源三郎江戸日記(弟四部)84 前からの風でも前に進めるぞ、さらにシケでイケスが壊れないように、その向こうに石を鎮めて防波堤にしろ、その石はあの右がわの岩場から運べば良い、いかだを組み


源三郎江戸日記(弟四部)84


前からの風でも前に進めるぞ、さらにシケでイケスが壊れないように、その向こうに石を鎮めて防波堤にしろ、その石はあの右がわの岩場から運べば良い、いかだを組み石をイカダの下に、

ぶら下げて運べはかんたんじあ、重たいものほど海の中では浮力がつく、あまり大きな岩は無理じあから、今から爆破して運び易くしやる山形頼むと言うと、承知と言うと岩場に行き火薬、

を仕掛けて、


爆破して運び易くしたのです、魚を生きたま運んで来て、イケスに入れておけば不漁の時はそこから出荷すれば良い、毎日の糧に困る事はないぞ、又少し大きめの船を用意して吉田城下、

宇和島城下で商いすれば良いと言うと、なる程入れておくのですかと感心するので、色々と工夫するのじあ、人足は使わずみなの力でやるが良い、そのために幕府より2000両を下げ渡、

そうと言って2000両渡して、


普請の給金は払うのじあぞ、又水田も開発して漁師が食うくらいは作付けせよ、近隣の漁村にも教えてやれ、そうすれば藩財政も潤うじあろう、これからは藩には頼らず儲けたらその一分、

を新田開発や物産奨励に使い、多くの名産品をつくれば更に儲かって漁民も豊かになるじあろうと言うと、2000両もくださるのですか、それだけあれば殖産の奨励も出来ます、これからは、

藩ばかりに頼らず、


色々開発いたしますと言ったのです、仁蔵が出来ましたと言うので、網元を連れて乗り込み仁蔵が漁師に操作を教えると、これは凄いと網元と漁師が愕いていたのです、どうだ手なんかで、

漕ぐ必要はないぞと言うと、網元がみんなの船にこの工夫をしますと言うので、砂浜に帰ると、今日とれた魚で昼飯を食うて下されというので、米20俵も下しおくぞ漁師に分けてやれと言、

うと、


有難う御座ります、みんな大喜びしますと言ったのです、それでは馳走になるかと言って座敷に上がると、女房の節に娘の夏に御座います、今支度しておりますと言って酒を注ぐので一口、

飲み中々美味い酒じあなと言うと、お夏がここから一里行った山間で作っています、これも名物にしますと言ったのです、できましたと膳を運んで来たので見ると海鮮盛りです、ほう、

うまそうなタイではないかと箸をつけると、


取立てじあな甘みがあってこりこりしておる、これは美味い、みなも食してみろと言うと、みんなも食べて美味い、美味いと言ったのです、もう一つ、吉田藩の内陸部にも、生きたまま運、

ぶ方法を教えてやろう、と大工に指南するとなる程空気を送り込むのですね、これなら荷馬車に樽を乗せて生きたまま内陸部に運べます、さつそく試してみますと言うので、これくらい、

やれば良いじあうろうと言うと、


有難う御座いました、色々楽しみが出来ましたと言うので、医術の本を見せてこれはお夏がやるが良い、薬草は山に入れば沢山あるぞ、怪我の場合の手術方法も出ておると本を渡したので、

す、これも近隣の漁村に写本して渡します、なぜそこまで幕府がして下さるのですかと言うので、どこの藩も財政が逼迫しており金がないのじあ、それに武士は面子ばかりにこだわるから、

いい知恵はでんのじあよ、


金さえあれば何でも出来る、そのためには儲けねばならぬのじあと言うと、肝に銘じて商いを繁盛させて新しい物に挑戦しますと網元が言ったのです、お夏が医師が私に出来るでしょうか、

と言うので、医師に見せるには吉田の城下まで行かねばならぬじあろう、この本の通りに薬草を探すのじあ、煎じ方は詳しく出ておる、怪我は消毒が大事じあよ、縫うのは治りを早くする、

為じあ、


塩水も消毒の変わりになる、海で怪我すると治りが早いのは、海水に含まれていめ塩分が消毒の代わりになり、体へばい菌が入るのを防ぐからじあよ、お夏もこの本を読めば名医になれる、

ぞと言うと、頑張ってやってみます、早く覚えて近隣の網元の娘にやらせるようにします、女子もみんなの役に立てて嬉しいですと喜んだのです、馳走になったそれでは出掛けるぞと言う、

と、


どちらにと聞くので佛木寺の傍の村じあよと言うと、あちらには50人から宇和島藩兵が駐屯しています、お気をつけくださりませと言うので、心配いらぬ、そうそうに藩へ返すぞと言って、

馬に乗り出立したのです、2時かかり佛木寺に行くと大勢の者がお参りしています、お参りを済ませて、住職にここの檀家は近くの村の者かと聞くと、ハイ、そうなので村が宇和島藩領に、

なると困りますと言ったのです、


ここに本堂を立て直すと言う事じあがと聞くと、宗純様が言われていたのですが、勅使饗応で大金を使われたそうで、資金がないとの事でそのままになっておりますが、お大師様は文句は、

言いませぬと笑ったのです、ここの阿弥陀如来の頭にはめてある宝珠の話は本当かと聞くと、言い伝えに御座います、まさか、唐の国で投げられたものがここまでは飛んでこないでしょう、

お大師様が持ち帰られて、


ここで大日如来を刻まれて埋め込まれたと言うのが本当だと思いますと言って、老人に牛に乗る事を進められたので牛に乗ってこられたので、牛、馬の供養塔も建てられて供養されたそう、

ですと言ったのです、しかし、お大師様はなぜ全国を行脚して回られたので御座るかと聞くと、貧しい者達を見て回られたのです、その者達に仏を信ずる事により救われるとお説きになっ、

たのでしょう、


人は弱いもので神仏に頼らなければ生きてはいけないのです、金だけが沢山あっても幸せにはなりませぬ、かと言うて金も生きて行くには大事に御座りますと笑ったのです、ここに25両あ、

ります、行き場の無い者を助けて下されというと、これは大枚な寄進を有難う御座ります、時々お遍路に来て路銀を使い果たすものもいます、少ししか手助けできませぬが、それに使わさ、

せて頂きますと手を合わせたのです、


村上様左手を見せてくだされと言うので、見せると、ヤッパリと言って、奥からお大師様の手形を持って来て、お大師様と同じ手相です、この手相は100握りと申して中々少ないのだそう、

です、人の上に立つ手相だと言われています、ここに来られたのもお大師様のお導きで何かをせよと言われているのかも知れませぬと言って、これは、金剛山の銀鉱山の資料です、お大師、

様が西園寺公に教えて採掘を始めたのだそうです、


少ししか産出せずに直ぐに、閉山になったそうですがと地図を渡したのです、お預かり申す、銀が産出すれば本家も楽になり、ここし、由良は素直に吉田藩領だと認めるでしょうと言って、

採掘の技術、精練方法も発達していますので、沢山の銀が産出できるかもしれませんと言うと、そこには金のありかも記してあります、卍の印がそうですと言うので見ると、卍が金剛山、

の麓に2個所記してあります、


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