2-1 

 リファンからガルバ村へと続く一本道の途中には、小さな脇道がある。

 一見獣道のようなそれを進めば、突然、木々に覆われていた視界が開ける瞬間に出会う。

「すごい…絶景…!」

 地湧滝。

 大地を抉ってつくられたような青い池。そこから絶壁を這い上るように、上へ上へと延びる水流。

 一時間に何トンもの水が池から生まれ出では、重力に逆らうように山へと還っていく。

 轟音と吹き上がる水飛沫。日光を反射して輝くその姿は、確かにこの世のものであるはずなのに、異世界に迷い込んだような錯覚を与えた。

 それは約80年前からこの国境山脈の麓にあると言われている魔導遺産だ。

 おそらくは“魔女”に匹敵するほどの強い力を持った人間が、この場所で強い願いを具現化したのだろう。

 何のためにこんなものを作ったのか、どんなイメージがその願いを叶えたのか、現代となってはもう分からない。

 しかし、この場所が人間の起こしうる奇跡の象徴として、地元民だけでなく多くの人に尊崇の念を抱かれ続けてきたのもまた事実だ。

 だがその一方で、人の魔力はその死後、最大でも100年ほどしか持たないという。

 この奇跡の絶景が見られるのもあと20年ばかり。

 リラはそのことを少し惜しいと思いながら、自らの使命を果たすべく、周囲の調査に意識を向かわせた。

「トルフィアにアンブラ…。あ、天然物のキロンまである」

 目に映るすべての草花や木々がリラの目には輝いて見える。

 全て見知ったものではあるが、自然に萌え出た目の前のそれらは、畑のものたちとは段違いに生命力に満ちているように感じられた。

「滝の周辺は魔力の濃度が高い…。何か関係があるのかしら」

 五感の全てを働かせて周囲を探る。

 奇病研究は、どんな小さなことであっても見逃さずに記録することが基本だと教わったことがある。原因も何もかもが分かっていない病にとって、その謎を解くカギがどこに隠れているかなど誰にもわかりはしないのだ。

 想像の範囲外に存在するかもしれない鍵を見つけるためには、地味な調査をどこまでも粘着質に行うことが一番。

 そういった研究への姿勢は、単なる薬草摘みにもつい出てきてしまう。

「あぁ、土とか持って帰りたい。地湧滝の水も分析してみたいわ…。ああでも、兄様ならもうやっているかしら」

 意識の外側で自分の中のメディカ家の血が沸き立つのを感じる。

 世襲制という呪縛から解き放たれた一族の底知れない研究欲求。

 それはユノを別の意味で有名にした、一族の悪い癖でもあった。

 学院卒でないにもかかわらず、何十回にもわたる宮廷医術士の打診を受け、かつそのすべてを「興味ない」の一言で突っぱね、国中を走り回っている研究狂キュリオメニア。常識という常識を完全無視し、自らの好奇心にどこまでも従順に生きる変人。

 そういった意味でも、ユノは注目を集めていた。

 そして、気味悪がられた一族の血は、確かにリラの身にも流れているようだ。

「そういえば昔、大量の水が送られてきたことがあったわね。あの時は意味がよく分からなかったけど、今なら兄様の気持ちがよくわかるわ。確か、まだ資料室にあったはず…。帰ったら分析させてもらおう」

 かつて瓶詰になった各地の水が大量に送られてきたことがあり、まだ幼かったリラは兄の思考回路をひどく疑ったものだ。

 しかし、成長した今だからこそわかる。兄のしたことには確かに理由があったのだ。常人には理解しがたい場所に。

 ただ、本格的な調査をするならば、もっと大掛かりな道具が必要になる。

 そんな道具はあいにく持ち合わせていない。と口惜しく思ったとき、リラは不意に我に返った。

「落ち着きなさい私。お前のすべきことはなに?」

 自問自答。

 そもそも見失いつつあるが、今回のリラの目的はジシャに頼まれた薬草の採取であり、ガルバ村やその先の村で待つ患者たちの診察だ。

 柄にもなく熱に浮かされてしまったことを密かに恥じつつ、リラはあふれ出る好奇心を無理矢理押さえつけた。

「とにかく早く薬草を採取してガルバ村へ向かわなくては」

 周囲をしばし見渡した後、滝から少し離れた場所に座り込み茂みを物色し始める。

 雑草に紛れて貴重な薬草の姿が見え隠れしていた。

 真っ赤な根が特徴のキロンは、食材として一般家庭の食卓でも見られる薬草だ。 今時のキロンはほとんどが畑で栽培されたもので、このように自然に自生しているものはかなり珍しい。

