第四章 花火大会での出来事
第四章 花火大会での出来事
聡美は、その次の日も、ショッピングモールへ買い物に行った。あの日、年老いた両親からは、わざわざショッピングモールという高級なところへ行く必要はないと叱られたが、なぜか、あの場所へ行きたくなってしまうのであった。スーパーマーケットより高価な食品を売っていることが多いので、金の無駄遣いだというのも、わからないわけではないけれど、そうやっていつまでも親に支配されていては、いつまでも自立できないというか、自分になれない気がしたのだ。夫のイーヨーは、食べ物に関しては何も言わないのも好都合であった。
昨日、ガチンコバトルをした、障碍者の二人は現れなかった。特に買いたいものがあるというわけではないけれど、聡美はお茶屋さんへ行った。いわゆる、日本茶を大量に売っている店で、玉露とかそういう高級なお茶ばかり売っていた。お茶の品種なんて、全く知らないが、こんなにたくさんの種類があるんだなと思われるほどたくさんあった。まあ、種類も何もわからないけれど、聡美は店頭に展示されていたお茶を一つ手に取ってみた。
「何かご入用ですか?」
不意に声をかけられた。振り向くと、昨日、ガチンコバトルをしていた、あの男性だった。すらっとして背の高く、いたって真面目そうな人だった。いわゆる優しさが顔に出ているというタイプではなく、どちらかというとクールというか、冷淡な印象を与えるが、聡美にはかっこいいなと思えるタイプの人だった。
「あ、お茶を一袋ほしいんですけど。」
聡美が思わずそういうと、
「お茶と言っても色々ありますが、どんなものですか。まず、お茶を何に使うのですか?」
と聞いてくる。
「あ、ああ、とりあえず自宅で飲む程度です。」
多分この店は、自宅で飲むという目的ではなく、誰かにプレゼントするためのお茶を売っている店であると思われるので、変な人だという目で見られてしまうと思われるが、聡美は口実が見つからなかった。多分笑われるのではないか、と一瞬思ったけれど、
「ああ、わかりました。じゃあ、お父様かお母様にプレゼントするのですか。」
と、彼は言ったので、助かったと思った。
「ええ、そういう感じです。」
「富士の方ですかな?そうでなければ、ぜひ富士のやぶきた茶がおすすめです。もし、富士の方でしたら、もう慣れてしまっているでしょうから、掛川茶や川根茶はどうでしょう?」
そんなにお茶は種類があっただろうか。
「すみません、私何も知らなくて。お茶なんて、どこでもいっしょなんじゃないかって、勝手に考えていました。」
聡美が正直に言うと、
「ああ、そうですか。まあ、この富士市で作られているお茶と言えば、富士のやぶきた茶でしょう。静岡はお茶の産地ですから、他にも川根茶や掛川茶なども作られているんですよ。ですから、お茶といえば一つしかないのかというと、そんなことはありません。静岡以外でも、狭山茶なども有名ですね。」
何も嫌な顔をしないで教えてくれるのだった。これがもし、イーヨーであれば、日本人はそんなことも知らないのかと、笑うはずだったが、彼はそういう事はなかった。イーヨーに便乗して、彼女の両親も、なんでこんな大事なことを忘れているのだろうとか小言をいうときがあるが、それは聡美には何よりも嫌だった。
「やぶきた茶でいいわ。どうせ、うちで飲むだけだから。この安売りのお茶を一袋ください。」
「あ、はい、わかりました。」
と、彼は売り台から、お茶の袋を一つとった。
「こちらへ来ていただけますか?」
レジは店の奥にあった。聡美も店の奥へ行った。
「おいくらでしょうか。」
「ああ、1080円で大丈夫です。」
聡美は、その通りにお金を出した。
「箱にでもお入れしましょうか?」
「必要ないわ。ギフトにするわけでもないんだし。」
「わかりました。じゃあ、袋にだけ入れておきます。」
彼は、近くからビニール袋を取り出した。この働きぶりは、ものすごい誠実だなあと聡美は思った。
「まじめでいいですね。なんか、昨日の人たちとは偉い違いだわ。」
思わずそう言ってしまう。彼もその人たちが誰の事なのかわかってくれたらしい。
「全くですよ。障碍者だからと言って、わがままばかり言っていいのかと思いますが、それはそうはいかないと思います。もともと、僕らが働いて、彼らを食べさせてやっているのだから、それを助ける必要はないと思うんですよね。」
