第二章 おせっかい焼きの活躍
第二章 おせっかい焼きの活躍
杉三から「偉大なるおせっかい焼き」と称されたイーヨーは、その後も頻繁に杉三たちの下を訪れるようになった。スイカを食べたあの日の別れ際、彼は、自分の出身地をやっと理解してもらえて相当うれしかったようで、これからも手伝えることがあれば、呼び出してくれと言ったのだ。辺鄙なところの人なので、自分の出身地について議論が行われると喜んでしまうのだろう。口だけではなく、確かな働き者で、杉三たちの買い物について行ったり、手の届かないところに設置されている換気扇の掃除をしてくれたり、様々なことを手伝ってくれた。蘭は、あんまり手伝わせて申し訳ないというか、杉ちゃんが甘えてしまうのではないかと反論したが、手伝う事こそ彼のもつ民族性なのだろうと、懍は解説した。そして、そういう気質は、なかなか変えることは難しいとも述べた。
イーヨーは製鉄所にも呼び出され、様々な修理をやってのけた。時に、製鉄所に来ている利用者たちと会話することもあった。中には、内戦の事をインタビューしてレポートにまとめ、それを大学院の修士論文として提出した利用者もいた。
あるとき。
「教授、お客様です。」
懍が、学会に出す資料を執筆していると、水穂がやってきて、そう言った。
「いきなりなんでしょう。」
「いや、それがわからないのですが、なんとも紫陽花園の理事長だそうで。」
懍は少し考えて、
「わかりました。お通ししてください。」
と言った。
しばらくして、水穂の案内に連れられて、中年の女性が入ってきた。ちょっとばかり威圧的なところもないわけではないが、経営者であれば、仕方ないかなと思われるところもあった。
水穂は、女性を案内したあと、掃除が終了していないのでと言って、応接室を出て行った。
「どうもこんにちは。主宰の青柳です。よろしくお願いします。」
「初めまして。吉田夢子と申します。まあ、変わった名前ではありますけど。福祉施設紫陽花園の理事長をしております。」
懍が車いすのまま敬礼すると、彼女も軽く頭を下げてあいさつした。
「で、紫陽花園の理事長がどうしてこちらに来られたのです?金銭的なことなんでしょうか?」
「いえ、そういう事ではありません。先生は、問題を抱えた子供たちを支援する活動をされているのでしょうか?」
と、彼女は端的に聞いた。こういう福祉的な仕事をしていると、単刀直入にものを言うのがうまくなるらしい。
「基本的に製鉄所ですが、中にはそういう者もおりますね。」
「つまり、知能に問題が?」
「まあ、全部がそうではないのですが、中にはそういう者もいました。中には言葉なんて全くわからないというものもいましたよ。幸い、鉄の製造には興味を持ってくれて、かなり苦労はしましたけれども、製鉄作業には参加させ、そのあとは比較的落ち着きを取り戻して帰っていかれましたけどね。」
「で、その人は今どこに?」
「まあ、詳しいことは知りませんが、ご両親と幸せに暮らしているようです。」
「そうですか。先生、そういうご経験もあるのなら、ぜひ、うちの紫陽花園にも協力していただけないでしょうか。何しろ大変な人手不足で困っておりますので、、、。」
夢子はそれを聞いて、懇願するように言った。
「人手不足?」
「はい。そうなんです。利用の申し込みは常に耐えないのに、利用者さんたちの世話をする職員は、年を重ねるごとに減っております。特に若い職員の減少が問題です。こういう事業をやっておりますと、どうしても体力勝負と言いますか、利用者さんたちを力で抑えなければならないという事例もあるわけでして、そういう時には高齢の職員ばかりではどうしても困るわけです。しかし、若い職員は、その前に退職してしまうので、うちでは高齢職員の怪我が問題になっております。」
「で、僕たちはどうしろと?」
「ですから、お宅の利用者さんたちに、何人か手伝いとして来てもらえないかと。若い人たちであれば、うちを利用している利用者さんたちも喜びますよ。」
「なるほど、そういう事ですか。まあ、確かに良いことなのかもしれませんね。しかしながら、製鉄というものは人員が一人でもかけてしまうと、達成できない物でもありますので、定期的に送るのは難しいかもしれないですけどね。それでもよろしければ、ですが。」
「非常勤でも全くかまいません。それさえも足りないのが、うちの施設ですから。お願いできませんか。」
夢子はもう一度頭を下げる。
