第六章 始末に困る毎日

第六章 始末に困る毎日

祭りがあって数日後のことである。

一人の女性が製鉄所にやってきた。疲れ果てた利用者の家族でもないし、ふてぶてしい反抗的な態度をとっている、利用者本人でもない。つまりはっきり言ってしまえば、出自がわからないということになる。まあ、そういう人も「通して」しまうのが製鉄所なので、とりあえず中に入れるのが通例なのだが、この女性、どこかおかしな雰囲気を持っていた。

「いったいなんですかな。」

懍が、とりあえず彼女に応じたが、まず第一に彼女の示している態度はどこか違う。ちなみに彼女の様子を少し紹介しておくと、83歳という懍の年齢とたいして変わらないことを強調してあげておきたい。そこを考えると、彼女も懍と同じ「高齢者」に区分されるのであるが、高齢という事をほとんど面にださない態度や服装を示している。

「名乗ることはしなくてもかまいません。著書に掲載されている写真と同じ人物であることは、ちゃんと知っていますのでね。そうですよね、川村寿子さん。」

懍は、その女性の顔を見てそういった。それほど川村寿子という女性の顔は知られていた。たぶん、若い人はあまり知らなくても、中年以上の人であれば、川村寿子の著書を一度や二度は目にしたことはあると思われる。そんな有名人がなぜ製鉄所にやってきたのか。これだけでも懍たちは、疑問に思ってしまう。

「黙ってないで、何か言ったらどうですか。」

懍がそういって、川村寿子はやっと口を開いた。

「はい、少し取材させてください。」

有名人となると、言い方が乱暴になってしまうというか、どうもきつい言い方になってしまうのは、人間のおごりというもんだろうか。

「取材って何をです?」

「だから、お宅の利用者さんたちと、知的障碍者施設の会員さんたちが交流を持っていることです。」

と、彼女は当然の様に言った。

「いや、無理ですね。僕たちは、特に特別なことをしているわけでもないですしね。利用している人は、間借り人とか下宿人と同じことだと思ってますから、本にされてもかえって困るだけだと思うので。」

懍がそういうと、川村寿子は変な顔をする。

「僕はちゃんと理由を述べて、断ったのですから、それに対してそのような顔をされるのはおかしいですよ。権力があるからと言って、何でも通るかというと、そんなことはありませんよ。」

そう言われるほど、嫌そうな顔をする。

「そこまで取材をしたいのなら、理由があるはずですから、お聞かせ願えませんでしょうかね。」

「はい、単純なことです。青柳さんたちのしていることは、何も意味がないというか、かえって、若い人の甘えを促進してしまうという事を知らせたいと思い、本として出したいと思うのです。」

まあ確かに、作家という職業上、こういう社会的なことを口にすることはあるのだと思われるが、さすがにこれには懍も頭に来てしまった。

「そんなものを出されたら困りますし、そういう事を考えとして持っているのもまたまずいと思うんですけどね。」

と、だけ言った。

「いいえ、そんなことはありません。日本は、戦後とても優しい国家になりましたよね。しかし、そのせいで少子化とか、高齢化とか別の問題が生じているのに気が付いていません。だからこそ、経済的には発展したのに、倫理的に言ってとても貧しいところになったわけです。それでこそ、命が軽んじられたり、誰かに従おうという意識もわかないのでしょう。私からしてみれば、若い人を支援するとか障害のある人を助けるとか、持ってのほかだと思うのです。そういう人を擁護しようとして、国防とか、災害の対策が遅れていることに全く気が付いていない。そういう悪い人を支援して、何になるんですか。ただでさえ、私たちの技術発展の妨げになるのに。そういう人が邪魔しているにも関わらず、彼らを支援して以降なんて、虫が良すぎます。そのいい例が、お宅の製鉄所だと思うのです。それを、警告として書かせていただきたい!」

「具体的に言うとどうなりますかね。」

「ええ、例えばコンピューターの産業だって、まだまだ進化することはできますのに、使えな人がいるからと言って、なぜ新しい分野を開拓できないのでしょうか。」

「必要ないからではないですか。そんな余分な分野が開発されたら、人間がかえって退化しますから。悪いのですが、コンピューターとかそういうものに頼る社会になったら、人間というものは必ず狂いますよ。なんでもかんでも機械任せであったら、果たして僕たちは何をすればいいのでしょうか。ただの大頭で手も足も退化した物体になってしまうと思いますよ。」

