第3話 人たらし、はめられる〈後編〉

 さて――。

 この辺りで、法ノ月について若干の説明をしておかねばならないだろう。

 なぜなら彼女こそ、今後、僕の人生をおびやかす唯一無二の存在となるからだ。


 外見。良くいえばファニーファイス、意地悪く表現すれば、爬虫類系。

 僕の本音を晒すならば、後者のほうが圧倒的に似つかわしい。笑ったとき細められる目は、どことなく蛇に似ていおり、病弱のせいか顔色が悪く、身体の線は細い。だが、アンバランスに大きな胸のせいで、男子の注目を無駄に集めていた。男が巨乳に注目してしまうのは仕方のない現象だが、法ノ月のそれは何か違った。例えるならば、獰猛な女王バチのフェロモンに、働きバチが吸い寄せられているようなイメージだ。

 内面。物静かで大人しく、けっして目立つ存在ではない。むしろ本人も目立つのを避けている節がある。だが、そこには常に昆虫が敵を欺くために擬態しているような狡猾さが匂っていた。そして、後ろ髪をまとめている〈蜥蜴とかげ〉モチーフのバレッタ――日によってカエルだったりイモリだったりした――は、明らかにタダ者ではない感を漂わせていた。



 そろそろ、話を進めよう。僕は部活動に所属していない。

 何かに夢中になると、『偏り』が生じることになる。人たらしたるもの、あらゆる立場で物事を考えなければならない。中立ニュートラルであることが望ましいのだ。

 待ち合わせに指定された雑巾くさい空き教室で、僕は悩んでいた。つまり、

『法ノ月に告白されたらどう対処すべきか』という悩ましい問題である。


 僕はいつも皆の中心にいるが、女子からモテる人気者ではない。

 むしろ、そうならないよう避けている。理由は単純。男子からひがまれないようにするためだ。ゆえに女子をたらす場合は、友情以上の好意を抱かれないよう細心の注意をはらってきた。

 しかし、今回は偶然が重なり、短時間に二度も、法ノ川を救ってしまった。あの状況で僕を気しない方がおかしい。法ノ月って思い込みが激しそうだし。


 本当に告白されたら?

 もちろん断るつもり。人たらしは誰かのモノになってはいけない。偏りが生じるからな。でもさぁ、


『わかった。わかってたよ……設楽くんは皆の設楽くんだもんね。でも、ひとつだけ願いを叶えてもらっていい? 私の……わたしの胸を触ってくれないかな?』


 とか頼まれたらどうする? そんなこと言われたらさすがに……。

 断れるかどうか本気で心配になったところで、当人が息を弾ませて現れた。


「待たせて、ごめん」


 法ノ月は掃除当番だったらしく、制服のスカートに綿ぼこりを付けている。


「全然待ってないけど。何かあった?」


 気さくな感じで聞くと、法ノ月は、ごめん、ともう一度謝った。

 セーラー服の白いリボンが大きく湾曲わんきょくしている。なんだかいつもより、胸が大きく見える。錯覚か?

 いや――僕は目をしぱしぱする。

 両手を後ろにやっているから、突き出しているような姿勢になって普段より立体的に見えているのだ。後ろ手で何かを抱えているらしい。


「ホームルームでのこと、ありがとう……助かった。サルって、ごめん。皆がそう呼んでいるからつい私も」

「いいって。気にすんな」

「ええとね。じつは――」


 きた。

 ごめんなさい。違う、まずは「ありがとう」が先だろ。いかに傷つけないよう断るか、優しい言葉を探していた優しい僕に、A4サイズの茶封筒がずいっと出された。

 随分と変わったラブレターだな、と思いきや、


「私、アマチュアの小説家なの。ジャンルは、その、本格推理小説なんだけど」


 そこまで言って、法ノ月がはにかむ。爬虫類のような目がいっそう細められる。


「設楽くん、放課後よく図書室にいるよね?」


 まあ、と僕。一般教養を蓄えるための読書は欠かさないからな。


「これ。同人誌に投稿する予定の作品なの。よかったら、読んでみてくれないかな?」

「へえ……そうなんだ。ふうん」


 表面上は平常を保ちつつも、僕は呆れていた。呆れ果てていた。

 アマチュアの小説家ってなんだよ! 

 しかも、〈本格推理小説〉って……。そういうジャンルが存在することを、教養として僕は知っている。しかし、目の前の女子高生がそんな世界の果ての偏狭みたいなジャンルを好むだけでなく、あまつさえ創作しているなんて吃驚仰天ではないか。


「小説書いてること、学校の友達にはおしえてないの。設楽くんが、初めて。設楽くんだったら読んでくれるかも、って。だから……」


 消え入りそうな語尾。

 相当に恥ずかしいのか、青白い頬がほんのり朱に染まっている。つまり、この封筒の中身はラブレターでなく、本格推理小説とやらの原稿ってことね。

 めんどくせえ……!

