01 ファーストインパクト

何処どこかで、オオオオンといななきが聞こえた。地平が揺れている。』



+ + +



 いたい……痛い。痛い!

 頭が痛い。身体中に鮮烈な痛みが走り、僕は悲鳴を上げた。

 頬を拭うと手の甲に生暖かい液体がまとわりつく。血だ。そこだけでなく、うつ伏せで地面に接している箇所から出血があった。

 ゆっくりと、おそるおそる、全身を見下ろす。ひくっと喉の奥で声にならない悲鳴がもれる。先の尖った細かい石が皮膚に刺さっていた。痛いはずだ。


 どうして。なぜ、こんなことに……?


 痛みと疑問符がとめどなく溢れてくる。怒りに似た感情も。ふらふらと、僕は立ち上がる。

 石……岩……。見渡す限りの岩肌。

 砂とちりが混じった冷風が吹きすさぶ。

 大気も空もどこまでも灰色で境界が曖昧で。世界の終わりワールドエンド――を連想させる光景。


 どこだここは……?


 耳鳴りだろうか。

 さっきからずっと、獣の遠吠えのような低い唸りがこだましている。

 ふいに膝が笑い出した。恐怖からそうなってもおかしくない状況だったが、違う。足元が、地表が揺れているのだ。


 恐ろしい何かがくる――!

 動物としての本能で、僕はそれを悟った。逃げなければ。――逃げなければ? コロサレル。殺される? でも、逃げるってどこに……?



「こちらへ!」



 雲間から光の筋が射した。眩しさに目を細めながら僕は振り返った。

 岩肌はところどころが隆起して小高い丘になっている。そのてっぺんに、人が、いた。


「何をやっているのですか、早く!」

 

 身にまとう紺色のドレスは、修道女のように見える。距離があるから表情までは伺えないが、なにやら緊迫した様子。


「早くこちらへ……!」


 怒っているより、焦っている、と表した方が正しいか。

 まるで、火事現場でぼおっと突っ立っているアホに早く逃げろ、といわんばかりの……


「どぅわあっ!?」


 そのとき、急に地表の揺れが激しくなった。

「走って!」と割れんばかりの叫びを修道女が発し、ようやく僕は走り出した。とたん、ずどどおっという轟音ごうおんとともに地が割れた。割れたのだ。

 地割れ。初めて見た。

 亀裂は百メートル以上に及ぶんじゃなかろうか。神の怒りのような、自然の傍若無人っぷり。それを前にした人間はただおののき、ひれ伏すしかない。

 あそこにいたら、間違いなく死んでいた――死んでいた!!


「なんだよ……もうっ」


 僕は半べそをかきながら疾走した。

 途中ごつごつした岩に足をとられながら、砂塵混じりの強風に目を細めながら――砂漠の騎馬民族は目が細いという説はマジだなと思った――、命からがら修道女シスターまで辿りついた。

 彼女が呼びかけてくれたから、地割れに巻き込まれずに済んだ。彼女のおかげで僕は助かった。

 命の恩人!

 しがみつくように縋ってきた僕に、彼女は碧眼へきがんをぱちくりさせている。


「あなた――『人間』ですか?」


 ベールからのぞく前髪も金色で、どう見ても外国の人だが流暢りゅうちょうな日本語である。

 シスターの背後から、今度は男が現れた。長身で胸板が厚く、たくましい体型。童話『赤ずきんちゃん』に登場する狩人を連想させる。


「人間の少年ですか、本当に……? 『能力者』?」


 狩人が茫然とした様子で、僕を眺めている。シスターは手首に巻いた腕時計のような装置を僕に近づけ、瞑目してから頭を振った。


「老師の予言どおり、普通、、の人間のようで」

「驚いたなこりゃあ。君、どこからやって来たの? どうやって危険区ここに入った?」


 どこから、って……? え、どこからだっけ。僕はどこからここに来た?

 僕は身なりを見下ろす。

 学ラン。学校の制服。いくつかワードが頭をよぎったが、明確なイメージは浮かんでこない。


「わからない……憶えていないんです」


 やっと絞り出した声は、自分のものかと疑うほど掠れていた。


「憶えていない?」


 狩人が凛々しい眉をひそめる。


「能力者の仕業しわざかもしれません、私たちが把握していない類の」

「〈世界国守クラブ〉が把握していない能力者が存在するのかい?」


 シスターに返した狩人の声音は、どこか皮肉を含んでいた。

 このときの僕は知らない。今の二人のやりとりが何を意味するかを。何ひとつ分かっていない。

 オオオン、と不気味な呻きが風にのって聞こえてきた。シスターと狩人の表情に緊張が走る。


「『トロル』の奴ら、殺気立っているな」

「先の討伐とうばつのせいでしょうね――早く〈要塞ようさい〉に戻りましょう」


 さあ、とシスターが僕の手をとり立ち上がらせた。白く滑らかな柔らかい手。

 その温もりに油断した僕は、直後、打ちのめされる。

 どこまでも灰色の世界に紛れるよう、シルバーの外壁に覆われた巨大な建築物があった。

 大中小のドームが並ぶ奇妙な館。

 自然を蹂躙じゅうりんするかのように突如現れたそれは、人工的過ぎて、グロテスクな印象すら放っている。あまりにも唐突で、あまりにも圧倒的な存在感――

 ひときわ巨大なドームから細長い通路が突出している。

 透明扉の前にシスターが立つと自動で開く。おそるおそる足を踏み入れると、気圧のせいだろうか、一瞬耳がつんとした。

 

「すごい……」


 荒れ果てた外界が嘘のように、白く清潔で、静謐せいひつな空間が広がっている。感嘆の呻きをもらした僕に、狩人が唇の片端を上げて言った。


「我らが人類の最後の砦、〈ワールドエンド要塞〉にようこそ」


【ワールドエンド要塞立面図URL:https://15196.mitemin.net/i248208/】

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