6.焦燥フォーマルハウト
一片の寂寞を引き連れて帰宅し、やがて夕食の時間。
父・母・あたしの三人で囲む食卓。
「今日は高跳びの記録、どうだった?」
「……変わりないよ」
父が問う。そもそも今日は練習無い日だ。あたしの予定も知らないくせに、テキトーなこと言わないでほしい。
あんまり話題の切り出しが雑で、少し癇に障った。身勝手だとは分かってる。でも、過去を改めて噛み締めたせいか、妙なわだかまりが胸の内から消えてくれない。
つい、意地の悪い問いも浮かんでしまう。
「父さん」
「ん?」
「天体観測に使ってた望遠鏡って、まだある?」
隣で味噌汁をすすっていた母が気色ばんだが無視した。
父を窺う。鳩が豆鉄砲食ったような顔を――することもなく、笑顔でコクリと頷いた。
「たしか、物置にしまってたな。捨てる予定は無いぞ」
箸を取り落とすところだった。唐突にタブーを犯してみた娘に対して、たったそれだけなのか。もう何でもないみたいな顔して。
あんなに好きだった夜を。望遠レンズが誘う星々の御伽話を。かじかむ手に触れた、缶コーヒーの暖かさを――あっさり捨てておいて。
思い出も時が経てばこんなもんか。七年分をぶっ壊すのに、十秒も要らないってわけだ。いつまでも引きずってたあたしが馬鹿みたいだ。
「どうした?」
「……いや。なんとなく聞いただけだから」
「そうか。多分、まだ壊れちゃいないはずだ」
勝手な苛立ちだ。あたしが自分の道を決めたように、父の道は父のものであって。あたしが埒外からとやかく言うなんてお門違い。
そう理解しても。あたしは、まだ感情をしっかり抑えられるほど大人でもないらしい。
作業的にご飯をかっ込んで、部屋に戻った。
そのままベッドに突っ伏する。何か言いたげなモカとも目を合わせられなかった。
次の日の陸上練習も身が入らなくて、顧問に心配されてしまった。陸上は皆で高め合っていく団体競技であって、一人の不調が伝播しても迷惑なのだ。
帰り道は今日も比翼と一緒だった。ここ数日、いつも一緒にいる気がする。
住宅街を歩きながら、左隣を歩く彼女はそわそわしっぱなしだった。
「一依ちゃん、調子悪そうだねぇ。あの日にはまだ早くない?」
「何で知ってんだよ。風邪でも不順でもない」
負の連鎖だ。一度イヤな考えが頭を過ると、些細なことで苛立ちは増幅し、関係無い他人にまでそれをぶつけてしまう。心が下へ下へ落ちていき、太陽から遠ざかっていく。
「一依殿……無理なら言ってくれ。何も、君を苦しめることは拙者の本意ではない」
「分かってるよ、モカ。これはあたしの個人的な問題だから」
比翼のバッグから覗くつぶらな瞳が、ずきゅんと胸を射抜いてくる。出会ったばかりだけど、本気の心遣いは嬉しかった。
流れに乗っかるように、比翼もにへらと笑った。
「これもいいキッカケだよ。私ねぇ、一依ちゃんとモカ君が出会ったのは、天啓だと思うな」
「……天の啓示?」
「そう。君はもう一度、宇宙に目を向けるべきなのだ、っていうねぇ」
彼女は青空を指さした。南の一つ星へ向けるように。
あたしの意識の隅にもあったことだ。面白そうってだけじゃなく、モカとの出会いに、あたしは何かの意味を見出そうとしていた。そうでなきゃ、こんな謎の珍獣に構いはしない。
あたしは、何を求めてる?
