マルドゥック・サインスポット
中文字
人生の岐路には道しるべ
ルーン=バロット。
少女娼婦。事件の被害者。マルドゥック・スクランブル-09法で強化を受けたエンハンサー。金属繊維の皮膚を纏う
バロットという少女が持つ様々な肩書きに、この日、新たなる『弁護士を目指す学生』が加わった。
彼女の保護者代わりを自任するベル・ウィングが、バロットの進路を認めてくれたのだ。
「まったく、この子は。自分が決めたことは曲げやしないんだからねえ」
『ごめんなさい。でも、これがなりたいものだから』
バロットの首に巻かれたチョーカーにある小型スピーカーから、少女風の電子音声が流れ出る。
とある事件で首を切り裂かれたバロットの失った声の代わりに、彼女がスナークで喋らせているのだ。
その、電子音声ながらも少し申し訳なさそうな声を聞いて、ベル・ウィングは微笑みを浮かべた。
「自分の道を自分で決められたことを褒めているんだよ、胸を張りな。あえて問題点を言うなら、あの連中の影響ってところが気に食わないんだけどねえ」
ベル・ウィングの毒舌に、バロットにしては珍しいことに、その柳眉を不満げに寄せた。
『あの連中』という言葉が指す人物が、自分の恩人たちであると自覚しているため、ベル・ウィングであってもそれを貶すような発言は許せなかったのだ。
しかし、その恩人のために訂正を求めたり、名誉を守る反論をしないのは、ベル・ウィングが半ば冗談で言っていることを理解しているからでもある。
そんなバロットの内心の動きなど、長年カジノで名スピナーとして名を馳せたベル・ウィングには、容易くお見通しである。
「さて。独り立ちを始めようっていう可愛い子には、社会体験をさせてやらないとねえ」
ベル・ウィングは座っていた席を立つと、所有する車の鍵を手にした。
最近体調を崩しがちな彼女を気遣って、バロットはすぐに支えに寄る。
『グランマ、どこに行くの?』
共に暮らすようになってから使うようになった呼称で呼びかけられて、ベル・ウィングは微笑みを深くする。
「なに、あんたには経験のある場所だよ。心配しないでついておいで」
『?』
行き先に思い当たらない様子で、バロットは首を傾げつつ、颯爽とした歩みで進み始めたベル・ウィングの背中を追って行った。
ベル・ウィングの車に揺られること小一時間。
着いた場所は、カジノハウスだった。
その店は、とある事件でバロットと09法の執行官のドクターイースターとウフコックが向かったような、観光客や富豪を多数飲み込む、煌びやかで巨大なカジノではない。
周辺地域に住む人のために昔に作られたような、古ぼけて小汚い賭場である。
バロットは、ここがベル・ウィングの目的地だと知って、さらに困惑を強めていた。
『ここに、なんの用があるの?』
「言っただろ。社会体験さ。あんたが弁護士になるなら、知っておいて損はない景色が見える場所が、ここだよ」
ベル・ウィングは入り慣れた様子で、カジノの扉を開けて中に入っていく。
バロットも後に続いて入り、中に充満していたタバコの煙が目に入って、瞬きを繰り返した。
カジノの中も外観と同じように古ぼけて小汚く、加えて薄暗い。
立ち並んでいる全てのスロットマシーンの絵柄を見る窓は、タバコの煙に燻されてヤニがついて黄色い。各種カード台にある緑のカバーは、長年使い込まれて擦り減って白ボケてしまっている。ルーレット台は年季が入りすぎて、木材の部分が飴色を通り越して黒光りしていた。客が座る椅子ですら、折れた脚の修復にダクトテープを使っている有様だった。
『場末のカジノ』という言葉そのもののだと、誰もが感じてしまう光景だ。
バロットは不思議そうに周囲を見回して、ベル・ウィングが足音高く先に進んでいく後ろ姿が目に入り、少し慌てて背中を負った。
カジノの中を通る際に、バロットの皮膚――電子操作だけでなく様々な感覚器として作用する金属繊維が、さらに詳しくこのカジノの中を教えてくれる。
型落ち品のスロットマシーンは、バロットが小指を動かす程度の労力でスナークするだけで『777』を容易く弾き出し得ること。
客の中に粗悪な
そして場末な見た目に反して、薄暗い照明の陰に隠れるように、天井には監視カメラが大量にあること。
それらの情報を、バロットはすまし顔で受け取りながら、ベル・ウィングが入っていった『STAFF ONLY』の看板がついた扉の中へと進んでいく。
