそうに語り出す。

 テンションが上がるとどんどん近づいて話し始めるのが莉奈の癖だ。

 今まで特にそれについて思う所もなかったけど、こうして改めてぐいぐい来られると、なんというか、凄い。

 凄いという表現は絶対適切じゃないけど、語彙力が減るのでこれしか言えない。


 無防備で、無邪気で。

 こんな笑顔を間近で見られるなんて。

 今までの俺、ちょっと恵まれすぎじゃね?

 一八年間、どれだけ無駄な時間を過ごしてきたのかというのを痛感させられた。

 今頃走馬灯じみた過去の思い出がぐるぐる蘇ってきた。

 どうして今までこれで普通の幼なじみでいられたのか不思議なほどのシーンがいくつかあった。


「前にあったっけか、こんな事」

「あったよ! ウチに遊びに来たときに料理を作ってくれた事があったの!」

「いつの話だよ」


 莉奈の家に遊びに行っていたのは小学生くらいまでだった気がする。

 しかし料理を作ってあげたという記憶はちょっとないのだが……。


「六年生の時だよ? 覚えてない? ウチの親が旅行でいなくて、ご飯を代わりに作ってくれたんだよ」

「あったかな、そんな事……」

「あったんだってば!」


 照れ隠しとか強がりとかそういう感じで否定している訳じゃない。

 本当にそんな記憶がない。

 確かに六年生の時に莉奈の親がいないという事はあった。

 泊まるかどうかという話をしたので覚えている。

 結局逃げ帰ったけど。


「その頃から大事な場面で逃げる性格だったんですね」

「そうなんだよね、いざとなると腰が引けるっていうかね、そういう事言われるカナーって思ったけど本当に出てこなくて良いから!」

「失礼しました」

「いいって言うまで本当に黙ってて? 本当に今良いところじゃん?」

「……」

「うん、返事はしていいから」

「わかりました」


 とにかく。

 俺の中の記憶では、その時は莉奈が料理をしてくれた事になっている。

 さらに、そこで彼女が怪我をしてしまう。

 まだ小学生という事もあって元々料理はしなかったが、この件以来台所に立つことすら嫌がるようになった……という風に覚えていたのだけど。

 俺の方は、元々小三あたりから自炊を覚え始めていた。

 なのでこの頃に料理をしてあげる事自体はそれほどおかしな事ではない。

 そうはいっても、俺と莉奈で全く逆の記憶というのもおかしな話で。


「両親がいなくて寂しいって言ったら、しゅうちゃんが料理作ってくれたんだよ?」

「そうだったっけ……」

「そうだよ! すっごくおいしくてびっくりした!」

「まあ、自炊は小三の頃からやってたはずだしな」

「そっかー! ……そうだよね」


 俺の家の事情もよく知っているので、言われただけで状況をわかってくれたらしい。

 ちょっとだけ表情が曇ったように見えたが、気のせいかと思う程にすぐにいつもの笑顔に切り替わった。


「私、しゅうちゃんの料理食べてから、自分でも料理するぞ! って思ったんだ」

「莉奈の料理って、俺食べたことあったっけ?」

「え? なかった?」


 少なくとも、俺の記憶の中では、ない。

 自分で料理をするといって実行したのはこの時だけのはずだ。

 中学に入って若干疎遠になってしまったという事もある。

 高校に入って、また同じ部活に入る事でこうして話すようになったのだった。

 それにしても、莉奈がこんなに近くで話してくれるのを見るのは、久しぶりだ。

 大学受験の時期はさすがに別々で勉強してたし、目指す大学も違ったから、最近はあんまり会うこともなかった。

 平静を装ってはいるものの、こんな間近で顔が見れるなんて緊張しっぱなしだ。


 放課後の、生徒の残っていない裏校舎は、ほとんど物音もしない。

 吹奏楽部の練習の音が時折聞こえるくらいで、廊下を通る人もいない。

 そんな静かな空間で、肩が触れそうな程の距離に彼女がいる。

 ずっと倍速状態の心臓の鼓動が聞こえやしないかと、内心ひやひやしている。


「あ、あのね、しゅうちゃん」


 そんな近い距離の莉奈が、若干困ったような切ない表情を向けてきた。

 夕日に照らされた彼女の顔が、普段よりも若干赤みを帯びて見える。

 色白な彼女の顔に紅が差すと、想像以上に濃艶な雰囲気が増す。


「ど、どうしたんだよ」

「えっとね、ちょっと、お話したい事があったんだ……」

「なんだろうな……」


 見たこともないような雰囲気の中、恥ずかしそうに視線をそらす姿がさらに艶を増す。

 あれ、なんか雰囲気おかしくね?

 元々俺の方からこういう話切り出そうと思ってたんだけど。

 これ、逆じゃね?


 ゆっくり視線を俺の顔に戻してきた。

 顔が紅いのは夕日のせいだけではなさそうだ。

 小さな唇が、少しずつ開く。

 そのまま開くかと思えば閉じたり開いたりを繰り返す。

 何かを声に出そうとして、逡巡していかのような。

 胸の前で手をぎゅっと握って、大きく息を吸っている。


 あれ、どうしよう、これやばくね?

 このまま流れに身を任せていいもんだろうか。


「えっと、あのね……」


 莉奈が、ようやく唇の動きに、声を乗せてきた。

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