 アンブラは一見どこにでも生えていそうなキノコだ。地中に埋まっている菌核という菌糸の塊が薬になる。山に生えているものの中にはアンブラによく似たアンドラという毒キノコが混じっていることがあるため、素人が扱うのは禁止されている。

 幼い頃から自宅の温室で鍛えられた目で、リラはより薬効の強そうなものを見極めていく。

 その途中で、リラは不意に声を上げた。

「ごきげんよう。ここはとてもいい場所ね」

 誰もいない空間に、リラは語り掛ける。

 無論、答える者はいない。それでも続ける。

「あらそうなの。それは素敵だわ」

 傍で見ている者がいれば、頭がおかしくなったのではないかと心配しただろう。

 しかし、当の本人には何か常人には見えないものが見えているようだった。

『ごきげんよう!』

『いいお天気ね!』

『私を見て!きれいでしょう?』

「ええそうね。とても綺麗だわ」

 風の隙間に紛れるように囁かれた言葉を、リラの耳ははっきりと聞き取っていた。

 リラにしか聞こえない声。それとリラは会話していた。

『大雨が降ったの!』

『水がいっぱい!』

『もう満開なの!』

 声がするたび、茂みの植物たちが小さく揺れる。

それは、植物たちの囁きだった。

「ここでは誰も見ていないわ。私といっぱいお話ししましょう」

 楽し気な会話が交わされる。植物にとっても、自分たちの言葉を理解する人間など稀だった。

 これこそが、メディカ家が代々薬草の扱いに長けている理由。

 この一族の者が皆持つ、特殊な“耳”の力。

 まじないを使えないリラが、密かに誇っている特殊能力だった。

 それは、“特性”とよばれる魔力異常の一つだ。通常は目に見ることのできないはずの魔力を知覚する“真正の眼”のように、感覚器官に変異は現れることが多い。

 奇病と発生のプロセスは同じだが、その異常が生命に影響を与えることなく、かつ魔術士として一つの個性ととらえられるものがこの“特性”に分類される。

 メディカ家の人間が持つ“耳”もおそらくは、遺伝的な“特性”なのだろう。

 能力について、ユノは幼い頃に一度だけ教えてくれたことがある。


「リラ、これはリラと兄様だけの秘密だ。だから、約束をしよう」

「約束?」

「植物の言葉は、語りかけられたその人だけのもの。決して、たとえ私であっても教えてはいけないよ」

「どうして?」

「植物との信頼が壊れてしまうから。植物から、嫌われたくはないだろう?」


 あの頃はそのままの意味で受け取っていたが、今ならユノの言葉の真意が良くわかる。

 この力はメディカ家の“宝”だ。古より膨大な知恵を生み出してきたメディカ家には門外不出の技術、書物、そして能力があると研究者たちの間にではもっぱらの噂だった。

 それらが噂の内で終わっているのは、家名が廃れてしまった今でも細々と繋がれてきた一族の者たち、リラとユノによって守られているからだ。

 そして、そもそもメディカ家、というか医術士全体に共通する禁忌として、たとえ同じ分野について研究をしていたとしても、他人の研究を覗き見ることは絶対にしてはいけないというものがある。

 研究が義務付けられている医術士だからこそ、その義務を完遂するための決まり事。

 それは、いくら兄妹といえど、簡単に破られるものではない。現に、リラはユノの研究室に未だ入室を許されていないのだ。

 この旅が成功した暁には研究室に入れてくれる。そう約束したのだから、リラのこの旅への意気込みが並々ならないものであることは確かだった。

 失敗することはできない。だからこそ、リラは目の前にある仕事一つ一つに誠実でありたいと思っている。

「貴方たちの力を借りたいのだけど、良いかしら?」

『もちろん!』

『私を使って!』

『使って使って!』

 いつだって植物たちへの感謝を忘れてはいけない。

 それもまた、兄から教わったことだ。

 メディカ家の医術士は、薬草と共に技術を磨いてきた。薬草たちの命を受け取って、人々を助ける薬に変えてきたのだ。

 植物との絆が何よりも宝。いつだって、礼儀を欠くことは許されない。

「ありがとう」

 丁寧に断りを入れてから、そっと掘り起こした。必要最低限だけ採取し、薬草籠にしまう。

 ジシャ老士からのお使いはこれで終わりだ。

「さて、そろそろガルバ村に向かいますか」

 黒衣の裾に付いた泥を払い落とし、リラは立ち上がる。目的位のガルバ村はここよりさらに山の奥。

 リラの訪れを待っているのは薬草だけではないのだ。

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