07 最初に殺されるのは誰か

 多羅氏に礼を言って別れ、休憩スペースに向かった。

 この要塞で唯一の僕のパーソナルスペースに。別れ際、「話し合いに出るかい?」と誘われたが断った。今後の方針を定めるという会議。

 本音をいえば、ぜひ参加したいところが、あいにく僕は主催者のジェントルマン男爵に招かれていない。ここは引いておくのが賢い立ち回りだろう。

 それに、ひどく疲れていた。


「ふぅ」


 ひとりになると、急に疲労感がこみ上げてくる。

 バーチャル世界の冒険で、僕は知らず知らずのうちに気張っていたらしい。

 大窓の向こうに暗闇が広がっている。街灯ひとつない漆黒の闇。


 夜が、来た。

 現実ではどれほどの時間が経過しているのだろう。帰宅しない僕を家族はさぞ心配してるに……いや、その辺りも抜かりなくアリバイ工作がされているのかもしれない。

 午後七時。

 時間の概念があるのか怪しんでいたが、真っ白い壁のアナログ式時計はきっちりと時を刻んでいる。


 脱力して長机に伏すと、何か匂った。

 おにぎりの海苔の匂い……?

 強烈な臭覚の既視感デジャヴ。 弁当、昼休憩、クラスメイトの笑い声。


 僕はこの場所でおにぎりを食べたことがある――そう確信できた。

 唐突に、僕はここが、、、どこで、、、あるか、、、に気づいた。


 市立青少年科学館。

 街の学生であれば、社会見学などで一度は訪れたことがある施設だ。

 おそらく法ノ月も。

 トイレがない等細かい違いはあるものの、大小天文台とプラネタリウムの並びといい、舞台のモデルに設定したのは疑いようがない。


 現実離れした世界で、あえて現実リアルの施設を舞台にしたのには理由があるのか?


 『ワールドエンド要塞の殺戮』――殺戮。科学館ここで殺人事件が起こる。

 今まで僕が出会った誰かが、誰かを殺す。

 誰が? 誰を?


 ふと嫌な考えが頭をよぎった。

 まさか、殺されるのは僕じゃあるまいな……?

 

 いや、物語の展開として、『主人公』が最初に殺されるってことはいくらなんでも……否、僕を嫌っている法ノ月なら、むしろありそうな展開だ。

 バーチャル世界で死んでしまったらどうなる? 『はいゲームオーバー!』で、現実に還してもらえるのか。それとも――


「……っ!」


 控えめなノックの音が響き、喉の奥から悲鳴が漏れた。

 休憩スペースに扉はない。訪問者は壁を叩いているのだ。


 犯人が、僕を、殺しにきた……?


 全身の肌が粟立つ。

 はい、と小声で返事をしつつも、武器になるものを必死に捜した。

 ダメだ。パイプ椅子くらいしかねえよ。

 木工作業室や理科実験室なら、ノコギリとか硫酸とか、いくらでも武器になるものがありそうなのに。

 つうか扉ない部屋って不利すぎじゃね……!?

 クリスティの『そして誰もいなくなった』でも、それぞれに個室が与えられていたぞ。この部屋の割り当ても、法ノ月の罠なのか。クソッ!


「――入っても?」


 少女の声だった。

 この要塞に少女はひとりしか存在しない。槙村クレルだ。


「こんにちは」

「……こんばんは」


 闇のような漆黒の髪、飾り気のない袖なしの白ワンピース。

 整った造作の顔で、極端に手足が細い。人形めいた容姿である。綺麗といっても良いが、どうにも無機質な感じがして、僕の感覚では不気味に近い。


「あなたの、ケガの手当をするようにって。コスモックルさんが」


 ニコリともせず言う。

 足音もなく近寄ってきたクレルは、木製の救急箱を机におき、僕に向かい合うよう腰掛けた。


「みせて」


 救急箱から取り出したのは、消毒液とカット綿。

 僕はひそかに胸を撫でおろす。

 バタフライナイフとか拳銃が出てきたらどうしようか、とひそかに怯えていたのだ。


「だいじょうぶ。痛くしないから」


 そう促され、僕はシャツの袖をまくっておずおずと腕を差し出す。

 痛みはとっくに消えていたが、傷口に滲んだ血が固まっていた。架空世界でも、僕の血小板は正常に働いているようだ。

 クレルは、ゆっくりと手慣れた所作で処置をすすめる。

 両腕、両足のすね。患部に絆創膏を貼り終えると、上目づかいに僕を眺めた。


「ねえ、ちょっとだけお話しない?」

「……いいですよ」


 敬語を使ったのは、とっさの判断だった。

 見た目は同い年くらいだけど、肉体の老化が遅い彼女は、僕よりずっと年上のはず。実際にはいくつなのか。百歳とか超えてたりして。

 クレルは顔を傾ける。絹糸のような髪が揺れる。


「コスモックルさんに聞いたの。あなた、異次元の世界からやって来たって」

「はあ」


 何を言ってくれるんだ、アイツは。


「記憶がまだ戻らなくて」


 僕はわざと弱った表情を見せる。


「この世界のこと、色々教えてくれると助かるんですが」

「それよりあなたのことを教えてよ」


 一変して興味津々といった顔で迫ってくる。ぬ……こちらのペースが乱されている?


