本篇4、白い小さなロバ

増田朋美

第一章 偉大なるおせっかい焼き

白い小さなロバ

第一章 偉大なるおせっかい焼き

今日も暑い日だった。全く今年の夏はどうかしているという言葉が、日本各地を飛び回る。最近のニュースでは、このままだと日本でバナナを育てることも可能になる、なんて悠長なことを言っている人もいるが、とにかく外へ出るのも命がけという言葉がまかり通ってしまうくらいである。海外では、武装勢力に狙われるためにやたらと外へ出るな、という国家は少なからずあるが、暑さのためにその言葉が出るなんて、何たるおかしな現象だ、と言わざるを得ない。

そんな中、ショッピングモールには、暑い中でも涼しさを求めて大勢の人がやってくるのだった。あるいは、食品の買い物だけはどんなに暑い日でもしてこなければならないという、国民的な事情もあった。

「ねえねえ、誰か頼むから二階まで運んでくれないかな。どうしても買いたいものがあってさ。一階のどの店を探しても売ってないんだよ。」

一階から二階へ向かうエスカレーターの近くで、杉三がでかい声でそう言っていた。車いすの杉三に、エスカレーターや階段を上ることは不可能だった。でも、多くの客はその訴えを全く無視して、自分は関係ないと言いたげに通り過ぎてしまうのであった。

「はれ?エレベーターがあるのでは?」

という答えを返してくれる人もいたが、

「エレベーターはぶっ壊れてるよ。」

と、杉三は言い返した。確かにエレベーターは故障のため本日休止すると貼り紙がしてあった。

「だったら、エレベーターが直った日にもう一回出直すことね。」

その人は当然のようにそういって、さっさと入り口から出て行ってしまった。まるでお前に教えてやっている、とでも言いたげな顔だった。

杉三はもう一度、別の人にお願いしたが、

「それは警備員に頼みなよ。」

と返ってきた。まあ、そういう人であればやってくれるのかもしれないが、

「何を言うんだ。警備員室は二階に登らなきゃたどり着けないよ。それなのにどうやって頼みにいくの?」

と、杉三が言うように、このショッピングモールでは、インフォメーションとか警備員室は、すべて二階に設置されていた。親切なところでは、係員呼び出しベルを設けるところもあるが、このショッピングモールにはそういうものはなかった。

「あ、すみません。」

と、その人はそそくさと走って文字通り「逃げて」しまった。杉三は、車いすであったから、追いかけようとしても、追いつくことはできなかった。

「どこへ行くんですか?」

杉三が後ろを振り向くと、一人の若い男性が立っている。30代くらいのひょろっとした感じの人だ。髪は黒いが、肌の色はちょっとピンクが混じった白い色をしているので、白人とわかった。

「運んでくれるの?」

「はい。いいですよ。どこの店まで運べばいいのですか?」

「じゃあ、頼む頼む。家電屋までお願いしていい?いくらなんでも、電球は食品売り場では買えないよね。そうだろう?それなのになんで、エレベーターが直るまでまたなきゃなんないんだろ。電球が切れて新しいの買いに行くのは、そんなに悪事なんだろうか。」

確かに、一階の食品売り場では電球というものは販売していない。ほしい人は当然、家電屋へ買いに行く。そのためには、二階へ登る。こんなことは当たり前なのだが。

「そうですね。じゃあ、のってくださいませ。」

「よろしく頼む。」

彼は杉三を背負ってエスカレーターに乗り、無事に二階まで運んでくれた。一度二階のベンチに杉三を座らせて、一階に残した車いすをとってきて、改めて乗せてくれた。

「どうもありがとうな。一期一会で感謝するよ。」

杉三は丁寧に礼を言った。

「いや、どっちにしろ降りるときも必要でしょうから、お店の中まで行きますよ。まさか、別の人に頼むわけにもいかないでしょ。その時に、また誰かにたのんで、冷たくされるのも嫌じゃないですか。」

確かに彼のいうことも間違いではない。日本ではほとんど見られない思想で、もしかしたら「おせっかい焼き」として嫌われる確率も高い。杉三はあえてそれを言わなかった。

「そうか、じゃあ、よろしく頼むぜ。」

「はい。」

杉三は彼に車いすを押してもらって、家電屋の中に入った。彼に一緒に来てもらって正解だった。と、いうのも杉三がほしいと思っていた電球は、売り棚の高いところに置かれていたので、車いすでは届かなかったのだ。文字の読めない杉三は金勘定ができないので、代理で支払ってもらう必要があったが、彼は何も抵抗感はないようで、当たり前のように手伝ってくれた。そして、買い物が終了すると、また杉三を背負って、エスカレーターを降り、一階におろしてくれた。