もし、これが学校の先生とか、福祉の関係者であれば、ちょっとまずいよと反発する可能性もあるが、聡美はむしろそれが正しいと思ってしまった。
「そうですよね。私もそう思います。そういう人に気をとられて、私たちのことがおろそかになったら、何も意味がないと思うんです。」
「そうでしょう!よくわかってくれましたね!」
不意に彼が、感激したようにそういった。これは聡美も驚いた。
「僕もさんざん、そうするべきではないかと言ったのですが、誰もこの考えに賛同してくれませんでした。そうじゃなくて、弱い人たちなんだから手を出してあげなきゃとか、そうやってさんざん矯正しようとするんですよ。でも、僕はそういう事は根本的な間違いであると思うんです。全く、ああいう障碍者が存在するせいで、どれだけ僕たちは損をしているでしょうか。だって、障碍者に手をかけていたら、その時間は彼らに奪われることになるのですからね。」
「すごい思想だわ。」
「あなたも、間違いだとおっしゃいますか?」
彼が確認するようにそう言ってきた。その顔はまるで、面接試験をするときに、生徒を調査するように見る教官にそっくりだった。
「いいえ、私は思いません。私はそのほうがあっていると思います。例えば、障害のある人が電車に乗るのを手伝うのはいいことかもしれないのですが、そのせいで私が会社に遅刻をしたら、上司から叱られるわけですから。」
「そうでしょうそうでしょう!ほかにもそういう事例はたくさんありますよね!僕も、似たような経験をしたことがありました。まあ、礼を言われることはありますが、こちらにはなにも見返りは返ってこないわけですから。つまり、彼等だけが得をして、僕たちは損をすることのほうが多いのです。そんなことばかりなのですから、障碍者なんていなくてもいいと思いますよね!そう思いませんか!」
その男性は、やっと自分に共感してくれる人が出てとてもうれしいと思っているのだろう。聡美も、そういう感情を持っていないわけではなかったから、ある意味何かうれしいなと思ってしまった。
「ええ、私もそう考えたことあります。優遇されすぎというか、何か偏りすぎているというか。」
「そうですよ!だけどまだ日本には譲り合いの心とか、そういうおかしな発言をする政治家が多いんです。それは間違いだと声を大にして言いたいのに、それはおかしいという人が多すぎる。全く、僕たちが一生懸命働いたのに、その見返りが全部返ってくることはなく、障碍者に持っていかれるなんて、日本社会はどうかしていますな!と、同時に、障碍者が、その原理を全くわかっていないから困るんですよ!もうちょっと序列をはっきりさせておかないと、北朝鮮なんかが攻めてきたとき、自国を守るすべがなにもなくなりますよ!」
また、雄弁に彼は語った。
「もしよかったら、同じ考えの人と知り合えた記念に、名前を名乗らせてください。徳永継夫と申します。」
「徳永さんね。私は、阿部聡美。」
「へえ、素敵な名前じゃないですか。じゃあ、これからどうぞよろしくお願いします。阿部聡美さん。」
継夫は、そう言って聡美に商品であるお茶を渡した。
「ありがとうございます。」
聡美も丁寧にそれを受け取った。
「それでは。」
軽く、敬礼してお茶屋を後にした。その後、聡美は家に戻ったが、どうもそのお茶を家族と一緒に飲む気にはならなかった。
同じ日の夜、その日は近隣の神社で祭りがあり、そのまま延長線として、花火大会が開かれることになっていた。ちょうど、紫陽花園の利用者の中で、花火を見たいと発言した者がでたため、製鉄所の利用者と一緒に花火を見に行くことになった。女性の利用者のほとんどが浴衣を着ていたので、普段生活に着用している洋服よりも、かえってかわいらしく見えた。彼女たちは、製鉄所のメンバーたちと一緒に金魚すくいをしたり、チョコバナナを買ったりしてとても楽しそうだった。こういう体験は初めてで、もしかしたら変な方向へ行ってしまうのではないかと心配された女性もいたが、製鉄所のメンバーたちは手早く彼女たちを捕まえた。それはある種、いう事を聞かない家畜を管理することに近いこともあったが、家畜と一緒にしてはいけないと、製鉄所のメンバーたちはそういっていた。そして、家畜同様に扱わないことが、彼女たちと円滑に言葉を交わせるためには必要なことだということも知っていた。
「ほい、花火が始まるよ!」
製鉄所のメンバーがそう声をかけると、女性たちはわっと一か所に集まってきた。やがて、パンパンと音がして花火が始まった。それが打ち上げられるたびに、彼女たちは歓声を上げて、喜んだ。
