僕らの悲歌慷慨譚

日日 詠 Yomi Tachigori

l'esprit de l'escalier

僕ら人間の人生は時間に支配されている。僕の人生の時間軸はとある地点からとある地点にのみ伸びている。あそこのベンチで座っている老人も、その隣で微笑む乳母も、彼女に抱えられる小さな生命でさえ必ず、それは事切れてしまう。その時間軸の中で、ひと掬いした五分間が全てファンタスティックとは言えないだろう。僕の場合は特に。


ふと他人の時間軸の中に潜り込んでみたくなる。そうした時にはまず、人通りの多いスクランブル交差点へ赴くのだ。直感でこの人だと思った人についていく。これはいわばストーキングだ。でも罪にはならない。僕が学習するための必要な行為だからだ。


まず、その人の背中を見て初めて何を思ったのかが重要になってくる。しばらくは、僕とキミの世界に浸る。境界線を跨り、次第に近づいて行く。重なりあうんだ。ようやっと潜ることが出来たのなら、次は流れるような時間の中で小さな手を沈め、五分間を掬いあげる。デリケートでこぼれやすいから、両手で掬うのがポイント。キミは水槽の中、ただ眺めていることしか出来ない。


双眼鏡を覗くように、その雫の先を見つめる。そう、これがキミの人生の時間軸の中の五分間。きっと終点までこの軸は伸び続けるのだろうけど、その糧となる五分間。そう考えると、ただ覗き込むだけではいられない。


あと五分早く、この世界に足をつけていたらもっと優しい腕に抱えられたのかもしれない。

あと五分長く、アナタと話をしていれば振り向いてくれたのかもしれない。

あと五分短く、仕事を切り上げれば間に合ったのかもしれない。

あと五分遅く、お迎えが来ればその分最後の話ができたのかもしれない。


あと五分早く、あと五分長く、あと五分短く、あと五分遅く…。この呪われた五分から解放される術はないと僕は思っている。ああ、そうだよ。そうさ。馬鹿げた話だ。要は神の作り上げた世界は、神の作り上げた五分間で、僕たちはその五分間、継接ぎされた五分間の中を、たしかに一生懸命生きているはずなのに、報われず、ただ、嘆くことしか許されないのだ。


見ているか、神とやらよ。きっとお前が存在するのであれば、雲の上か、そう、そこの信号機かもしれないし、学校の教室、水槽の中の金魚かもしれないな。どこで見ているのか僕はわからない。でも、いつでも僕らを見て楽しむくらいのところにはいるのだろう?僕は“そこ”だと、確信している。


僕が交差点でキミを見つけた五分間もお前の仕業なのであろう。僕が時間軸の中から五分間を拾い上げ、こうして覗き見る五分間も、お前の仕業なのだろう。…ここまでくると、快感に近い、痛快だ。最高に愉快!


僕はぶくぶくと見つめているお前が嫌いだ。だから、この五分間は、僕の五分間だけは、お前が最高に退屈に感じられる五分間にする。お前の神生じゃないのでな。これは僕の人生だ。僕の人生だ。僕の、人生だ!


そう嘆いたのが、僕の最高で最期の五分間であった

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僕らの悲歌慷慨譚 日日 詠 Yomi Tachigori @hsgwknn1029

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