「どうもすみませんね。一から十まで手伝ってくれるとは思わなかったよ。なんだか、重大な出会いみたいな気もするな。お礼と言っては何だけど、うちでスイカでも食べていかない?」

「いや、お礼なんて、いりませんよ。それを要求されることはしてませんから。」

彼は丁重にそれを断ったが、

「日本ではそうするもんなんだよ。」

と杉三はにこにこしたままそういった。

「そうなんですか。僕たちが当たり前にしていたことで、お礼なんかされなきゃいけないなんて、あんまりうれしい気はしないんですが、、、。」

「まあ、君にとってはそうなのかもしれないが、日本ではお礼をしないと、なんて無礼な障碍者だと言って、怒られちゃうの!障碍者は、一段格が低いという思想がまだ強いんだよ!」

「そうですか、そんなことで怒られるなんて、どうも変ですね。大体、怒る必要があるんでしょうか。」

「いや、怒るんだ。だから、礼をしなきゃダメなんだ。」

彼は、よくわからないなという顔つきでしばらく考えていたが、

「わかりました。行きます。」

と言った。

ショッピングモールから杉三の家までは、バラ公園を横切っていけば数分で帰れるが、この暑さでは、バラ公園を横断するのも危険だということで、二人はタクシーで帰ることにした。勿論、文字の読めない杉三にタクシーを呼ぶのは難しいことであったが、男性は、公衆電話を探してきて、そこに貼りだされていたタクシー会社の番号に電話して、手際よくタクシーを呼びだしてくれた。数分後にユニキャブ仕様のタクシーがやってきて二人を乗せ、ショッピングモールを脱出した。

「ところで君の名前なんて言うの?どこの国から来た?」

走るタクシーの中、杉三が聞いた。

「はい、阿部と申します。正式には阿部レイヨウ。出身は、タジキスタンのホログ市です。」

「ああ、イーヨーね。熊のプーさんにでてくるイーヨーと同じと思えばそれでいいのね。阿部という姓は、日本の女性の婿養子にでもなったのね。」

杉三は、レイヨウという名をイーヨーと聞き間違えているようであるが、男性は訂正しなかった。

「ちなみに僕の名は、影山杉三。変な名前という人のほうが多いから、杉ちゃんと呼んでくれればそれでいいからね。僕も名前を覚えるのは大の苦手なので、イーヨーと呼ばせてもらうから。」

「いいですよ、それで。どうせ、周りの人からも変わった名前だと言われることのほうが多いですから。故郷ではありふれていますけど、日本ではそうじゃないでしょうからね。」

杉三が自己紹介すると、レイヨウことイーヨーもそういった。

「タジキスタンのホログ市って、どこにあるんかなあ。名物は何かなあ。」

「はい、中国とカザフの間にあるんです。日本よりずっと小さい国家ですよ。名物はなんだろう。羊の毛とか、そういうもんですかね。車なんてめったに走らないところですよ。」

「どこにあるんか全くわからない。というより、見当もつかないよ。少なくとも、君がしてくれたことから、ものすごいのんびりしてて、その割に人がいいことはわかる。」

「そこはどうなのかは知りませんが、確かに道路はほとんど舗装されていないので、車で走ってもスピードは出ないと思います。高速道路こそあるんですが、日本の高速道路のようにあんなにスピードを出すことはまずないですよ。車が速く走るのではなく、歩いていくよりは速い、くらいしか皆さん考えてないんじゃないかな。」

「面白い国家から来たもんだ。これまでいろんな国から来た人を乗せたけど、そんな考えを持っている人を乗せたのは初めてだよ。」

イーヨーがそう発言すると、タクシーの運転手が面白がってそういった。

「まあ、運転手さん、そういう偏見はなくそうぜ。いくら道路が土のところであっても、僕らを何とかしようとする気持ちは、日本では得られないだろうから、よっぽど優れてら。」

杉三がそういったため、運転手は、

「すまん。ついたよ、杉ちゃん。」

とだけ言って、杉三の家の前でタクシーを止めた。

「じゃあ、うちまでおろしてくれや。頼むぜ。」

「あいよ。」

運転手がタクシーを降りると、

「僕も手伝います。」

再びイーヨーも外へ出て、運転手と一緒に杉三をタクシーから出した。イーヨーは運転手もびっくりするほど手際よく、もしかしたら介護施設とかそういうところの職員なのかと運転手が聞くと、ただのヘルパーであるとしか返ってこなかった。ただのヘルパーにしては、きっちりしすぎているくらいだ。

