Chapter10

 偶然か、それとも舐められているのか。


 山県源士は二セット目、何も仕掛けてこなかった。それに対し、初戦のモビーディックを警戒した景樹は一拍攻撃が遅れ、その結果は引き分けだ。両者の槍は擦り合いながら交差し、お互いのボディを捉えることはなかった。


 やはり杞憂だったのか?


 あれだけ自信に満ち溢れた顔で出してきた割に、マシンにも何ら特筆すべきところはない。攻撃にしても、面食らったのは最初だけだ。


 だが、あの女の幻影はいまだ消えない。


 長尾景樹は決して愚かな男ではない。彼のこれまでの実績が、それを証明している。伊達にこの学園のブラスト部でエースを張っている訳ではないのだ。


 が、彼のプライドの高さが、山県源士への侮りが、景樹の目を曇らせた。


 故に彼は気づかない。いつもならば気付くはずの、対戦相手の細かな癖の変化に。自らの一挙手一投足が甲斐美晴の掌中にあることに。


 苛立ちが募る。その苛立ちが、底なし沼のように景樹の思考へと絡みついていった。




***




 ファイナルセットである。いや、実際にはまだ第三セットでしかないが、どのみちバッテリ残量を考慮すれば、このセットで勝ちを奪えなければ次はないのだ。


 もっとも、ここに至って源士の脳裏に負けるという心理はさしてない。


 彼の意識は少しずつ長尾からマシンへと移りつつあった。今まで制限されてきたマシンの限界を、今こそ最大限に開放できるときなのだ。それは、源士がこれまで望みつつも手にすることが出来なかった力。


 果たして、それがどれほどの力なのか。


 三度目の青シグナルが点灯した。


 右足で地面を蹴り出す。同時に捻りこんだスロットルから発せられた電気信号が、制御回路を通じてモーターにありったけの電力を供給していく。


 徐々に回転数を上げていくモーター。その拍動を抱きかかえるように、源士はカウルに身体を預けるようにして伏せる。


 スロットルはまだ限界まで回さない。いつものように七割と少し。コース脇を流れては消えていくスポンジバリアや距離表示も、まだ驚くほどのことではない。


 シグナルランプが2回。マッチングラインを超えたことを確認し、源士はランスを持ち上げた。


 煌めく白いカウル、長尾のマシンが見える。


 一度、二度、深呼吸。


 ふと、ほんの一筋思考が脳裏を駆けた。


――さてな、俺はいつからこんな真似をしていたんのか。


 にわか仕込みながら、モビーディックのようなアクロバットもこなしてみせた。普通の槍筋だって悪くなかったと思う。やろうと思えば、スタンダードなプレイヤーとしてもやっていけるはずだ。


 それが何の因果か、いかれているとしか思えない突進に青春と労力の大半を捧げている。自分でも馬鹿げているとは思うのだが。


「それでも、諦めるわけにはいかないんだな、これが」


 懐かしさを帯びた記憶の細い糸。源士はそれを手繰り寄せるようにして、あるイメージを呼び起こした。


 深紅のスーツに身を包んだ一人のライダーである。マシンに跨り槍を構える姿を、源士は自らに照らし合わせる。まるで憑依させるように、脳内に浮かび上がる幻影のライダーのフォームに、自分の四肢をシンクロさせていくのだ。


 これまでは……そう、これまでは、何をどうしてもそのイメージに自分を重ね合わせることが出来なかった。どうしても足りないものがあったのだ。


 圧倒的な加速力。それがなかった。


 だが、今日は違う。


 長尾のシルエットが迫る。マシンの伸びがいい。槍先の震えもなく安定していると見える。ありがたい。奴は手を抜くこともなく、本気でかかってきてくれるようだ。


 これで俺の真価が、そしてあいつ――甲斐美晴の真価が分かる。


 最後のランプが光る。


 頃合いと見た。源士はスロットルを握りしめ、そして一気に開けた。


 クォーン!……それは、雪原を駆ける孤狼の遠吠え。気高く、そして孤独なマシンの咆哮。


 強烈なGが源士の肉体を襲う。その衝撃と引き換えに、マシンが急加速する。


 源士がわずかなうめき声を出しただけで済んだのは、ある程度覚悟していたおかげだった。でなければ、ウィリーしかけたマシンに振り回され、そのまま吹き飛ばされたことだろう。


 だが、その分だけ速い。


「くっ、くはははは」


 こんな暴れ馬に跨って笑う。自分は狂っているかもしれぬ、と思わないでもないが、それでも笑わずにはいられなかった。


 これだ、これこそが俺の望んだスピード。望んだ世界。


 繋がる。いつか見た光景と、思い描いていたフォームと、自分の肉体が思った通りにシンクロしていく。


 風圧と、Gと、歪む視界に耐えながら、源士はランスを構える。上体は伏せ、膝のばねには十分に力を蓄える。ここまではいい具合だ。


 長尾のランスも動き出した。その穂先は確実に源士へ向いているのが分かる。その穂先の輪郭が明確になっていくのも、驚くほど速い。もう、目と鼻の先だ。


 それほどまでにこのマシンは自殺的な速度で駆けている。


 長尾が構えを緩めた。


――焦ったな……?