中には、花火というものには興味を示さず、それ以外のものに関心を示すものもいた。すべての人が花火に興味があるわけではなく、チョコバナナを食べるとか、綿菓子を食べることに熱中してしまう人もいるものだ。それを変更させて、花火を見させるのははるかに難しいことであった。しかしそうかといって、お祭りに行きたくないのかというとそういう事はなく、より行きたがることのほうが、そういう人に限って多い。たぶん花火ではなく、お祭りに行くという行為自体が楽しいからいく、ということになるのだろう。行くときに、彼女とそのことで少しもめたりもしたが、まあ、それだって理由の一つであり、そういう人は来ないでくれというのでは、人種差別につながってしまうとして、彼女も連れて行くことにしていた。実際、お祭りに連れていくと、彼女は、花火にはまるで興味を示さず、ただ、大量に買ってきたチョコバナナをむしゃむしゃ食べることに熱中していた。話しあった末、その女性は水穂が引率し、花火が終わったら合流することにした。他のものは皆、神社の敷地内から出て、道路を渡り、花火を見やすい方へ行ってしまったから、事実彼女のそばについていたのは、水穂一人だった。
それにしても、今日は暑い日だった。たぶん、40度近くまで気温は上がった。一応、お祭りに行ったのは夕方からであったから、さすがにそこまで暑くないだろうと思われたが、それでもアスファルトから熱が出て、じりじりとした暑さは感じられた。
水穂は、近くにあったベンチに座って、無我夢中でチョコバナナを食べている女性の顔を拭いたりしていた。どうも、こういう障害のある人たちは、暑さなんかまったく気にしないでいられるようだ。暑くても関係なく平気な顔して外へ出て、汗をいっぱいかいたとしても、いつもと同じ表情でいる。時折、熱風が吹いてくるが、それさえも気にしないでいられるようであった。
「よく食べますね。そんなにうまいですか。」
水穂が話しかけても、彼女はチョコバナナを食べることに夢中だった。まあ、うまいという言葉を返されるのを期待するのはまず無理だと言われていたから、こうしてむしゃむしゃ食べていることが、彼女が出した答えだなと思った。
その時、また口の中に生臭いものがわいてきたような気がした。薬飲んだのにいったいなぜ!と言いだすころには遅すぎた。理由を考えるなんてもってのほか、言葉が出るより先に激しくせき込んでしまった。
一方、花火を鑑賞していたメンバーたちは、もう最後の花火もおしまいになり、そろそろ帰り支度をしよう、なんてのんきなことを言い合っていた。彼女たちは数人の製鉄所からきた利用者が、引率していたが、
「おい、誰だ、袖を引っ張るのは。」
と、一人が、いきなり声を出した。振り向くと、彼の浴衣の袖はチョコレートでべったり汚れていた。
「あれ、何だ?いつの間に袖が汚れてしまったじゃないか。」
見ると、顔中をチョコレートだらけにした女性が、彼の袖を引っ張っている。
「チョコバナナを食べるんじゃなかったの?」
問いかけても答えはない。しかし、その顔は何か逼迫した顔をしていて、言葉というものはなくても、何か言いたそうな顔をしている。
「あれ、君は水穂さんと一緒にいるようにと言ったじゃないか。それがどうして来たんだよ。しかも手を洗わずに、、、。」
一般的な問いかけをしてみたが、勿論答えなんて返ってくるはずはなかった。それは彼女の障害上できないことだった。彼女は、人が好きなことは確かだが、挨拶をすることすらできなかった。
もし、はぐれてしまったとしたら、水穂さんも追いかけてくるだろうかと思ったが、それはなかった。と、いう事は、彼女一人だけここへ来てしまったのだろうか。
「おいおい、危ないから水穂さんのそばを離れるなと言っただろ?」
もう一度メンバーがそういうと、急に彼女はチョコレートだらけの手で、彼の袖をぐいと引っ張る。
「おい、何をする!浴衣が破れるぜ!」
「もしかしたら、大変なことがあったのかもしれないぞ。それを伝えたくてこっちに来たんじゃないか?お前、ちょっと行ってみてやってくれ。」
別の製鉄所メンバーがそういった。
「しかし、他の人たちは。」
「いい、俺が何とかするから。なんなら、先に帰ってるよ。」
「よし分かった!行ってみる!」