タクシーが、すべての業務を終えてかえっていくと、いきなり杉三の家の玄関ドアがばたんと開いて、

「どこへ行っていたんだよ。いつまでたっても帰ってこないから、途中で熱中症にでもなったのかと思って、探しに行く方法を考えていたんだよ。」

蘭が、心配そうな表情で現れた。

「どこへって、ショッピングモールだよ。電気スタンドの電球が切れちゃったから、買いに行った。」

「こんな炎天下の中でわざわざ行くのかい?せめて明日にするとか、、、。」

「だって、電球切れたままでは、僕も母ちゃんも仕事ができなくて困るだろ。暑いんだからさっさと入ろうぜ。」

「しかもなんで、この人連れてきた?」

蘭はイーヨーを困った顔で見た。

「連れてきたというか、お礼するために来てもらったんだ。ショッピングモールのエレベーターがぶっ壊れていて、電球を買うには、エスカレーター使うしかないので困ってたら、この人が、家電屋さんまで運んでくれたんだ。」

杉三が説明すると、蘭はなるほどと納得した。確かに、エスカレーターを登っていくことは、杉三も蘭もできないことであった。基本的にそうなれば金を支払って礼とすることが多いのだが、杉三にはそうする考えはまるでないので、ここへ連れてきたのだとわかった。

「すみませんね。杉ちゃん、かなり変わってますから、相手をするのも大変だったでしょ。特に、外国から来た方は、そこら辺を理解するのは難しかったのではないでしょうか。本当に、どこから見ても破天荒で、多分イメージされていた日本人とは明らかに違うと思いますから。」

蘭は、丁寧に敬礼したが、

「いいえお兄さん、僕からしてみたら、すみませんねと謝られるほうがもっと不可解です。お兄さんが言うことは、人に助けを求めることは悪事だと言っているように見えます。事実問題、杉ちゃんのような人は、電球を買いに行ってはいけないという法律があるわけでもないし、誰かが手伝わなければ電球も買えないことは明らかですから、悪いことをしているとは思えませんので。」

イーヨーはそう返し、蘭は返事ができなくなってしまった。

「優しいね。しかし、一つだけ訂正しておくが、蘭は僕のお兄さんではないよ。友達だからな。さて、中へ入ってスイカを食べよう。」

呆然としている蘭を尻目に杉三はどんどん自宅に入ってしまう。

「暑いから家に入って涼もうよ。冷蔵庫にスイカがまだあったでしょ。あれ、草履が二足ある。」

「そうだよ杉ちゃん。あまりにも帰ってこないから、青柳教授たちにきてもらって相談していたんだよ。」

蘭は、やっと自分の苦労をわかってくれたと思ったが、

「もう帰ってきたからいいだろ。それよりスイカを出さなくちゃ。イーヨーも中に入ってスイカを食べな。」

というだけであった。

「すみません。こういうところが本当に破天荒というのです。まあ、危険な暑さですから、中に入って休んでいってくださいな。」

「謝らなくてもいいですよ。何にも気にしていませんから。それにスイカというものはどういうものなのか、全くわからないので説明してもらいたいというのが正直な気持ちです。」

イーヨーがそういったため、蘭は頭を垂れたまま、彼を部屋の中へ通したのだった。

「おかえり、蘭。」

蘭が部屋に入ると、水穂が立ち上がって、ねぎらってくれた。

「杉ちゃんは?」

「一生懸命スイカを切っています。」

隣にいた懍がそういった。

「お邪魔します。」

軽く敬礼してイーヨーが、部屋に入ってきた。彼を見て、水穂も蘭も、軽く頭を下げて、

「青柳懍と申します。よろしくどうぞ。」

「磯野水穂です。」


と、丁重にあいさつした。懍に促されて、イーヨーは椅子に座った。

「ほら、もってきたぜ。これがスイカというもんよ。すっごくうまいから、きっと気に入るよ。」

杉三が膝の上に皿を乗せて、切り分けたスイカを持ってくると、イーヨーは素早く立ち上がり、ひざの上にある皿を持ち上げて、テーブルの上に運んだ。

「よく気が付きますね。日本ではなかなかそういう事に気が付く人は少ないでしょうね。」

水穂が、思わずそういうと、

「そんなことでほめられるのは、おかしいと思ってしまうので、うれしくありません。」

と、返ってきた。

「どっから来たんだ?目が青いから、ヨーロッパの方か。色も白いから、白人でしょ。髪は黒く染めなおしたのかな、日本で生活しやすいように。もとは金髪だったとか。」

「蘭、ヨーロッパ人だけが白人ではないよ。」

「そうか、アメリカにもいるんだよな。」

「いや、白人は欧米人ばかりじゃないし、青い瞳を持つ人は、欧米以外にもいる。」

蘭と水穂が、そういう会話をしていると、すでにスイカにかぶりついていた杉三が、

「どこにあるかは知らないが、タジキスタンのホログというところから来たんだってさ。」

と言った。

「はあ、全くわからない。見当もつかないところだな。歴史の授業でさえも取り上げられたことはなかったぞ。」

蘭は一般的な日本人らしく、そんな事を言った。

「そうかもしれないが、住んでいる人がいるんだから、そういう事を言うべきではないだろう。名の知れない国家でも、彼にしてみれば立派な故郷だ。わからないなんて、そういういい方は、国を侮辱する可能性もある。」

