いつかライド・オン・シューティングスター

あさぎり椋

1.邂逅スーパーノヴァ

 朝起きて目に映るのは『焼死』の二文字。半紙に書いてカベに貼っ付けた力強い楷書が、今日もあたしの心を奮わせる。『燕条えんじょう 一依いちえ』の自署がやや不格好で、見るたび書き直そうかとも思うのだけど。

 時刻はもうすぐ朝六時。健全・健康・健脚な女子を目指すのに、早寝早起きは必須事項だ。

 髪を結わえ、水色のスポーツウェアに着替えて出る。途中、両親の寝室を一瞥し「行ってきます」と心の中で挨拶しておく。

 一階居間の引き戸が開けっぱだった。その隅に、カラのビール缶が転がっていた。


「ったく、またか」


 父の不精に呆れつつ、片付けてから家の外へ。

 日課の早朝ランニングだ。今夏の殺人的な猛暑にはまだ早い時間だけど、雲ひとつ無い空にはもう太陽が燦々と輝いている。

 軽くカラダをほぐしてから走り出す。あたしの、七年間変わらない夢――太陽を掴んで焼死するには、ほどよい照りつけ具合だった。




 ランニングは半端に足を止めないのが肝要。一定のペースを保つよう努めて走る。早朝の夏風を切る爽快さがあればこそ、全身にまわる疲れも一周回って心地良い。だいたい陸上部員ともあろう者が、スタミナ不足では話にならない。

 左手のスポーツウォッチに視線を落とす。六時三十分のデジタル表示を確認し、町の端っこに位置する波止場へ駆ける。日課も楽しみがあればこそ続けられるというモノで、それは毎朝ここで待っている。


 ――にゃおん。


 猫だ。碧い海を臨む朝景に、いつも五・六匹の野良にゃんこがたむろしている。いわゆる猫集会。ごろにゃんと腹ばいになってるサバトラだとか、おすまし顔で座ってるミケだとか、大体お決まりのメンツだ。

 道ばたのエノコログサねこじゃらしを一本引き抜いて、フリフリと振ってやる。にゃんこどもの手が届くか届かないかの瀬戸際をいかに攻め続けるかがコツだ。

 ほれ、この一依様のねこじゃらしが目に入らぬか。白いヤツが果敢に後ろ足立ちからの肉球パンチ、しかしぴょいんと空を切る。それを合図に、他の四匹が次々にゃあのにゃあのと鳴きながら群がってくる。

 ボスにゃんこだけが、あたしのテクニックにも動じることなく座ったまま。それでも目だけは離してない。べ、別に楽しそうだなんて思ってないんだからねっ、って感じの顔だ。


「上等だ、おデブちゃん。あたしより日向ぼっこが好きってか」


 猫ってのはこれだから好きなんだ。簡単にはなびかず、いつも気まぐれで孤高を気取る。大地に縛られることなく、悠然とひげで風を切る。

 と、ボスと睨み合っている内に、ねこじゃらしをサバトラに持っていかれてしまった。やれやれ、取ったらご褒美ってわけでもないのに――


「……ん?」


 ご満悦そうなサバトラが、ビクリと震えてどこかへ逃げ去ってしまった。

 よく見れば少し離れたところに、茶色い見慣れないヤツがいるではないか。明らかに、こちらをじっと眺めている。

 そいつと目が合った。


「……」


 猫では、ない。


「……」


 あたしが知る限り、両足に水かきのある猫はいない。


「……」


 あたしが知る限り、ウチワみたいな尻尾の猫はいない。


「……」


 あたしが知る限り、猫にクチバシなんてついていない。


(何だコイツ!?)


 打ッ!――と大地を蹴り疾走はしる。反射的に、スッ飛ぶように。走高跳競技者ハイジャンパーの脚力をナメるな。

 対象は瞬時に翻って逃走。あたしのダッシュに即応――


「いや遅っ!?」


 ぺちぺちぺちぺち――そんな足つきで必死こいて反対方向へ逃げていく彼に、いとも容易く追いついてしまう。

 制動かけつつ前に回ると、彼もまたピタッと動きを止めた。真正面からつぶらな瞳が見つめ返してくる。


 ……これ、なんぞ?