「いいえ、そんなことはありません。私は、そうするしか日本社会を救えないと思っているのです。そして、それを作っていくことができない人間は徹底的に排除していかないと。天変地異も頻発していますし、人災だって後を絶たない世の中では、ただ恩恵にあずかっているだけで、何も行動を示さない人間は、何も意味を持たないと思うんですね。」

「それはどんな人間でしょう。」

「一言で言えば、国家の恵みに感謝することもなく、ただ苦しいと主張するだけで、働かないで食べているだけの人間の事です。これこそ、一番邪魔というか不要品と言ってよいと思います。」

「はあ、そうですか。しかし人間には少なくとも、自分がどのように扱われているかを感じ取る能力はありますので、そのような事を押し付けられて、自分がそれに該当すると気づかされ、社会を敵に回すような態度をとることも珍しいことではないですよ。最悪の場合、一番大切な命を落とすことだってあり得ますよ。」

「それこそ理想的ではないですか。自分が社会的にどんなに役に立たないか知ることができたのですから、究極の学習です。役に立たないのに生きようとして、やたらに主張することこそ間違いなのです!」

「じゃあ、川村さんは、自殺こそ究極の学習とお思いですか?」

「当り前じゃないですか!自分が社会にどれだけ迷惑をかけているとしって、自分で始末ができる分別があるのですから、それこそ理想的な死に方と言っていいでしょう!私としてみれば、社会にとって発展するのを妨げている存在が消えてくれるほどうれしいことはないと思うのに、なぜ、彼らの死を惜しむ人間がいるのか全く理解のしようがありません。そういう人間は自分の置かれた立場を学習したのですから、その通りにしたと思って、その通りの処理をしていけばいいのです。私からしてみれば葬儀すら必要ありません。ただ、火葬してしまえばそれでいい。それなのに自殺幇助が罪だとか、そんな古臭いことをまだ主張しているなんて、日本も遅れているしか言いようがありません。」

「はあ、そうですか。では、川村さんの主張が正しいということになりますと、僕たちのようなものはさっさと自決しろということになりますな。それをしないで図太く生きていることを伝えたくて、僕らを本にさせてもらいたい、そういう事ですかな。」

「ええまさしく!それこそ、日本の中で一番欠けていることだと思うのです!」

二人とも近い年齢でありながら、考えていることは全くの正反対だった。

「いったいなぜ、そのような事を主張する書物を出し続けているのですか。」

「ええ、当り前じゃないですか!これ以上障害のある子供や若者を作らないようにさせるためです!これからの時代、何でも予防が大切な世の中になることでしょう。私たちが、できることなんてほんのわずかですもの。それに順応できる人間に育てるためには、できない人間を作らせないことが、一番の予防法になるのではないでしょうか!そのためには、失敗例をできるだけたくさん出版して、二度とこうなってはならないと、伝えていくことが何よりも大切なのではないかと思うのです!」

ある意味正しいと言えるかもしれないが、はたして実現できるかどうかは定かではない、究極の課題と言えるかもしれなかった。

「そうですか。では、取材にはお答えできませんね。あなたのように、自殺が究極の学習なんて間違ったことを伝えようとしている方の手伝いなど、到底できるものではありませんからね。それに、そういう事が書かれた本に、事例として掲載されるとは、恥ずかしくてなりませんから。今日はもうあきらめて帰っていただいてもよろしいでしょうか。」

「なんですか。お宅の製鉄所も知名度が上がるかもしれませんのに?」

「そんなことで知名度なんてあげてほしくはありませんね。川村寿子さん。あなたの著作も何冊か読んだことはありますが、確かに語彙の多さと、文学性の高さは評価できると思います。しかしそれは、単にあなたが学校で国語教師だったという出自を調べればすぐにわかることです。それに書物というものは、単に個人的な主張を伝えるための物でもなければ、娯楽的に楽しませるだけのものでもありません。時には結果報告になることもあり、社会に問題を提起させる役目も果たすのです。それを果たしていかないと、作家という職業はただのわがままを主張するだけの人になってしまう。」