 覚悟、よし。源士はマシンのスロットルをもう一つ開けた。掛け値なし、これがレッドゾーンの領域。すなわち最大戦速。


 瞬間、赤く染まる視界の真中心に長尾を捉え、源士は縮込めた身体を解放した。


 躍動する肉体。煌めく槍が鋭く伸びあがる。


 同時に、長尾の槍も迫る。源士の身を貫かんとする穂先の軌道が、見える。


――見える……の、なら!


 身体を捻りこむ。ほんのわずか、数ミリの差。だがそれが勝敗を分けることもある。長尾の槍は源士の頬先を掠めた。


 そして入れ違いに、源士の槍は長尾の胸元へと吸い込まれる。


 痺れるような衝撃が、槍から手へ、そして腕から全身へ駆け抜ける。


ゲームセットのブザーが鳴った。




***




 それからのことは。


 試合中のことは鮮明に覚えているのに、その後の記憶が曖昧だというのはおかしな話だが、事実そうだった。


 過剰な興奮状態から解放されて茫然とした状態だったのだろう。気が付けば灯の落ちたバイクに跨って空を仰いでいた。手にあった槍もどこへ行ったのやら、停車する前に落としたらしかった。


 どうにか意識を取り戻してメットを脱ぎ去る。歓声はない。スタンドを埋める観衆からはどよめきしか聞こえず、誰もが予想外に終わった結末に驚愕していると分かった。


「源士、やったな!」


 兵吾である。子犬がじゃれつくように飛びかかってきた。


「やめろって、気持ち悪いな」


「だってよぉ……俺ら、勝ったんだぜ?! ああっ、くそっ!」


 そう言って、機械油のしみついた袖で顔を拭う兵吾。大の男がみっともない、とは言えなかった。ここ数年、兵吾はずっと源士の専属でマシンを調整してくれていた。だのに大して勝ちを拾えて来なかった源士のせいで、彼はずっと努力の成果を見いだせずにやってきたのだ。全体の指揮は美晴が取ったとはいえ、自分の手がけたマシンが成果を出したことに感動も一入なのだろう。


 そして、それは源士や兵吾だけではないはずだ。


「どう、感想は?」


 傍らに美晴がいた。その声は試合前とは打って変わって穏やかで、苛烈な雰囲気は成りを潜めている。が、紅く高揚した頬とつたう汗が、彼女の興奮度合を分かりやすく現している。


「そう、だな」


 源士は、自分の右手をまじまじと見つめた。


 まだ震えが取れない。槍が景樹を捉えた時の衝撃が、柄を無心に握りしめた握力の疲労が、たった数分前にあったはずの幻のような時間を鮮明に思い起こさせる。


 勝ったのだ、俺は。勝てるのだ。


 ブラストを始めてこの方、自分の思い描く理想のフォームばかりを追求してきた。その過程でいくら負けようとも、仕方のない事だとも。だが、堆積したその気持ちはいつしか凝り固まって、別のものに変異してしまった気がする。


 それが引き剥がされて、今、おぼろげにだが分かった気がする。


 ブラストとは、何か。


 そして、もっとその先を覗きたいのならば、きっと彼女は知っている。


 源士は震える手を握り締め、美晴に突き出した。


「次までに、あともう五キロは欲しい。できるか?」


 その言葉を聞いたときの彼女の顔を、きっと源士は忘れることはないだろう。はじめ少し驚いたように目を見開いた美晴は、しかしすぐに笑った。屈託のない、まるで無垢の少年のような笑顔。


「ふふん、余裕よ。五キロと言わず、十キロは出してみせるわ……契約成立、ね」


 美晴の拳が源士の拳に重なる。こつん、と音がした。


 行けるところまで行ってみよう。彼女とならそれができる気がする。


 あの、夢に見たライダーのいた場所へ。そしてその向こう側へ。


 ここから、走り出すのだ。

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