中は、天井の監視カメラからの映像を映し出すモニター室になっていた。
そして、このカジノのオーナーらしき、三つ揃えのスーツを粋に着こなした八十歳ほどの痩せた老人が立って、ベル・ウィングとバロットが入ってくるのを待ち構えていた。
老人はベル・ウィングの顔を見ると、朗らかな笑みを浮かべる。
「おー! あのベル嬢ちゃんが、こんなに皺くちゃになってしまって!」
「うるさいねえ、この爺さまは。あんたのほうが、よっぽど皺だらけじゃないか」
「はっはっは。この顔に刻まれた皺こそが、我が人生の証。体型に合わせてスーツを作るように、年老いた者は年老いた見た目こそが相応しいとは思わないかい?」
「女性に対して、皺の話を長引かせるんじゃないよ」
ベル・ウィングは親しそうに老人に言葉をかけながら、そっと手を引いてバロットを横並びの位置へ移動させた。
「今日は爺さまにお願いがあってね。この子に、ディーラーを体験させて欲しいのさ」
「そちらの可愛らしいお嬢さんにかい? もしやベル嬢ちゃんの弟子なのか?」
「いいや、私の可愛い孫なのさ。だから、ここで社会経験を積ませてやろうと思ってね」
ベル・ウィングの孫という言葉に、老人は少し考える素振りを見せ、しかしその説明に納得したようだった。
「君がベル・ウィングの初孫か。名前は何と言うんだい?」
『バロット』
「では、バロット。君はディーラーの経験があるかい?」
『いいえ、ありません。お客として遊んだことはあります』
バロットの返事に、老人は訝しげな視線をベル・ウィングに送る。
「こんな場末の賭場でも、ずぶの素人に立たせるには荷が重いと思うぞ」
「心配いらないよ。カードを操る手は本職顔負けだし、勝負勘はあのアシュレイを倒して見せたことで証明済みさ」
街一番のディーラーと名高い男の名前が出てきて、老人は驚きで目を見開いた。
「あのアシュレイをか。それなら、素人扱いはできないな。さてバロット。君の腕前を、ちょっと見せてくれないかな?」
老人はスーツの懐から、検品シールが張られたカードの箱を取り出た。
バロットはその箱を受け取ると、シールを破ってカードのデッキを引き抜く。そしてカードのカットやシャッフル、手品師や大道芸人のようなトリックまで行う。
この手指の正確な動きは、金属繊維の皮膚が伝えてくる感覚と、バロットが自分の手をスナークで動かすことで可能となっている。
そんな仕組みを知るベル・ウィングであっても、思わず口笛を吹きそうになるほど、バロットのカードを操る手の動きは見事だった。
カジノのオーナーである老人も、その腕前に惚れたようで、ここまでで一番の笑顔になる。
「よし、バロット。君はカード台に立つ資格があると認めよう。思う存分、社会体験をしておくれ。君の美貌とその腕があれば、今日一日で人気者になること間違いなしだよ」
「さて、オーナーの許しが出たんだ。バロットには着替えてもらわないといけないね」
ベル・ウィングはバロットの手を取ると、モニター室の先にある更衣室へ入り、クリーニング済みの衣服を表すビニールを破ってディーラーらしい衣装に気が得させていく。
あれよあれよという間にバロットは、年若さに目をつぶりさえすれば、見事な美人ディーラーに変貌していた。
「これでいいね。なにが起こっても私がケツを持ってあげるから、心配せずに台に立ちな」
『え、あの。本当にディーラーをやるの?』
「ここまでやっておいて、今更止めるのはなしだよ。ほらほら、店の中に行きな」
ベル・ウィングはバロットの手を持ったまま、強引に店の中へと連れ出した。
新顔ディーラーの登場に、この店の常連客が目を向ける。そして、バロットの若さと見目麗しさに、様々な表情を浮かべる。
客寄せの飾りと判断している者。美しい女性が相手なら一勝負してもいいと考える者。若いディーラーなら勝てると踏んだ者。
人々の視線が、金属繊維の皮膚に突き刺さるようだった。
過去の体験からバロットは背を丸くしそうになるが、ベル・ウィングがバロットの肩に手を置いく。
「ここの連中程度の目に気おくれするようじゃ、被告人をどんな脅威からも守る弁護士になるなんて、土台無理だろうね」
『……ディーラーをやるわ』
安い挑発と知りつつも、バロットは負けん気を発揮して、背筋を伸ばしてカード台へと歩み寄る。
