14 命がけの人たらし【解決編2】
ナナオは老師を睨んだまま、荒い呼吸をしている。
様子がおかしい……? 額に脂汗を流しあえぐように呻きを漏らし、胸のあたりを抑えている。
僕は彼を庇うよう大きく一歩前に出る。
「聞いてください! 僕に別の考えがあります」
「ほおん。申してみよ」
「頭部をガラス壁に置いた方法についてです」
烈歌老師が舌なめずりをする。僕はずばり頭のなかで捏ねていた推理を放つ。
「犯人は――プラネタリウム側の小窓を利用したのです」
男爵に教えられたメンテ用の跳ね上げ窓のことである。
「でも、あの窓、人は通れない……頭部だけ放り上げるのも高さ的に無理だ」
ナナオがさも不安そうに見上げてくる。
大丈夫、とばかりに僕は胸を張って、
「窓の大きさは二十センチ四方で普通の人間は通れません。でも、
はっとしたように腹を撫でたのはミセスローズだ。信じられないという表情で僕をまじまじと見つめてくる。
「コスモックル多羅氏はミセスローズの頼みで、胎児の成長を促しました。
術後ミセスは気を失ったようですが、その間、実は赤ちゃんは産まれていたのです。ファム少年に脅されていた多羅氏は赤ん坊を利用することを思いつきます。
もっとも産まれた直後では動けませんから、窓を通れる程度まで成長させたのでしょう。すべて能力のなせる技です。多羅氏の手引きによって、赤ん坊はガラス壁を昇り、僕らが発見した位置に生首を置いたのです!」
最後まで言い切り、僕はゆっくり顔を上げた。
やった。やったぞ。これが正解だろう。さあどうだ。
ところが――は?……なんだこの白けた雰囲気は?
「シタラ君。赤ん坊がガラス壁を昇ったって、どうやって?」
容疑者のコスモックル多羅が
「スパイ映画みたいに特殊な吸盤を使って……」
「そのような道具は要塞にありません」
とシスター。僕はめげずに、
「吸盤じゃなくても、縄とか」
「ガラス壁は平面で縄を掛けられるような突起もないし、それに、万が一落ちたら即死だ。ちなみに胎内から出た赤ちゃんはどうなったの?」
「それは能力でお腹に戻して、縫って」
「無茶だよ」
苦笑しながら多羅氏が言う。
「僕の能力はあくまでも、肉体年齢を操作することだけ。
シタラ君が言うような、外科手術を必要とする措置はできないよ。許可なしにミセスローズに陣痛を促したのは良くなかったと思っています。結局何のお役にも立てなかったですしね」
と妊婦の貴婦人に謝った後、一同に向かって、
「僕はクレルさんに能力を使っていないし、彼女を殺してもいない」
と完全に容疑を否認した。しやがった。
頭をがつんと叩かれたような衝撃が僕を襲う。
どういうことだよ……?
ナナオの、探偵役の推理は間違っていたのか? 槙村ナナオは探偵じゃなかったのか……?
パニック状態の僕に、いつの間にか冷めた視線が集中していた。
慈悲深いシスターまでも胡散くさそうな顔をしている。行き詰った雰囲気のなか、口火を切ったのは烈歌老師だった。
「わかってないようじゃな、小僧」
「……え?」
「突然、何の前触れもなくこの世界に登場して。一番怪しいのは
*
「っ、何するんですか!? 痛っ!」
押し込まれた場所は、〈低温実験室〉だった。
老人とは思えぬ力で僕を引っ張ってきた烈歌老師に、コンクリートの床へ放られる。
助けを求めた僕を、皆は助けてくれなかった。今までよく面倒をみてくれたコスモックル多羅氏にも見捨てられた。彼を犯人扱いしてしまったのだから、当然だろうとも思うが。
唯一、シスターが手を差し伸べてくれようとしたが、老師が、ホールと展示スペースを遮るシャッターを閉め切ったため、最後の希望も絶たれた。
誰にも邪魔させない、とばかりに老師が低温実験室の内側から分厚い扉を閉めた。
途端、モーター音がして凄まじい冷気が室内に注入され始める。
僕は青ざめた。
『室内温度がマイナス三十度に設定されていました』
無残に凍死したファム少年の姿が瞼の奥によみがえる。まもなく
「逃がさんぞ」
四つん這いのまま出口をちらりと見た僕を挑発するかのように、老師が両腕を広げ通せんぼする。コンクリートの床が氷のように冷たい。
深い皺がきざまれた邪悪な笑み。曲がった腰でヨロヨロ動いていたのは演技だったのか。疑いたくなるような機敏な動きで、足元のパイプ棒を掴んで振り上げた。抵抗しようものならこれで
僕はぎりっと唇を噛む。
「こうやって――ファム少年も
「ひっひっ」
老師は面白そうに嗤った。
「あのときは抵抗されんよう、ちいっと
第二の殺戮について。
ファム少年は自殺ではない。意識を失ったまま凍死したわけでもない。
だって、彼の
僕は床を這う。
見つけた!
ファム少年の血の跡。精一杯抵抗した痕跡。
彼は脱出しようとしたのだ。
扉は施錠されていないのに、扉を外から押さえられていたわけでもないのに、脱出できなかったのは何故か――?