「そうですか。しかし、そこまで人が足りないとなれば、お宅の経営方法も少し変更したほうがよろしいのではないですか。」
懍がそう指摘すると、夢子は言われてしまったか、という顔をする。
「まあ、福祉施設ということで、桃源郷に近いシステムを打ち出さなければならないことは確かだとは思いますけれども、そればかり強調させてしまうと、現代版座敷牢とたいして変わらない施設となってしまうと思いますよ。」
「でも、先生、利用者さんたちは、すでに社会的に隔絶された立場でもあるわけですから、できる限り、支援をしていかなければと。先生がされている、鉄を作るという作業は、うちを利用している利用者さんたちには危険すぎる気がします。」
「まあ、そうかもしれませんね。重度の障害があればそうだと思いますよ。しかし、物を与えるだけで、何かをさせないというのは果たしてどうかなと思います。衣食住に不自由しなくても、役目がなければ人間は幸福感を持つことはできませんから。今はどうなっているのかわかりませんが、瀧乃川学園でさえも、利用者たちに印刷業や農業などを積極的にさせていましたからね。そのほうが、利用者さんたちも、施設利用を楽しんでくれますし、働いている職員さんも、充実した生活がえられるのでは?」
「青柳先生は、間違った解釈をしているようですね。私たちの施設を利用している人たちは、食事にしろ、排泄にしろ、入浴にしろ、何にしろ、介助が必要な人たちなんです。そういう人が、できることなぞ、果たしてあるでしょうか。先生が受け持った障害のある人は、一体何をさせていたのですか。」
「ええ、すぐに答えを出せますよ。教えましょうか。彼は、燃料を拾いに出させておりました。燃料は木炭が主流ですが、時折足りなくなることがありますから、近隣の里山で拾ってきた枯れ木などを追加することもよくあります。勿論、一人で行かせると危険なのは十分承知していますので、他の利用者が二人以上ついていきましたけどね。」
「ですから、そういう事が人権侵害に当たるのではないかと思うのです。単なる下働き的な役割しか与えられなくて、余計に劣等感を持たせてしまうし、他の人から馬鹿にされるきっかけにもなるでしょう。」
「いや、それはありません。事実、燃料を拾いに行かせたところ、彼はとても嬉しそうでしたし、他のもの以上に熱心に活動するようになりました。どんな人間でも、役目があればそれを頼りに生きて行けるものです。瀧乃川学園の初代学園長もそう考えていたようですが、現代の福祉施設というものは、変な倫理観に縛られて、座敷牢が大型化しただけではないかと思われるところばかりですね。」
「先生は、障碍者施設を見学したりしたことはあるのですか?」
「若いころに、瀧乃川学園を訪問したことはありましたよ。」
夢子は、しばらく何か考え込んだ。
「そうですか。先生からみて、私たちのしていることは、いけないことというか、利用者さんにとって、有害であるとお思いでしょうか。」
「そうですね。すべての行為が有害というわけではないとは思います。ただ、僕たちが若いころは、利用者に該当する人たちは、基本的に幸福な人生を持たせてやることは不可能であるという定義がまかり通っていたので、支援者というものは、何とかしてそれを回避させ、できるだけみんなと同じ幸福を持たせることが、一番の役目でした。しかし、だんだんに能率や利便性を追求していく社会に変わっていって、彼らには不能であることのほうが多くなった結果、だんだんに彼らを隔離させ、偽りの幸福感を与えるだけの支援者が倍増してしまったのが、日本の福祉事業家がやってきた間違いだと思います。そこに気が付かないから、職員さんたちも充実感が乏しいのだと思いますよ。お宅の支援施設である「紫陽花園」のしていることは、瀧乃川学園の初代学園長から見たら、悪い時代に逆戻りしたのかと嘆かれるかもしれませんね。」
がっかりした様子の夢子であったが、彼女の意思は、単に軽い物ではなかったようである。意外なことであるが、支援者の顔をしている者の中には、単に障碍者を、金を集める道具しか見ていない人も意外に多い。
「わかりました。先生。私も、施設経営をもう一度見直して、きちんと支援施設と呼べるような場所になるように努力します。でも、先生、職員の不足というのは、本当に深刻な問題ですので、お手伝いをどうかお願いしたいです。」