袖を汚されたメンバーがそういうと、彼女は待ってましたとばかり勢いよく走りだした。意外に彼女は、運動神経抜群だ。あっという間に道路を渡って、神社の中までメンバーを連れて行ってしまった。しかし、道路を渡るのに横断歩道を渡るとか、信号機で止まるという概念はまるで理解していなかった。幸い、信号機は青だったので、止まらなくてもよかったが、これが赤信号だったら、さらに大変なことになってしまうかもしれなかった。
そのまま彼女は、神社のベンチがあるところまで走っていった。ついてきた彼も、やっとここへ連れてこられた理由を知ることができた。ベンチの前に蹲り、せき込んでいる水穂の姿が見え、彼の周りは、吐いた大量の血液で赤く染まっていた。
こうなると、声をかけても無駄だということは知っていたから、メンバーは水穂の着用していた着物の袖の中をまさぐって、入っていた鎮血の薬を取り出し、偶然あった自動販売機で水を買ってきて水穂にそれを渡した。水穂は咳をしながらそれを飲み込んだ。しばらくはせき込んだままだったが、三十分ほどしてやっと止まった。正気に返った水穂が周りを見渡すと、自分の首回りに人間の腕がまかれているのに気が付く。そして、その腕の指先にはチョコレートが付いている。よく見ると、自分が相手をしていた例の女性に抱きしめられていたのである。
「もういいですよ。」
やっとそれだけ言えたが、彼女はまだ心配しているようで、その手をほどこうとはしなかった。ある意味ラブシーンにも近い体制であるが、それが、彼女の表現であるからということに気が付く。
「水穂さん大丈夫ですか。これだけ暑いと、体に堪えたでしょう。いくら夜とはいえ、今年の夏は尋常ではない暑さなんですから、無理して引率に来なくてもよかったんじゃないでしょうか。」
製鉄所のメンバーがそういった。
「申し訳ないですね。ちゃんと薬飲んできたから、大丈夫だと油断をしたのが間違いでした。」
水穂は急いで彼に謝罪すると、
「いや、いいですよ。今年の夏が暑いのが悪いんです。それに、予測がつかないでしょうから、気にしないでください。それにしても、神社の敷地内に自動販売機があったのが唯一の救いでした。よかったです。」
メンバーはそう返答した。確かに、ここまで暑くなるとは誰も予想はできなかった。確かに、自動販売機があったのは、もしかしたら天の助けと言えるかもしれなかった。
「ほかの人たちはどうしてます?」
「多分先に製鉄所へ帰ったと思いますよ。あんまり予定を狂わせてしまうと、障害のある方々がびっくりしてしまうでしょ。」
「そうですね。せっかく楽しい気持ちになったのに、ぶち壊しにしたら、いけないですからね。本当に迷惑かけました。すみません。」
「それより、水穂さんも、製鉄所にかえって休まないとだめですよ。しばらくは横になっていたほうがいいんじゃありませんか。エアコンの掃除は、俺たちでやっておきますから。」
「そうですね。」
水穂はそれだけ言って、立ち上がろうとしたが、例の女性はまだくっついたままだった。
「おい、どいてくれないと、立てないじゃないか。」
メンバーが彼女にそう言うが、彼女は離れようとしない。
「これじゃあ、帰れないじゃないか!」
ちょっと語勢を強くして言うと、いきなり彼女がそのメンバーをにらみつける。まるで悪人をにらみつけるように。
「僕に立つなと言いたいのではないですかね。」
水穂がメンバーさんにそっと言った。
「立って歩くのは危険だからやめろとでも言いたいのだと思います。」
「わかった!俺が背負っていきます!」
メンバーさんが、しゃがんで背中に乗るように促すと、やっと彼女は望みがかなったのだろうか、水穂から手を放した。メンバーさんは、よっこらしょと言いながら、水穂を背中に背負った。
「すみません。本当に。」
水穂は男性としては体が小さいので大した重さではなかった。
「いや、大丈夫です。俺、こう見えても格闘技をしていた時期もあったので、水穂さんくらいの体重ならやすやすと運べます。じゃあ、製鉄所に帰りましょうか。君も、しっかりついてこいよ。」
メンバーさんはそういって、神社から道路に向かって歩いて行った。彼女もメンバーさんと一緒についてきた。その顔は、しっかり運ばないと私が許さないわよ!とでもいいたげで、まるで受験生が不正をしないかを監視している、入試の試験官にそっくりだった。
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