決まっている。
「こんな過酷な状況に長時間耐えられるのは――
「過酷とは失礼じゃのぅ。低温実験室は元々、わしが部屋として使っていたというのに」
「なぜ殺した?」
ひっ、と不吉な引きつり笑いが響く。
「――ファム少年が死んだ。槙村ナナオと、ミセスローズの腹の男児が死ねば終わりじゃ。おぬし、という想定外もこうして
困惑するばかりの僕に得意げに語る。
「能力も持たず、子供も産めない――非能力者の男児など、この世に不要じゃ。
人類淘汰で大分減少したが、最後にしぶとく残る者をワシが始末してやろうと思うてな。要塞にこのメンバーを集めるようシスターを誘導したのはワシじゃからのぅ」
「……っ!」
僕は戦慄した。なんだこれは……?
物語の展開が急にエスカレートしたような。これも予定調和のひとつなのか?
老師は酩酊したような口ぶりで、
「特にあのファム少年は道化極まりない。その様子じゃ気づいていなかったようじゃな? ヤツは、シスターの遺伝子を操作して産まれてきた
「ファム少年が、シスターの……?」
クローン? よく似ているなとは思っていたが。彼らがそんな関係だったなんて。
「科学の力を尽くして、非能力者の男児を作るなど愚の骨頂。だから、ワシが無に帰してやったのじゃ!」
「……ナナオは? ナナオは能力者じゃないのか」
老師は鼻で笑う。
「あやつは元々は普通の人間じゃ。ワシが魔法使いだった頃、妹が生きている期間限定で輪廻転生の呪いをかけてやった。あやつがそう望んだからの。槙村クレルが死んだ今、まもなく呪いの効果も切れよう」
「か、かはっ」
なんて狂った思想……いや、設定なんだ。
ゆっくり考える余裕はなかった。みるみるうちに冷気が満たされ、白い息が吐き出される。吐息さえも凍りつく極寒の温度。
このままじゃ、死ぬ……死ぬ。
震えているのは僕だけで、不老不死は平然としている。
「さあ早く楽になりたかろう。どれ、手助けしてやろうか?」
老師はアリを踏み潰す子どもみたいな目つきで僕を見た。おもむろにパイプ棒を振り上げ、近づいてくる。
「僕は……間違っていた……ナナオは探偵じゃなかった」
「何を言っておる?」
「烈歌老師は、真相がわかっているんですよね……? でも、千里眼が使えないのに……どうして?」
「はん! 千里眼を使うまでもないわ。論理立てて考えたらわかること。小僧。くだらないことを言ってないで、そろそろ無に帰せ」
霞む視界で、老師がパイプ棒を振り上げる。
僕は最後の力を振り絞って呼びかける。
「頼む……お願いだ、
もう一度、だ。
「法ノ月……!」
あらんかぎりの力で絶叫する。
「
目の前の
「な、なぜ、ワシの
もはや恐怖の対象じゃなかった。
この老婆こそ――作者自身、『法ノ月烈歌』なのである。
最初からおかしいとは思っていた。
クラス替えがある度にクラスメイトのデータを頭に叩き込む僕は、もちろん法ノ月のフルネームを知っている。烈歌なんて、特に変わった名前だし。
こんな老婆に自分の名前を付けるなんて、何か思い入れがあるのかな、くらいには疑っていたのだが。
決定的なヒントは二つ。
作品冒頭の【登場人物紹介】。この世界の登場人物らはやけに凝ったフルネームを持っている。
メアリジェーン山内、郷田ファムファタール、水田ジェントルマン、コスモックル多羅、ミセスローズ北川、槙村クレル、槙村ナナオ。
彼らに比べて、烈歌老師だけはやけにアッサリしているではないか。
ミセスローズによると、シスターにはミドルネームまで存在しているという。つまり、登場人物紹介にない名が存っても良いのだ。たとえば、それが苗字でも――。
極めつけは『エラリー・クイーン』。
推理小説によくあることなのか、ナナオによると、作家と探偵を同名にする趣向は珍しくないという。法ノ月もそれをなぞったのではないか、と考えた。
以上から推察できる――作者が探偵に据えようとしていたのは、この老婆である、と。
「謎を解いて、物語を終わらせてくれないか……?」
こんなクレイジーな老婆が探偵役とは、法ノ月はやはり頭がおかしい。
でも、もう、僕は彼女にすがるしかないのだ。
「なぜワシがそんなことをしなければならん? ワシに何の利益がある」
烈歌老師は驚きながらも不服を言った。
さすが不老不死だ。肝っ玉がすわっている。
どうすればいい。不老不死で千里眼を
待て、不老不死? 槙村クレルには自殺願望があったが、この老婆はどうだろう……?
すると老師は僕の思考を読んだかのように、
「言っておくがの。ワシは死にたいなどと思っていないぞ。まだまだ、まだまだまだまだ生き永らえて、愚かな人間どもの有り様を観察したいのからのぅ!」
最悪だ。やっぱり架空世界でも法ノ月は最悪だった。
「そろそろ楽になれ。おぬしな、不気味なんじゃ。
おぬしが現れてから千里眼が使えなくなった。おぬしは……この世界の和を乱す存在じゃ」
「……っ」
老師は、法ノ月烈歌は、圧倒的優位な立場にあるにも限らず、その窪んだ瞳は恐怖の色を帯びていた。
彼女は言った。僕が不気味だと。僕が、怖いのか?
そうか。そういうことなのか……?
僕は――
「烈歌老師。提案があります」
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