 思わず駆け寄ってしまったが、見れば見るほど奇妙なヤツだ。

 モグラにとてもよく似てる。全身がやや平べったく、短い四本脚で懸命に立っている。全身が体毛で覆われていて、そこはかとない哺乳類感。

 その印象を打ち砕く、まるで作り物のような黒い

 そうだ。こんな妙ちきりんな生物は、世界に一種類しかいないはず。


「待たれよニンゲンの娘。拙者は悪くないカモノハシである。保健所行きゴー・トゥ・ヘルは御免こうむる」


 そうそう、カモノハシ。確かオーストラリアに生息していて、日本では動物園にすら一匹もいないはず――って。


「お前、喋った?」

「無論だ。人間社会に近づく以上、言語の習得は必須」


 ……そっか。

 え、喋んの? 最近のカモノハシ喋んの? すげーな。いつの間にオーストラリアそんな楽しいことなってんだよ。

 さらに思い出した。カモノハシには『創造論者の悪夢クリエイターズ・ナイトメア』という、中学生が五分で考えたみたいな二つ名があるらしい。悪夢……いや、これは夢じゃない。あたしはこの現実をしっかり認識してる。はず。


「オーストラリアから来たのか」

「長い旅であったがな。言葉や文化は道中で覚えた」

「あたしに何か用?」

「……謎のフリフリ草に惹かれ姿を現したは、拙者の不覚である。後生だ、せめて最期に一つ、拙者の頼みを聞いて頂けんだろうか?」

「断る」


 ノータイム即答。当たり前だ。関わり合いになりたくない。

 カモノハシは驚いた様子で、クチバシをパクパクさせている。

 周りを見渡すと、いつの間にか猫達はいなくなっていた。ひとしきり戯れてから帰るつもりだったのだけど、ちょっぴり消化不良。


「喋るカモノハシ。たしかに面白いし、世紀の大発見なんだろうけどさ」

「……もっと驚かれると思ったが、冷静なのだな」

「簡単な話だ。あたしはお前に興味無い」

「なぜ!?」


 食い下がる奴だな。説明しないとどこまでもついてきそうだ。

 かと言って、カモノハシ相手にどんな風に言ったもんか。人と人でさえ分かり合うことなんて不可能なのに、異種族間コミュニケーションときたら尚更だろう。

 あたしは少しばかり考えてから口を開いた。


「……カモノハシは水の生き物だろ。水ってのは『下』だ。あたしは『下』に興味が無い。いつも上――太陽を見るようにしてるから。お前が鳥だったら話は別だけど、クチバシだけじゃな」


 南へ向かいつつある太陽を見据える。眩しくて直視できないけど、いつだって手を伸ばす事はできる。

 そうだ。水底みなそこに潜ってかてを得る生き物をあたしは好まない。彼らは上を見ないから。彼らが太陽に手を伸ばす事は決して無いから。それが彼らの選んだ進化であるならば、あたしの理想とは相容れない。

 人間――手を伸ばし続ければ銀河宇宙だって掴める存在に生まれた以上、あたしは上を見続ける。


「太陽。もしや

「……!」


 今なんつった。カモノハシの中に『宇宙』って概念あんのか。言葉喋ってる時点でそんなツッコミ野暮か?

 あたしが銀河宇宙を思うと同時に、コイツの言葉が胸の一点を正確に突いてきた。


「ならば拙者の話を聞いておいて損は無いぞ。何せ――」


 ごくり。

 コイツの言葉なんて、微塵も興味無かったのに。

 そんな風に言われたら逆らえない。


「拙者は遥か二億年の昔、宇宙そらより来たりし者達の末裔である」


 超新星スーパーノヴァみたいな衝撃が、あたしの心を撃ち抜いた。

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