Chapter37

 モニターの中、黒い背景にリアルタイムで線グラフが描かれていく。源士のスーツを介して転送される、彼のバイタルデータである。体温、脈拍、脳波。各種パラメータは今のところ正常な閾値を保っているので、美晴はひとまず安堵した。


 というのも、ドクターを拝み倒して、どうにか試合再開を取り付けたのである。その条件として、このバイタルデータの提出が命じられたのだ。試合を再開して、どれか一つでもパラメータが異常を示した瞬間、問答無用で敗北となるのである。


 正直なところ、ここから先源士が無事な保証はどこにもない。あれだけ派手なクラッシュを演じたのだから、異常がない方がおかしいのだ。脳に何かしらの影響があれば、ひょっとすると十秒先、一秒先にでも意識を失っている可能性だってあるのだ。


 それでも、美晴は走れと言った。勝てと言ってしまった。


 だって、当たり前じゃないか。


 よもや源士が、あの言葉を口にするなんて思わなかったから。


「……俺たちには今しかない、か。虎も同じようなこと言ってたっけ」


 飯富虎生の口癖だった。死と隣り合わせの遊戯の中で勝利を目指す、その言葉だけが、命知らずのブラストライダーたちの持ちうる免罪符だと、美晴も承知していたはずなのに。


 やはり、自分はブラストライダーになれなかった訳だ。もう二度と迷わないと誓ったはずだったのだが。


 だが、この腹の痛みがじんじんと響いているうちは……美晴は冷静だ。


「オーケー、源士。オーダーは変わらずよ。細かいことは言わないから、叩き潰しなさい」


 マイクにむかってそう指示を出すと、ややあってノイズと共に「わかってる」と源士の声がした。バイタルデータがそうであるように、源士も冷静であるらしい。さっきは思わず蹴倒してしまったが、頑丈でよかったと胸を撫で下ろす。


 モニタ機材と通信機器が埋めるピットの指揮所で、美晴は腕組みしてリアルタイムのカメラ映像を睨んでいる。


 その隣では、逐一データの観測と分析を行う駒井雅丈がいた。


「しかし、彼は良く走る気になりましたね、お嬢様」


 半ば呆れたような彼の口調。しかし、その顔つきは幾分か平生のものだった。


「もっとも、そうでなくては困る、といったところですか。我々は今結果を残す必要があるのだから。彼の勝手には業を煮やしたが……いよいよ《忠誠心》が芽生えてきたということか?」


「忠誠心ねえ。私はそんなのは求めてなかったのだけど」


「しかし、実際には必要なものです。指揮者のオーダーを忠実にこなせる。一個のチームとして機能させるには《忠誠心》のあるライダーでなければ。そういう意味では、真田隆聖は極めて優秀だった。そうであれば、お嬢様がああ言った曖昧な指示を下すこともなくなるというのに」


 嘆息する雅丈。理論とチームワークを至上とする彼は、本心でそう言っているのだろう。そして、それを臆面もなく口にできる点は、彼の長所であるが、短所でもある。


 確かに隆聖の様に与えられた仕事を着々とこなせるライダーは、チームにとっては管理のしやすい存在である。勝率もはじき出しやすい安定感のあるタイプと言えるだろう。


 だが、果たしてそれだけがすべてと言えるだろうか。


「……ちげーんだよ。源士の奴は」


 小山田兵吾である。少し離れたところで、コンクリの地面に胡坐をかいていた。遠くから源士が疾駆する映像を映し出すモニタを凝視する兵吾だが、その表情は冴えない。あからさまに不機嫌だった。


「確かにアイツは、人の話聞かないしよ、勝手に突っ走るし……ダメな奴だけど……源士は、そういう時が一番つえーんだよ」


 人に使われるのは性にあってねーんだ、と兵吾は頬を膨らませて言った。


 彼は源士の長年の友人。親友と言えるのだろう。その彼が誇って言う、山県源士と言うライダーの本質。美晴には、分からなくはなかった。戦いに臨む前、あの獣の様な眼光を目の当たりにしたが故に。