そこは、バロットがルールをよく知っている、ブラックジャックを行う台だった。
バロットが備え付けの二デッキ分のカードを切り始めると、カジノ客が近寄ってきて、七席全てが埋まった。
カモと思われているとバロットは感じて、客全てを負けさせようと考える。
ちょうどその瞬間、内面を見透かしたようにベル・ウィングの耳打ちが来た。
「能力を使わずにカードを切りな。意識的にカードを操作するのもなしだ」
『それはどうして?』
「言っただろ。これは社会体験だって。あんたがここでやることは、あの連中を打ち負かすんじゃなく、客の様子を観察することだよ」
意味深な指示だったが、バロットは素直に従った。
ベル・ウィングが提案したことに従って、良くなったことはあっても悪くなったことはなかったからだ。
バロットはカード全体を均等に混ざるように手を動かし、プレイデッキを作り、シューと呼ぶケースに入れた。
そのケースから規定枚数のカードを、集まった客たちにカードを配っていく。
客はバロットの手つきを見つめて、イカサマをしていないかを確認していくが、カードが配り終わったところで不正はなかったと判断した。
そんな客たちの様子を、バロットは新鮮な驚きと共に見ていた。
(客としてカジノで見た景色と、ディーラーとして見る景色は全然違うのね)
客たちは、バロットがアシュレイとブラックジャックで戦ったときのように、配られたカードを見つめて必死に戦略を立てている。
一方でカードを配ったバロットの方は、彼らの心と手の動きを観察する余裕が生まれていた。
同じ場所にいる人間なのに、立ち位置が少し違うだけで見えている光景が違っていることに、バロットは面白みを感じた。
客たちは、チップを一枚惜しむように積んだり、ときにはごっそりと大胆に賭けたりしていく。
バロットはディーラーとしての役割に徹して、要求される通りにカードを配っていった。
自分が配るカードの一枚一枚で、客が一喜一憂する。もちろんブラフも込みでだ。
シューに入っているデッキは、誰の思惑も乗っていない、ただ混ぜただけのカードの束である。そんなものが人の感情を、こうまで揺らし動かす様は、バロットにとっては魔法の一種のように感じられた。
ゲームは進み、デッキが全て尽きた。
バロットはカードを回収し、再び何の考えもなく、ただ正確に混ぜることだけ考えて手を動かしてから、整えたデッキをシューに入れる。
そうして始まった次のゲーム。
ディーラーの作業に慣れてきたこともあり、バロットは、どうしてベル・ウィングがこの体験をさせようと思ったかに考えを飛ばすようになった。
考えに沈みながらも、客たちの反応に自動で動くロボットのように、正確かつ真っ当にカードを配っていく。
そうして第二ゲームが半ばまで来たところで、バロットは不思議さを感じ取っていた。
いま使っているデッキは、アシュレイがやったような、ディーラーが客の勝ち負けを操作するようなものではない。
それなのに、チップを積み上げる人と、チップを失って苦悶する人に分かれていた。
客のブラックジャックに対する腕の良し悪しはある。
しかし、ゲームのセオリーを守っている一人が、不思議なことに大負けしていた。
配られるカードが全て、彼が立てた戦略の裏目裏目に回っているようなのだ。
バロットはその客が負けるように仕向けているわけではないし、無生物であるカードデッキが悪意を持っているはずもない。
それにもかかわらず、その客チップを大量に失っていた。
不可思議な状況だが、ゲームを止めることはできない。
バロットはカードを配り続け、そして第二ゲームがあと少しでカード切れになるというところで、大負けしていた客が席を立った。
「今日はツイてない日だったようだ」
捨て台詞を吐いて、彼は負け犬のように背中を丸めてカジノから出ていく。
意図してやったわけではないのだが、結果として彼を負けさせる形になってしまったバロットの胸の中には、苦い気持ちが広がった。
第三ゲーム、第四ゲームと続けていくと、客ごとに勝ち負けがはっきりしてきた。
そして第五ゲームの前に、バロットはこの店本来のディーラーと交代して、下がることになった。
後ろに控えていたベル・ウィングに近寄ったことで、バロットの気がほんの少しだけ抜ける。その瞬間、ただ淡々とゲームを進めていただけなのに、変な疲労感がバロットの体を襲った。
