源三郎江戸日記(弟四部)88 そして長年の確執をとり除くべし、又家臣に吉田藩は宇和島藩の格下だと言わせてはならぬ、親族であろう対等に付き合うのだ、そなたは10万石から7万石に減り、江戸


源三郎江戸日記(弟四部)88


そして長年の確執をとり除くべし、又家臣に吉田藩は宇和島藩の格下だと言わせてはならぬ、親族であろう対等に付き合うのだ、そなたは10万石から7万石に減り、江戸城の詰める間が、

格下になると思うたのであろう、わからぬ訳ではないが、登城して世間話をするだけじあろう、石高が低いので格下と見てはいかん、なぜ何処の大名とも仲良く出来ぬのじあ、わしは、

良く分からぬと言って、


まあ10万石で届けたのじあから仕方ないのう、しかし、今回で10万石に、実収がなるので良いじあろう、もう少し努力して実収15万両にするのじあと言うと、方法を指南してくだされと、

言うので、1000石以上を1000石に家禄を下げれば、5千石は毎年浮くであろう、その金2千5百両は毎年新田開発か殖産に回すのじあよ、さすれば5年後には実収15万石位にはなるであろう、


国家老不服かと聞くと、承知しました1000石以上は総て禄を返上いたしますと言うので、他の一門も異存ないかと聞くと、異存ありませぬと平伏したのです、今回狼藉を働いた者も不問、

に伏すが二度はないぞと言ったのです、上座を降りて若手に人事は冊新しなされ、これからの改革は若い力が必要じあと言うと、総て承知致しました、さつそく人事は刷新いたします、

又吉田藩を訪問して宗純に会うて来ますと言ったのです、


金銀山の場所に代官所を作り治安に勤めなされ、但し採掘に口出してはいかぬぞ、鉱山の警備と産出の確認のみ担当させるのじあと言うと、承知致しましたと言ったのです、しかし良く、

あそこに銀山があると気づきましたなと言うと、作之丞が昔の文献に載っているので、あるのではないかと言たので御座ると言うので、ご老人暫くは藩の為に尽力なされと言うと、ハイ、

最後のご奉公をしますと言ったのです、


そなたの兄は宗家の藩主じあろう、宗家には人材はいないのかとわしが言うていたと言うてくだされ、もっともこれは痛烈な皮肉じあがな、わしが言うたとなれば、そなたが悋気を買う、

事はないじあろう、こんどは奥州路に巡察に行くと言うていたと伝えなされ慌てて藩政改革に着手するじあろう、貸した金はきちんと毎年返させるのですぞ、これで宇和島藩、吉田藩、

の巡察は終わりで御座ると言うと、


宗贇がそれがしに出来る事はないでしょうかと聞くので、先程言うたとおりここは瀬戸内海の入り口にあたります、海防上重要な場所です、大砲が必用で御座るが幕府は各藩が作る事は、

禁止しております、そこで花火作りを奨励しなされ、花火は転用すれば直ぐに大砲になりますと言って、構造を紙に書き、この玉を鉄にして中に火薬を入れて導火線をつけて爆発させれ、

ば、


破壊力は増します、日ごろから火薬の調合になれておくのです、又花火作りなら火薬を沢山所有していても問題ありませぬ、花火作りを奨励するのです、よぞらに上がる花火を色々工夫、

する事が、炸裂弾を作る工夫になるのです、又発射角度を変える事により空ではなく遠くに飛ばす事ができます、色々な花火を作り他国に売れば藩財政も潤い、いざと言う時は役にも立、

ちますぞ、


それを学びなされ、これは吉田藩の藩主が代々伝えていくことにすれば良いと言うと、なる程火薬の調合かと言うので、これからは治水工事、鉱山開発等になくては、ならない物になり、

ます、長崎より書物を取り入れ、大砲の構造と比べなされ、もしもの時はすぐに海岸に大砲を並べられますぞと言うと、わかりました、夏にはあちこちで花火をあげましょうと言って、

なんでも工夫すれば武器になるのですなと言うので、


街中で製造するのは危険です、離れた場所でやりなされ、宗贇殿は工夫を考えて、花火職人にやらせるのです、危険を伴います用心なされと言ったのです、それではこれにて失礼すると、

城を出、船に戻り一路松山に出航したのです、作之丞がきついお咎めがなくてよう御座いましたと言うと、中々話のわかる御老中じあ、みなの者みんなで吉田藩を盛り立てくれ、わしも、

忍びで領内を回るぞ、


作之丞同道してくれと言うと、承知致しましたいつでもお供しますと言ったのです、家老の青木が我々3人は家老を退き、相談役になります、勘定奉行、郡奉行、町奉行の若い者を家老、

に登用してくだされ、さすれば改革も拍車がかかるでしょうと言うと、よく申した今日より3人は家老職をお役ごめんにする、山田、乃木、白根、家老に任ずる、工夫を考えて上申する、

のじあと言うと、


三人が精一杯奉公しますと平伏したのです、源三郎達は程なく松山に着き、城下外れの道後温泉の旅籠に入ったのです、ここは松山15万石松平定直の城下町です、源三郎がゆつくり湯、

に入り、旅の疲れをとるが良いと言うと、おみながそれではお先にと部屋を出て行ったのです、それでは湯にはいるかと言って温泉に行くと、伊衛門が気持良いですなと言って背中を、

流しましょうと言うので、


頼みますと言って流してもらい、湯にはいると疲れが一辺に取れるみたいです、伊衛門が殿との旅で沢山学びました、帰ったら倅に教えて藩政に役に立てるように言いますと言うので、

伊衛門殿の助っ人のお陰で助かっておりますと言うと、どこの藩も財政難みたいですが、殿の奇策には目が点になりますと言うと、山形が殿の知恵袋は限りがありませぬ、わたしは、

長年お供していますが、


覚えられませぬと笑ったのです、ゆつくり湯につかりあがって一服していると、女将が国家老の秋山様がお見えですがと言うので、通すように言うと、部屋に入って来て座り、松山藩、

国家老秋山多門に御座ります、巡察ご苦労様ですと言うのいで、良い温泉で御座るな、藩の失態を調べに来たのでは御座らぬ、通常の巡察に御座るお構いくださるなと言うと、ご自由、

に巡察してくだされ、


わが藩も財政難により、中々良い治世が出来ませぬ、なにとぞ良い方策を、お授け下されと言うので、瀬戸内側は雨が少ないので、干ばつになり大変でござろう、明日より村を回ります、

郡方に案内を頼みたいがと言うと、ハイ、この者は郡奉行の古田一衛門に御座います、同行させますと言うと、古田一衛門に御座います、馬の用意をして置きますと言うので、そなたは、

何石取りで年はいくつじあと聞くと、


400石取りで年は38才に御座りますと言うので、色は真っ黒じあが、そなたも村回りするのかと聞くと、ハイ、城でのんびりしていては、状況はわかりませぬ、色々見て回っております、

が財政難で潅漑施設も満足に作れないのですと言うので、もし潅漑が可能なら松山15万石はいか程新田が開発可能なのじあと聞くと、水の引けない野原は沢山あります、それらが全部、

可能なら10万石は増えますが、


水源が小さいので不可能かと思いますと言うので、しかし梅雨時は雨は振り、作付けは可能であろうというと、可能ですが梅雨が終わると殆ど刈り入れまでは雨は降りませぬ、四国山脈、

の海側は沢山降るのですが、山脈の瀬戸内側は干ばつにしばしば見舞われますと言うので、干ばつがなくなれば15万石の2割りは助かり、新田開発しなくても、3万石は増えるわけじあな、

と言うと、


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