「ふん、そうやってあの男を推す割には、随分不服そうに見えるがな?」


 雅丈の硬質的な態度。早々に殴り合いに発展しそうな双方の雰囲気に、美晴は見かねて、間へと割って入った。


「小山田くん、源士をもう一度サーキットに出したの、反対だった?」


 兵吾はぎくりとした顔をしたが、バツが悪そうに視線を逸らした。


「俺だって分かってんだよ。負ける訳にゃいかねーんだ。それに、源士だって……黙って負けを認める様なタマじゃねーし……でもよ」


 兵吾は悲しげに俯いて自分の手を見ていた。汗ばんだその手は、彼の緊張が見て取れた。


「俺ぁ、マシンの調整しか出来ない奴なんだ。だったら、せめて完全に調整したマシンで送り出してやりてーんだ。あいつは命懸けで戦ってるのに、俺にはそれしかできねーから……でも、それだって俺は完全には……くそっ」


 まったく、うちの男どもはどうしてこう、揃いも揃って我が強いのか。彼は、マシンがクラッシュしたことに責任感を覚えているのだ。


「兵吾くん、それは――」


「ああ、それは違うぞ。小山田兵吾」


 美晴がフォローするより早く、雅丈が切り捨てる様に断じた。


「我々はチームだ。ミスは個人の責任にあらず。チーム全体の問題である……付け加えるならば、マシンのトラブルや事故は調整の不備だけで起こる物にあらず。お前だけに起因するものではない」


「駒井……先輩」


 兵吾は、目から鱗と言った風に、ぽかんとした表情をうかべた。


 そんな兵吾には一切視線を合わせず、淡々と言い切った雅丈。果たして励ましているのか、それとも本当に思っていることを垂れ流しにしているのか。しかし、ある意味では彼の性格が良い方に出た、とも。


「ふふん、そういう事ね。小山田くん。キミの所為じゃない。それに源士は――見てみ?」


 不意に、割れんばかりの歓声が地面を揺らした。それの意味するところは、考えずともすぐに分かった。


 モニタの中。二機のマシンが同じストレートを疾駆する。間もなく交差しようとするその瞬間だった。


 片方は、オレンジ色の外装と煌く六つ星のチームマークを関するマシン。ライダーは悠然とした動作でランスを構える。真田隆聖とその愛機が迫る。


 もう一方は傷だらけで外装も脱落したボロボロのマシン。僅かに残ったサイドカウルの赤色に、連なった菱型のロゴが黒く染め上げられてた。そして、それを駆るライダーもまた、擦過にまみれて満身創痍の様相を呈している。


 パッと見には、どちらが優位か言うまでもない。


 だが、美晴には見える。ガラクタじみた赤いマシン。即ち美晴たちの《四式カザン》と山県源士の疾走と、ランスを脇に構えたフォームが何かを窺っている。


「い、いっけええ! 源士ぃ!」


 立ち上がり兵吾が叫ぶ。つられて、美晴も息を呑んだ。


 モニターの中で映像が揺れた。マシンを捉えるために動いたカメラが、そのスピードからなる衝撃で揺れたのか。それだけ、源士のマシンは速度が乗っている……だが、彼の《デッドリー》ならばここからが本領。


 ――刹那、《四式カザン》のシルエットがブレた。


 瞬間移動と呼ぶに等しいその挙動で、源士のマシンは一気に真田隆聖と距離を詰めた。


 間違いなく《デッドリー》。急加速するマシンと、跳躍の如き下半身のバネで、ランスをカタパルトの様に打ち出す大技。


 ここまでも何度も試みてきて、しかし豊富な隆聖の実戦経験と着実な対抗策から効果を発揮できずにいたその捨て身の攻撃は――


 今、確実に花開いた。


 源士の持つランス、穂先を形成する燐光が、隆聖の胸に吸い込まれる。


「っしゃあああ!」


 兵吾が唸った。その僅かに後、今日一番の歓声の渦と共に、高らかなブザーが会場いっぱいに鳴り渡ったのを、美晴は確かに聞いた。

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