「教えてもいいけど、ツマラナイですよ」

「いいからいいから」 

「んっと……」


 しかたがなく、僕は語った。クレルに求められるまま。

 朝起きて、ご飯を食べて、学校に行って、家に帰って寝て……という何でもない僕の日常を。


「眠る、ってなあに?」


 意外にも、クレルが一番興味を示したのは睡眠についてだった。

 この世界には「眠る」という概念が無いらしい。聞くと、ミセスローズの昼寝も、身体を横たえて休ませる程度の意味合いだという。

 この世界の人類は、食事も睡眠も必要としない進化を遂げているのか。もう何も驚くまい。法ノ川のヤツ、拒食症の他に不眠症でも悩んでいるのかな。

 

「眠ると意識が無くなるんでしょ? それって、死と、どう違うの?」

「死んでませんよ。僕の世界では、一日に数時間眠らないと衰弱してしまうんです」

「ふうん……。じゃあ、あなたの世界で人間は、半分生きて半分死んでいるってことね」


 クレルはそう理解した。

 不穏な表現だった。否定するのも面倒くさくて、僕は、「そんな感じ」と適当な返事をする。


 あどけない印象の彼女だが、たらすにはどうだろう。

 ナナオとのキスシーンを思い出し、狼狽をおぼえると同時にその考えを打ち消す。

 恋人同士はたらしにくい。

 基本二人の世界だし、介入し過ぎるとあらぬ疑いをかけられるから、せいぜい良い印象を与えておく程度にかぎる。だがしかし、彼らは普通のカップルでない、近親相姦の関係だ。マイノリティゆえに理解を示せば、あるいは……


「私のパパとママは死んじゃった」


 はかりごとを練る僕の前で、クレルがぽつりと語り出す。


「五歳のとき……十歳のときにはお兄ちゃんも。でも、お兄ちゃんは私のために、何度も『生まれ変わって』くれた。お兄ちゃんはね」


 秘密よ、と鼻の下に人差し指をやる。

 互いの吐息がかかるほど顔が近い。


「本当は『能力者』なんかじゃないの。呪いをかけられたのよ――『魔女』に」

「魔女に……?」

「そう」


 間近で見ると、クレルの黒い瞳には少し茶が混じっていた。

 金縛りにあったかのように僕は身動き一つできない。


「あなたの顔、かわいい」


 ちゅ、と。

 あたたかく湿った感触が頬をかすめた。


「おサルさんみたいよ」


 クレルはニコリと微笑むと、重さを全く感じさせない仕草で椅子から立ち上がった。


「ありがとう。良い暇つぶしになったわ。また、お話しましょ。じゃあね」


 長い髪を揺らし、踵を返す。華奢な背中が遠ざかっていく。

 暇つぶしは、英語で【kill time】だっけか。時間を殺す――。

 勉強中でもないのに何故そんなことを思ったかというと、彼女が発した台詞にそれを切実に感じたからだ。

 常人よりも時の流れが遅い彼女にとって、人生の大半は暇つぶしに費やされているのではないか。


 クレルの唇がかすめた箇所に触れる。

 頬にキスされた……。え? 初めてじゃないよ?

 そのくらい振り返ればいくらでも――――ねえっ! 皆無だった。

 幼稚園のとき仲が良い女の子だっていたはずなのに。どんなにモテない男子でも一度や二度は体験しているであろうイベントが、僕には無かった……

 ということは、今のが初チュウかぁ。でも架空バーチャルだからノーカンだな。

 政治家にスキャンダルは命取り。国会議員になって、美人で知的かつ実は淫乱な奥さんをもらうのが僕の理想だから。


「こんばんは」

「ご機嫌よう」


 廊下から挨拶を交わす声が聞こえた。扉がないから直に聞こえる。

 ミセスローズとクレルだ。

 僕は休憩スペースを出て、そろりと廊下の様子を伺う。ミセスローズが〈木工作業室〉に入っていく。

 忍び足で廊下を渡り、角から覗くと、白いワンピースの後ろ姿が見えた。


 え?


 クレルが消えたのは、兄が待つ部屋ではなく、〈パソコン実習室〉――コスモックル多羅の部屋だった。

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