水穂が急いでそれを訂正したが、

「いえ、大丈夫です。他の人に話しても、皆さんそういうから慣れてしまいました。」

イーヨーはにこやかなまま、そういうのだった。学識のある懍だけが、所在地を把握したらしく、何も驚かなかった。

「そうなんですね。最近まで内戦状態であり、あまり安定した社会ではなかったのではないですか。中央アジアで最も貧しい国家と言われていますし、特にホログ市の周りは非常に貧しいと言われますからね。たぶん識字率もさほど高くないでしょう。こちらへ来られたのさえ、難しかったのではないですか。」

「そうか、それでスイカと言われて何のことだかわからないと言ったのか。」

懍の発言に杉三が付け加えた。

「そうですね、杉三さん。ホログ市はただでさえ山岳地帯にある街ですから、スイカというものを育てようとすることはまずできないでしょうね。それに、のんきに農業をしていられるかというとそうでもありません。何しろ、長く続いた内戦の後片付けがまだ終わっていないどころか、ふりだしにすら到達していないかもしれないです。支援に行っていた筑波大学の教員も犠牲になっています。」

「そうですか。最近まで戦争をしていて、その解決ができていない国家はまだまだ多いんですね。多いどころか、ほとんどの国家がそうなのかもしれませんが。」

水穂が、ちょっと感慨深く言った。

「でもさ、人はいいんだな。ショッピングモールで、無事に電球を買えたのは、まさしく彼のおかげと言ってもいいよ。自分さえよければ、他人と違う人はダメな人という思想は、彼にはないみたいだよ。そういうところは、すごい国民性だと思うけど。政治が行き届いているというか、なんというか、そこは素直にすごいと思うよ。」

杉三が、感心したようにそういった。確かに日本にはめったに見られないおせっかい焼きであることは間違いなかった。

「それはたぶん、国民性というよりも、アーガハーン四世の思想だと思いますね。あの地域は、大統領よりも、アーガハーン四世を支持する住民のほうが、圧倒的に多いんです。彼が、福祉政策の充実を訴え続けてきているので、その影響だと思いますよ。まず、ホログ市の住民は、選挙権を持っていないので、基本的に統治者は、住民が選別することができないんですね。現地語で放送するテレビ番組すらないと聞いていますよ。そうなれば、大統領を支持する気持ちなどわいてこないでしょう。」

「よく知っていらっしゃいますね。まさしくその通りなんですよ。日本に来て、映画のほとんどが、日本語で字幕を表記していたのはびっくりしました。僕たちは、テレビをつけても何を言っているのか全くわからない、という感じでしたから。そうなれば、大統領の演説だって、信用できるかもわかりません。それなら、イマームの教えのほうが、頭に入るというわけで。」

懍とイーヨーは、二人そろってそんな話をした。

「へえ、なんでだ?」

杉三が率直に聞いたところ、懍はこう解説した。

「多分、住んでいる民族の数が多すぎるのでしょうね。あの辺りで使われる言語は、少なくとも10近くありますよ。あの地域は山岳地であることを利用して、迫害された少数民族が隠れ家的に生活していたという歴史がありますから。それは同時に多数派民族の侵入をふさぐことができ、自身の文化を残すことに成功したとも解釈できますけどね。」

「では教授、その人たちを同化させるという考えはなかったのでしょうか。」

蘭が、静かに質問すると、

「どうですかね。人が住めるのはわずか3パーセントくらいしかないと言われる地域ですから、情報を普及させるのは難しいのではないですか。」

と、答えてくれた。

「そうかあ、今でも、そういうところがあるんだな。世界って、本当に広いんだねえ。」

蘭は、頭をかじって大きなため息をついた。

「まあいいや、深刻な話はいくらしても仕方ないよ。とりあえず、今は、スイカというものを、思う存分味わってくれや。そして、おせっかい焼きであることに誇りをもって、これからも生活していって頂戴。願わくは、君のような人が、もうちょっと増えてくれることだ!」

杉三が、そう言ってこの偉大なるおせっかい焼きの肩を叩いた。

「はい、ありがとうございます。」

彼は、目の前にあるスイカを一切れとって、恐る恐るスイカに口を付けた。

「独特の味ですね。生まれて初めて食べましたよ。」

「そうだろ!うまいだろ!日本の夏には欠かせない一品だ。ぜひ味わって食べて行ってね!」

「はい。」

にこやかに笑って、彼はスイカを食べ始めたのであった。


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