「そんなことはわかり切っています!だからこそ、青柳さんたちの活動を本としてまとめたいと言っているのに。それをなぜ協力しないのかのほうが不思議です。」

「少しもわかっていませんね。このままですと、ただ暴言を吐いているだけの、つまらない人としか、見てもらえなくなりますよ。」

「全く話になりませんわ。また来ますから、その時の答えを楽しみにしています。」

悔しそうな顔をして、川村寿子は椅子から立ち上がり、製鉄所を後にするのだった。やれやれ、こんな思想の人がいるから、製鉄所が繁盛しているんじゃないかと思いながら、懍は彼女が帰っていくのを見送った。

聡美は、偶然図書館に行っていた。もともと、本を読むのは嫌いではなかった。というのも家事に駆り出されるのでテレビなんか見ている暇はほぼないし、見たい番組に合わせて動くということもできなかったので、途中から読むことのできる本はそういう意味では便利だった。勿論スマートフォンなんかで読むこともできるけど、それはなんだか味気なくて、紙の本のほうがずっと心地よかった。ただ、本を買いに行くお金もないから、図書館で借りに行っていた。図書館の貸し出しはタダだし、利用するのに身分や年齢に制限があるわけでもないので、そういう意味ではありがたい施設だった。

図書館の文芸小説のコーナーに行くと、一人先客がいた。今時、小説なんか読みたがる人がいるのかと驚かれるほど、このコーナーにやってくる人は極端に少なかったから、思わず声をかけてしまいたくなった。でも、迷惑をかけてはいけないとも思ったので、そのままにしておいた。聡美は、なんの迷いもなしに、川村寿子の著書が置いてあるところへ行った。すると、その先客も近づいてきた。そして、彼女がよんでみたいと日ごろから思っていた本に手をかけた。

「あ、、、。」

思わず聡美が声を出すと、

「あ、もしかして探してました?」

と、返事を返したその男性。よく見ると、あの時お茶屋さんで仕事をしていた徳永継夫であった。

「す、すみません、読みかけてて、、、。」

「あ、そうですか。それはすみませんでした。じゃあ、お先にどうぞ持って行ってください。本屋であれば、もう一冊とか言えるんですけど、そういうわけにもいかないですから。それに、本がやたら高すぎるのがまちがいなんですよ。僕は読み終わった後でかまわないです。」

優しいな、と聡美は思った。

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて。」

聡美は差し出された本をその場で受け取った。

「しかし、革新的な本を読まれますな。川村寿子の本なんて。」

「継夫さんこそ珍しいですよ。川村寿子は、もともと保守的な傾向のある作家として有名ですし。まあ、年齢的に仕方ないかと思う箇所も少しありますけど、基本的に古き良き時代の憧れのようなものを書く人じゃないですか。それって、女には楽しいかもしれないですが、男の人にはちょっと古臭いなっていう印象もなくはないのでは?」

聡美は思わず聞きたくなってしまう。確かに大体の著書の中で、川村寿子は女が家庭に入ること、男は金の製造マシーンとして働くことを主張している。まあ、お年寄りならその通りかと思うこともあるかもしれないが、若い人にはちょっと受け入れがたい主張である。

「そうは思いませんね。むしろ、川村寿子が主張する世界になってくれたほうが、まだ生きやすい気がするんですよ。それに、日本では戦後より、戦前のほうが長かったわけですから、それを打ち消すことはできないんじゃないでしょうか。そんな中に自由平等論を巻き起こしても通用しないんじゃないかなと思いますけどね。」

「そうよね。確かに歴史的に言ってもそのほうが正しいと言っていた期間が長いものね。」

「でしょ。ですから、急速に近代化して、急速に西洋に追いつこうなんてはじめから不可能だと思ったほうがいいのです。それよりも、川村寿子が言うように、女は社会に出て働くのではなく、家事や育児に専念したほうが、日本文化が保たれると思います。」

「本当ね。川村寿子の著書に感動できる仲間が増えてうれしいわ。」

「僕もそう思いますね。ですから、その本、先に借りて行ってください。僕も読んでみたかったのは事実ですが、聡美さんに譲ります。」

ただ、弱い人に譲ってやれと命令されるように言われると嬉しくないが、こうして本音と一緒に言ってくれれば素直にありがとうと言えるようになるものだった。そして、お礼もしたくなってしまう。