不可思議な体験にバロットが困惑するなか、ベル・ウィングはさもその疑問は当然といった態度を取っている。
「どうだい。自分の目の前で、人間の様子と運命が変化する様子を見た感想は」
『なんだか、気分が重い。私自身が、お客さんを負けさせたわけじゃないのに』
「そうだね。あんたは、私の指示通りに何もしなかった。ゲームに負けて帰った連中は、運命の女神に微笑んでもらえずに、自分勝手に自滅しただけだ。マルドゥックシティーに住む多くの人が体験するのと同じ、ちょっとした不運ってやつさ」
ベル・ウィングはそこで言葉を少し止めると、殊更に厳しい顔つきになって、バロットの顔を覗き込んだ。
「そして、あんたが目指す理想の弁護士ってのは、さっきの負け犬連中のような――カードの悪い出目が連続したなんて理由が比較にならないほどに、特大な不運を抱えた人達をだ。そんな相手を救わなきゃいけない大仕事だよ。時には力及ばずに助けきれず、あんたがいま抱えている胸糞の悪さを何倍にもした感情を、延々と持つ羽目になることもあるだろうさ。それでも、本当に目指すのかい?」
ベル・ウィングの顔つきは真剣そのものだが、目にある感情はバロットへの慈しみと心配である。
彼女がどんな思いで、このカジノの体験をさせてくれたのか、いま警告を口にしているのかを、バロットは深く悟る。
しかしながら、バロットの返事は決まり切っていた。
『この嫌な気持ちが何倍になったものが待っていようと、弁護士を目指します。それが、私が生まれてから初めて抱けた、大切な夢だもの』
将来の不安は切に感じながらも、夢へと進む道にまい進することをためらわない気丈さを持って、バロットは宣言した。
ベル・ウィングはその決意を至近距離で受け取って、困ったように後ろ首を掻く。
「まったく、ガラでもないことはするもんじゃないね。これが本当に老婆心ってやつだったね」
『いえ、そんな。グランマの気持ち、私、嬉しかった』
「こらこら。ここは真剣に言葉をとらえる場面じゃないよ。『老婆心だなんて、ベルさんはまだ若いんだから』って冗談を返すところだよ」
ベル・ウィングは苦笑気味にそう言うと、諦めがついた表情で、バロットに更なる助言をした。
「あの第五ゲームが終わったら、バロットに代わりに入ってもらうよ。けど次からは、能力を使ってもいいから、大勝ちの客から小勝ちになる程度までチップを奪いな。逆に大負けしている客は小負けになるよう手助けできるよう、カードの操作をしな」
唐突な指示に、バロットは目を瞬かせる。
『そんなことをして、いいの?』
「なに、弁護士だって依頼人を守るためなら、多少の横紙破り――イカサマはやるもんさ。いまのうちから、そういう悪い方法に少しは慣れたほうがいいに決まっている。バロットは、ちょっと真面目に過ぎるからね。それに、勝負の女神に見捨てられた人を救えなくて、運命に押しつぶされそうな弱者を救えたりはしないもんだろ?」
ニヤリと口元を歪めて笑うベル・ウィングに、バロットは自分の口で声のない笑い声を漏らした。
『そうだね。将来に弁護士になったときのための練習に、あのお客さんたちを利用させてもらうことにする』
「そう、その意気だよ。そうと決まれば――ほら、再びあんたの出番だよ」
デッキを使い終わったディーラーが退き、バロットが入れ替わりに入る。そして使用済みのカードをかき集めながら、集まっている客が積んでいるチップを確認する。
目で数えたりはしない。皮膚にある金属繊維が伝えてくる情報で、より正確い把握するのだ。
加えて、いまかき混ぜているカードの番号と絵柄を、バロットは入念に掴んでいく。
在りし日にアシュレイの技巧を掻い潜って把握したときに比べたら、自分でカードを混ぜる分だけ簡単に手早く掌握することが可能だった。
そうしてカードを一まとめにしてシューに入れ、ゲームが始まった。
何回かチップがやり取りされた後で、客たちもバロットの雰囲気が変わったことに気付き始める。
それはやがて、いままでの自分の運や戦略とは違った場所に、いつの間にか立たされていることを理解することになる。
大量に積まれていたはずの客のチップが、知らず知らずのうちに減っていっている。
逆にあと数枚しかチップがなかった客の手持ちが、少しずつ戻って言っていた。