夢子はもう一度懍に向かって礼をする。それほど、知的障碍者施設というものは、大変な人手不足であるらしい。一見すると素晴らしい職業なのだが、現場ではそういう言葉も通用しないのだ。一昔前であれば、職員たちも充実感ある仕事であるということを発見してくれるのだが、今の人は感受性に鈍い人が多くなっている。
「わかりました。これも時代の流れですし、まあ、うちの利用者がなんの役に立つかどうかわからないですけど、交流は持ちましょう。」
「あ、ありがとうございます!どうぞよろしくお願いします!」
喜びの顔をする夢子を見て、その言葉に嘘はないと懍は思った。
その日の夕食時に、懍を通して、すぐ近くに立地している知的障碍者施設である「紫陽花園」に、製鉄所の利用者の有志が訪問することが伝えられた。利用者たちは、福祉精神が旺盛な人が多いため、反対する者は誰もいなかった。その数日後に、何人かの製鉄所の利用者が、紫陽花園を訪れて、入居している人たちと一緒に食事をしたりゲームをするなどした。箸を持つすらまともにできず、食事をするのも非常に困難な人が多かったが、入居している人たちは、お客さんが来てくれたというだけでも嬉しそうだった。これこそ、懍が「大型の座敷牢」という証拠なのかもしれなかった。
これは、紫陽花園の運営者側にも好評で、その後も月に数回、紫陽花園の訪問は続けられた。
この施設には、20人ほどの入所者がいたが、挨拶すらまともにできない人がほとんどで、質問されても答えなど返ってくることはなかった。その代わり表情は豊かな人が多いため、「言葉」はなくとも「会話」することはできた。時に障害のためにご飯を選別するのが難しいなど特徴がある人もいるが、何か後押しがあれば、すぐできる、という人が多かった。職員の多くは従わせることが何より大変だと言っていたが、従わせるというよりも、障害のある人たちが「こうしたい」という事をうまく伝えるほうがうまく行く、と製鉄所の利用者たちは、そう言っていた。そして、何よりも自分がこうだとは思わないことだね、とも語っていた。
この訪問にはイーヨーも参加した。勿論、製鉄所の利用者という肩書はないが、「偉大なるおせっかい焼き」と称された彼を連れて行くのは抜群の人材で、彼は障害のある人にとっては「かゆいところに手が届く人」と定義された。少し言葉を理解している人からは、「イーヨー」とニックネームを覚えられてしまったほど。単純な話だが、重度の障害を持っている人が、名前を覚えるというのは非常にまれなことであり、同時によほど印象に残らなければ名前を覚えられないということもあるので、彼の働きぶりは相当なものである。いずれにしても、懍たちが計画した訪問は、正解だったと言える。
懍が、応接室で、また学会に出すための書類を執筆していたが、
「肩が凝りますね。」
と一言つぶやくほど、肩が痛かった。まあ、いつもの事だ、と勝手に解釈していたが、
「先生、モーラステープでも貼りましょうか。」
お茶を持ってきたイーヨーがそんな事を言った。
「結構ですよ。」
懍は、断ったつもりだったが、イーヨーは理解できなかったらしい。すぐに机の引き出しを開けて、モーラステープの袋を取り出した。
「貼りますから、肩を出してください。」
仕方ないなと思いつつ、懍は、右肩を出して、遠山金四郎さんみたいな格好になった。腰のあたりに描かれた、青龍の金色の瞳が真正面に来た。
「すごい、、、。」
「気にしないでくださいね。日本人は神を馬鹿にするから信用できないって、原住民たちに言われたので、急遽彫ってもらいました。日本で神の使いとされている動物を体に身に着けていれば、少し信頼してもらえるかなと思いましてね。半端彫りなんかしたら、もっと馬鹿にされると思ったので、思いっきり総手彫りです。極道さんと間違われることも多数ありましたが、そうしなければ原住民と信頼関係が結べなかったので、仕方がありません。鉄文化のない原住民は、障害のある人以上に慎重にやらないと、ダメなんですよ。こういうものに頼らないと、言葉とかしぐさとか、そういうものでは通じませんね。」
「いや、変だとは思いませんし、仕方ないというか、やむを得なかったわけですから、なんとも思わないです。それより、どこに貼りますか、モーラステープ。」
「あ、それなら、その龍の尻尾のあたりといえば、わかりますかね。」
懍が、そう指示を出すと、
「わかりました。こうしていいところもあるわけですから、気にしないでください。」