「ねえ、この後、どっか行くんですか?」

思わずそう聞いてしまった。

「いや、特に予定もありません。独身男ですし、何も用事はないので、まっすぐ家に帰るつもりです。」

へえ、独身だったのか。すでに妻帯者ではないかと思っていた。

「そうなの?じゃあ、よかったら隣のカフェでお茶飲みませんか?」

時間がないとか言って断られるかなと思ったが、彼は意外にもあっさりと

「いいですよ。どうせ仕事がなければ暇なのでお茶でもしましょう。」

と、肯定した。

「本当!うれしい。じゃあ、私貸し出し手続きをしてきますから、すぐに行きましょうか。」

なんて口にしてしまう。そんな言葉が出るとは自分でも信じられない、あれれ、私なんでこんなこと言うのかな、なんて考えていたが、彼の方はそういうことは気にしていない様子だった。聡美は急いで貸し出しカウンターに行って、川村寿子の本を借りた。

「失礼ですが、カフェってどこにあるんですかね。僕、あんまり土地勘がなくてわからないんですよ。富士市って、目印になる建物があまりないじゃないですか。東京だと何何駅の近くとか、そういういい方ができるんですけど。ここはそうじゃないですからねえ。」

いきなり継夫が聞いてきた。まあ、確かにそうだ。東京に比べると、駅の数は比べ物にならないほど少ないし、大型のビルのようなものもない。富士は田舎である。

「ああ、私がご案内しますから、気にしないでください。ちょっとわかりにくい場所にあるんですけれども、距離的にはそんなに遠くはありません。」

聡美は笑ってごまかして、彼と一緒に図書館を出た。

確かに直線の道路をまっすぐという行き方ではなく、狭い道を歩いて行く必要があるので、わかりにくいと言えばわかりにくいところであった。さほど遠いところではないが、結構歩いていくような気がした。カフェと言っても食べ物のメニューが結構充実しているので、レストランと言ったほうが良いと思われる店だった。

継夫は、まだお昼ご飯を食べてないと言って、サンドイッチを注文し、その半分を聡美に分けてくれた。

「どうもすみません。分けてもらうなんて。」

と聡美は言ったが、全く気にした様子もない。礼を言って、一切れ食べさせてもらった。こんなに優しくしてもらえるなんて、生まれて初めてだった。

「いい店じゃないですか。都会には、うるさい人ばっかりで、満足に食事なんてできるところはごくわずかですよ。田舎のほうがのびのびしていていいんじゃないですかね。こっちは、いろんな人が店に来て、店員さんがああしろこうしろとうるさくてたまらないので。全く、食事なんかしている暇もないですよ。」

「まあ、どういう事ですか。」

と、聡美が聞く。

「いやあ、都会ではいろんな人が来ますから。中には障害のある人のせいで、場所を移動しなければならないこともあるし、うるさいからと言って、無理やり黙らされることもありますし。全く、かえって障碍者以上に肩身が狭くて困ることのほうが多いから、困るんです。こうなると、障碍者ばかり優遇されすぎて、僕たちが安心して食事をしたり、寛いだりする場所がどんどんなくなっていくような気がします。」

答えはこれだった。たぶん、懍をはじめとして、支援に関わっている人に聞かせたら、とんでもない答えだと言って激怒するかもしれないが、聡美はその答えをまともな答えだと思ってしまった。普段自分の夫が障害のある人の世話ばっかりしているせいで、見捨てられていると思っているせいか、なぜかそう見えてしまったのである。それに関して悪いなとか、やってはいけないとか、そんな感情は全く生じなかった。

「そうね。なんだかもうちょっと自由になってくれればいいのにね。なんか障害のある人は、できないことが多いから、ということが理由として挙げられるけど、私としてみればもうちょっと努力してほしいなと思わないこともないわよ。」

「そうでしょう!長年僕もそう思ってきました。なんだか、日本社会はちょっと優しさを取り違えたというか。自由の国アメリカではもうちょっと、バランスが取れていると思うですけどね。」

と、彼も言った。二人は、互いに仲間ができたねと、顔を見合わせて笑った。そうなると、ある意味では、自由をはき違えていると言えなくもないが、、、。



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