太陽に手を伸ばして死んでやる。あたしの
焦っている? 自分で自分が、分からなくなりそうだった。
「……あたしに、宇宙の話を振るのはやめてくれ」
「一依ちゃん」
「今のあたし、そういう話できそうにない」
「……ごめん。無神経だったね」
それから言葉は無くなり、あたしが自宅にたどり着くまで無言の帰路となった。
風呂から上がり、自室でくつろぐ夜。
今は一人と一匹だ。お風呂にはモカも一緒に入れてあげていた。水を張った桶にぷかぷかと。
「家の中というのも存外、心地良いものだな!」
「土穴の中よりも?」
「さて。穴暮らしはもう忘れかけているよ」
などと喋っているとスマホの通知。それを見て、あたしは『チュービデオ』にアクセスした。
画面の中に、銀髪ロングのアニメチックな美少女が現れた。ミニにアレンジした和服姿は、現代風織姫様と言ったところか。
満天星空の壁紙を背景に、ウワサのVtuber、箒星イチゴちゃんが生放送を始めていた。
「こんばんしゅ~てぃんぐすた~☆ やっほい始まるよ。イチゴの生放送っ」
ボイチェンしたアニメ声による謎挨拶。スタンドに立てたスマホを、モカも目を丸くして覗き込んでくる。
「こ、これは!? ニンゲン、なのか?」
「Vtuberだよ。画面にキャラだけ表示して、中身は人間が喋ってんの。これ、比翼」
「なんと! しかし、見た目はどことなく一依殿に……」
そう。アバターは手作りしたらしいのだが、モデルはこのあたし。髪といい目といい二次元度マシマシとはいえ、こそばゆいったらない。ありがちな名前も
比翼ことイチゴは、最近世知辛いねぇと雑談から入った。アバターが身振り手振りするたびに出る星のエフェクトがちょっと鬱陶しい。
ラジオ感覚でこの放送を聞きながら過ごす、のんびりした夜があたしは好きだ。
しばらくすると、友達と少し気まずくなったなんてことを話し出した。やっちった、とワザとらしく茶化す声に、よくあることだと慰めるユーザーコメントの数々。
「ふふ。やはり詫びを入れた方が宜しいな?」
「分かってるよ。あとでメッセージ送っとく。……ごめんな、比翼」
さらに話は変わり、このチャンネルのメインコンテンツとも言える、天文トークが始まった。雑談やゲーム実況もいいが、元は比翼の宇宙趣味が高じたチャンネルなのだ。同好の士が多数集っている。
「いよいよ夏のお楽しみ!」
画面背景が動画に差し替わった。右下の日付け表示はちょうど約一年前、去年八月。比翼が撮ったものだろうか。
それは宝石を散りばめたような藍色の夜空に、尾を引く数多の白い閃光――流星群だ。
「ペルセウス座流星群の季節っ! 極大、明日だねぇ。皆はもう準備できてる?」
今や日本の夏の風物詩、ペルセウス座流星群。しぶんぎ座・ふたご座と並ぶ、三大流星群の一つ。夏休みのど真ん中とあって、自由研究の題材にも人気が高い。
かつてはよく父と一緒に見たものだ。クルマで自然公園に向かい、二人でワクワクしながら望遠鏡を立てて。
などと感慨にふけっていると、モカがあんぐりクチバシを開けていた。
「あ、あ、あぁぁ……!」
食い入るよう映像に近づく。空飛ぶプリンでも見つけたような顔だ。
コツンとクチバシが画面に当たる。
「あ、傷つくでしょ。どうしたの」
「どど、どうしたもこうしたも! いや、一依殿には見えんのか!!」
「何が?」
もはや比翼の語るアニメ声も耳に入ってこない。モカは短い足でぺしぺし床を叩いた。
「電磁波だ! この流星が放つ特殊波長は、宇宙船のシステムを励起させるものだ!」
「は? それが、目に見えてるのか?」
「極大は明日と言っていたな!? この波をたどれば、きっと船を発見できる!」
流星群と宇宙船がリンクする、その電磁波長。ペルセウス座流星群は南半球では見られない。場所が日本だからこその気付きだった、ということか。
本当なら大チャンスじゃないか。
「一依殿!」
「……」
「何をぼうっとしている? 明日の夜、拙者と共に行こうではないか!」
無論、そのつもりだった。でも……今さらのように思う。それでいいのかって。
過去が、亡霊のようにあたしの耳元にまとわりついている。
ペルセウス座流星群――昔は毎年、楽しみにしていたな。
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