その仕組みは単純だ。
勝っていた客を勝たせ続けつつも、大きく賭けたときは、親の手札をほんの一か二だけ数を上にすることで相手を下しているのだ。
逆に負けている客には、勝ち負けを半々ずつ送りながら、ほんの少しの枚数分だけ得をするような収支になるように巧みに勝たせてあげる。
そんな場の支配を、バロットは組み上げたデッキをめくるだけで行っている。
もちろん、参考にしたアシュレイほど完璧に支配が可能なわけではない。だが、場末の賭博客を相手にするぐらいなら、その不完全さが逆にいい塩梅に変わり、場を盛り上げる契機に繋がっていた。
大勝ちしていたはずの客は、自分が熱中しすぎているせいだと自制して、慎重策に切り替えたり、逆にこれが最後とばかりに大張りしたりする。
大負けしていた客は、勝っているうちにチップをかき集めようと欲を掻き、再びチップを失ったり、幸運の女神を逃がさないように怯えながら賭けたりする。
そうしてどの客も、勝ち過ぎず、負け過ぎない形で、第六ゲーム、第七ゲームが過ぎていった。
この頃になると、バロットの額に汗が浮かび、カードの把握で熱を持った頭がふらつき、集中によって失われた体力のせいで膝が小刻みに震え始める。
そんな疲労の蓄積が見えたところで、ベル・ウィングがバロットの肩を叩く。
手つきはとても優しく、もう十分に体験できたはずだと、言葉なく伝えてきた。
バロットは安心して気を抜くと、集まってくれた客たちに頭を下げて、後ろに大きく一歩下がる。
すると入れ替わりに、ベル・ウィングがカード台に立った。
「さて。お久しぶりのやつらはお見限りだったね。初めての人は、この顔を覚えて帰りなよ。私の名前はベル・ウィング。ここのオーナーとは古馴染みのディーラーだよ」
ニヤリと不敵に笑うベル・ウィングを見て、客の一部が勝負を諦めたように仰け反った。
「あの嬢ちゃんの後ろにいるのは誰かと思えば、やっぱりベルか。せっかく貯めたチップを、ここで奪い去られちゃたまらないよ」
「大きなカジノで働いていたはずだろ。こんな場末の賭場にやってくるなよ。その見事な腕が泣くぜ」
「ふんっ、意気地がない客だね。私の本職はルーレットだって知っているだろ。こうして不得意なカードの場に出てきたんだ。私を打ち倒してやろうって気概を持てないものかね」
「そ、それじゃあ俺が――」
「止めとけ止めとけ。この婆さんは確かにルーレットを支配する女王さまだけどな、カードが苦手ってわけじゃねえんだよ」
「アシュレイっていうカードの大人物がいるから霞んで見えるが、大店のディーラーにすぐに就職可能な凄腕ババアだぞ、マジで」
「あんたら。黙って聞いていれば、ババアババアと、うるさいよ!」
ベル・ウィングの一喝。だが、常連の客たちは慣れている様子で、大笑いする。
「うひひひひっ。おー、怖い怖い。ここはチップを持って逃げなきゃな」
「どうせ勝負するなら、カードじゃなくてルーレットにしようぜ。あんたの腕に、俺は惚れこんでいるんだ。間近で見せてくれよ」
「しょうがないね、まったく。それじゃあついてきな。この腕の冴えを見せてやるとするよ」
ベル・ウィングがルーレットに移動すると、客たちは従者のように連れ立ってついていく。
その光景を、バロットは目を丸くして見ていた。
ディーラーと客とは、金を巻き上げる側と巻き上げられる側という、いわば敵同士の間柄だ。それにも関わらず、ベル・ウィングは皆に慕われている。
そんなある種の敵すらも味方に引き込んでしまっているベル・ウィングの姿に、バロットは強くあこがれを抱いた。
そして、いつか弁護士になったときには依頼者だけでなく、その関係者と係争した敵とも、ああしていい関係を持てるような存在になりたいと願った。
新たに追加された夢は、いままでの道をさらに険しくするものだったが、バロットに目指さない理由はなかった。
(やっぱり、ベル・ウィングは凄い人)
バロットは声には出さずに唇を動かして呟くと、久しぶりに台に立つ姿を見るベル・ウィングの技の冴えを見学しようと、ルーレット台へと歩き寄っていったのだった。
マルドゥック・サインスポット 中文字 @tyumoji_Mm-xo
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