BLAST!! -The pride of crimson-
John Mayer
Prologue
曇天である。
一刻と待たずに雨を降らせ、一条に伸びるアスファルトを濡らすだろう。
そうなれば最後、浮き上がった油と埃がタイヤを滑らせて、マシンの制御を困難なものにする。とてもではないが、『試合』にならない。
だが、問題ない。雨が降る前に、すべてを終わらせるのだ。
コース幅十五メートルのストレートに、一騎のマシンが躍り出る。
高張力カーボンフレームに深紅で染め上げられたFRPの装甲。路面を的確に捉える野太い二輪のタイヤ。心臓たるモータからは三百馬力の大出力を叩きだす。
猛る野獣、モンスターと形容するに相応しいモーターバイクは、聴覚を麻痺させる轟音の唸りをあげて観衆の見守る中を疾走する。
それを御するライダーが一人。
ラバースーツの上に、強烈な衝撃から肉体を守るボディアーマを纏う姿。全身を使ってマシンを巧みに操る。ほんのわずかでも集中力を乱せば、彼の跨るマシンはたちまち暴れ馬と化して、彼自身に襲い掛かるだろう。
そんなピーキーなマシンでも、彼は決してうろたえない。スロットルを握る手は正確に、ステップに掛けた足は力強く、そして頭脳は冷ややかにマシンとの対話を続ける。
ヘルメット越しの視界と、両手両足で抱え込んだ機体から伝わる熱、振動、駆動音、それらの情報を頼りに、彼はまっすぐにマシンを駆けさせる。
目的はただ一つ。
眼前の好敵手に追いつくため? ――否。
並み居る敵を抜き去り、先頭を手にするため? ――否。
誰よりも速くチェッカーフラッグを受けるため? ――これも、否。
この戦いはレースにあってレースにあらず、速さは第一の条件ですらない。
直に分かる。雌雄を決するときが間もなくやって来る。
彼は右手の『得物』を素早く、しかし確実に握りなおした。
一見すれば、それは鈍い光沢を放つ外装で包まれた、円錐状の機械的装置である。把持性を重視したグリップを備え、構えれば先端部がまっすぐと前方を向く。
グリップを強く握りしめる。瞬間、淡い赤色の光が放たれた。
円錐状の先端部、カメラのレンズにも似たシャッターが解放されると、閃光の後、淡く輝く半透明のコーンが形成された。その長さはゆうに身の丈ほどはある。すなわち、特殊な粒子と磁力帯で形成された斥力場である。
これが『得物』。長いリーチに鋭利な先端を持つ一種の武具。
さしずめ、中世の騎士が携えるランスであり、この比喩は極めて正確である。彼をひたすらに前進させるモーターバイクは正に騎馬であり、彼が携える機械仕掛けのランスは、そのもの敵の鎧を突き穿つ武器なのだ。
不意と、彼の視界に一騎のモーターバイクが姿を現した。
鏡写しの自分を見るかのように、モーターバイクを駆り光のランスを構えたライダーが、自分めがけて疾駆する。
一キロ近いロングストレートといえ、互いに時速二百キロで駆け抜けるのだ。二騎が交差するまで十秒とかからない。
残り、八百メートル。
勝負が始まる。
ランスを腰だめに構え、空気の壁を前に暴れだしそうな車体を、強引にねじ伏せる
残り六百メートル。
相対するライダーもまた、ランスを深く構えた。強固なヘルメット越しに相手の相貌は見えずとも、その視線は間違いなく彼を射抜いている。彼の抱く思惑はまた、相手も共有するものだから。
それは、敵を貫かんとする純粋な闘争本能である。
四百メートル。
止めるなら、このあたりが最後のチャンスである。減速をかければマシンはかろうじてその勢いを殺すことが出来るし、セーフティエリアへ退避することも可能だ。命懸けたればこそ、覚悟が定まらなければ、その選択は恥ではない。
だが、今の彼にその選択肢はない。五体満足、意気軒昂。装備もベストなコンディションだ。
何も恐れることはない。今はただ突き進めばいい。
二百メートル。
瞬く間に迫る敵が身構える様をまっすぐに見据え、アクセルを全開に引き絞る。唸りを上げるモータ音に導かれ、マシンは一気に最高速に達した。ごう、と力を増した風圧が彼に襲い掛かる。
百メートル。
もはや逃げることはできない。極限まで研ぎ澄まされた意識の中で、一瞬は永遠にも錯覚する時間へと引き伸ばされる。
その無限遠の中から、彼はタイミングを探し出す。槍を振うに、速すぎれば回避の機会を与えてしまう。遅すぎれば、相手の槍が自分の胸を撃ち貫くだろう。
好機は後も先もなく、ただ一回のみ。
五十……三十……十……
自らも鼓動さえも鮮明に聞こえだす。まだ、まだだ。逸る心臓に惑わされぬよう必死に言い聞かせながら、その時を待つ。
無意味な思考を削り落とし、周囲に渦巻く微細な環境変化をすべて知覚し、あらゆる挙動を武器へと変える。
五メートル。――そして、今。
空を切り、不可視の壁を打ち破り、彼はランスを突き出した。
***
ブラスト、という競技がある。それは、血沸き肉躍るサーキット上の決闘。
彼らは今日も、槍を手に『機馬』を駆る。
***
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