イーヨーは、器用にモーラステープを貼り付けた。懍は、すぐに、着物を元通りに直したので、青龍は、見えなくなった。
「ありがとうございます。しかし、あなたも、変わり者といえば変わり者ですね。人の世話をするのは、よいことですが、阿倍と言う姓をなのる以上、既婚者でしょう。あんまり他人に気を使いすぎて、ご家族に目を向けないということには、ならないようにしてくださいませよ。」
袴の紐を結び直しながら懍はそういった。
「ああ、それならたぶん大丈夫だと思います。僕も妻も互いに忙しくて、会話なんかしている暇はほとんどないので。それに、夫婦だからと言って、四六時中相手の行動を確認する必要はないと思うんです。相手が、仕事をしたり、個人的に出かけたりするのは、全く自由だと思うので、あまり、監視しないで生活しています。」
イーヨーはそう返してきた。こういう姿勢は、欧米だと理想的とみなされると思われるが、日本では、どうかと思われる。
「なるほど、そういう考えなんですね。まあ、ヨーロッパ的な考えと言えますね。それも、もしかしたらアーガハーン四世の教えですか?」
「え、ええ。まあ、そういう事なんですが。」
「いいんじゃないですか。あの方は、イスラム社会で言ったら革新的な思想を持つイマームですからね。そういうカリスマ性が、高い支持率を得たのでしょう。そういうところは、もうちょっと大統領も見習ってもらいたいものですな。さすがにテレビが自民族の言葉で放送されていないようなところでは、安心して生活もできないでしょうし、そうなれば、イマームの教えのほうが、頭に残るのはむしろ当然と言えると思います。」
「ええ。大統領がテレビで演説をしたとしても、何を言っているのか全く分からないので、不安になるばかりです。」
「ですよね。内戦の原因の一つにもなりますよ。せめて、テレビがパミール語で字幕を出してくれればいいんですが、そういうことは何一つしないですからね。それなら、ムスリム平等政策を訴えるアーガハーンのほうが政治的能力には優れてますよね。」
懍は、笑いながらそういった。こういう事情は、学識のある人でないと、知らないことである。
「はい。字幕を読めない人のほうが多いので、それをやってもあまり効果がないというのが現実なんですけどね。でもテレビがないと困るというのも確かなのですが。」
「でもないよりはましでしょう。必要な情報は、誰かに読んでもらうなりするでしょうし。」
「それもイマームが演説の中で言ってました。でも、大統領は聞く耳をもたないのだと思います。」
「まあ、人口が極めて少ないところですから、ほったらかしにしていいとでも思っているのかもしれないですね。本当は、そういうところほど重要だと思っていただかないと政治家としてうまい人とは言えないと思いますけどね。」
確かに、ホログ市一つとっても、日本で言ったら市とは言えない本当に小さな町で、富士市の人口の十分の一もないというのが現状である。首都のドゥシャンベでさえも、数年前まで、辺鄙な村だったのである。
「はい。まあ、日本のような近代国家になるのは、まだまだ時間がかかりますよ。僕らにとっては、憧れの憧れのまた憧れという感じかな。」
「そうかもしれませんが、福祉意識というものは、あなた方のほうが格段に優れていると言えます。技術的には進んでいるかもしれませんが、障碍者に手を出して手伝おうという気持ちは、日本人は非常に乏しいです。それは、自慢してくれて結構ですよ。」
「そんなこと言っても、日本は憧れですよ。だって、テレビに字幕が出るなんてありえないというか、こちらでは切実な望みなのに、叶うことはないのですから。」
「いいえ、心というか精神的なレベルは、多分低いでしょう。日本人は、あまりにも機械文明が発達しすぎて、逆に精神的に退化したのではないかともいえることが多すぎます。事実、あなたの奥さんも、そうなっているかもしれませんよ。日本女性は意外に独占欲が強いものですから。あんまり外へ出すぎて、ないがしろにしないであげてくださいね。」
懍は、いたずらっぽく笑って、偉大なるおせっかい焼きが面食らっているのを観察した。彼の中では、まだ、「憧れの憧れの憧れ」であるようで、その言葉を理解するのは、遠い先かな、と感じ取っていた。
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