 直観的にそう思ったが、反面、人たらしとしての計算が働いた。こいつは少数派マイノリティだ。

 少数派の人間は、「わかってくれる人だけでいいしぃ」などと消極的な態度をとるくせに、内心では同意と仲間を求めている。絶対数が少ないから。たらす、、、には絶好の獲物ともいえるのだ。

 僕は顔の筋肉をほぐして、満面の陽気な笑みを浮かべた。


「マジで? そんな大切なものを僕に読ませてくれるの? 正直、推理小説は得意じゃないけどさ。今夜中に読みきって、明日にでも感想を伝えるよ」

「明日って……!」


 法ノ月は慌てふためき手をパタパタと振る。


「ゆっくり読んでくれたらいいよ。半年くらいかかっても良いし。設楽くん、推理小説とか読むの?」

「コナン・ドイルとアガサ・クリスティーくらいだけど」


 あくまでも一般教養の範疇はんちゅうで。日本人作家のは読んだことがないぞ。


「じゃあ、明日の放課後、またここで」

「ありがとう。楽しみにしているね」


 小さな子供が喜ぶみたいに両肩を上げて、法ノ月は微笑んだ。どの世界でも通用する免罪符のような、邪気のない笑顔だった。

 まったく、面倒くさいことになったものだ。





 人たらしたるもの、努力は欠かせない。

 どんな話題にも応じられるよう、人気のドラマやバラエティ番組はひと通り観ているし、政治関連のニュースチェックも欠かさない。録画用ハードディスクは常に満タンだ。観ては消し観ては消しを繰り返す。毎日そんなことをやっているので、根負けした親が去年とうとう僕専用のテレビを買ってくれた。

 その最中、LEDライトのデスク照明の下、法ノ月の小説を読んだ。

 ワードで綴られた文書は軽く百枚を超えていたが、冒頭とラストの数枚のみ目を通す。全部読む気なんてさらさらない。だって僕は忙しいのだから。


『ワールドエンド要塞ようさいの殺戮』――タイトルはこうだ。

 現実ではない、異能者らが登場する特殊な世界が舞台で、ラストは全員死亡するという後味の悪いオチ。


『よく作られた世界観が巧妙で、物語に吸い込まれる。とくにラストの展開は圧巻。絶望ながらも、どこか後を引く』


 ポストイットのノートサイズの付箋に書きつけ、原稿用紙の表紙に貼り付けた。

 ちなみに、この文章は、某小説投稿サイトで適当な作品を選び、感想欄に寄せられたものを参考にアレンジした。所要時間十五分。これで良い。上出来じゃあないか。

 法ノ月は僕に感謝するだろう。

 つたない文章を読むだけでなく感想まで添えたのだから、感動もひとしおに違いない。僕にすっかり心酔して、交際をせがまれるかもしれない。その場合、あっさり断るのもつれないから、おっぱいだけ触らせてもらおう。うん。そうしよう。


 今日も良い働きをした。

 僕は、ニュース番組の続きを見終えてから、いつもよりも深い眠りについた。





「ありがとう。面白かったよ!」


 くだんの空き教室。

 法ノ月は、僕が返却した原稿を胸に抱えている。ちなみに今日のバレッタのモチーフは蛇だった。どこに売っているんだ、そんな気味悪いの。


「読んで、くれたんだ……」


 感想が書かれたポストイットに目を落としたまま、僕の予想どおり感激したように呟く法ノ月。


「当たり前だろ。約束したんだから。推理小説って苦手意識あったけど、面白いんだな。今度、続きを読ませてよ」


 よくもこんな嘘がつらつらと出てくるものだ。自分の弁舌に関心していると、にわかに、法ノ月がぷるぷると震え出した。あまりの感動で二の句が継げないのか。


「っ……っく、くく……」


 やがて聞こえたのは押し殺したような笑い声だった。

 その表情は、今まで僕が見たことがない種類のものだった。


「やっぱり設楽くんは、私が思っていた通りの――クソ野郎だったね。本当はちゃんと読んでないんでしょ?」

「法ノ月さん……?」


 ぞくっとした。

 侮蔑。軽蔑。あらゆる蔑みの色が混在している。

 混乱しつつも僕は考えをめぐらす。

 なぜ見抜かれた? 何か失敗をしたか……? 抜かりがないよう、冒頭だけでなくラストにも目を通したのはずなのに。

 法ノ月は鼻で笑い、


「最後まで読んだなら、当然気づいたハズだよ。途中から物語がすり替わって、、、、、、いたことに、、、、、

「……は?」

「この物語に結末なんてない。だって、まだ、、完結させて、、、、、いない、、、から。後半は違う物語の原稿を綴っておいたの」


 あははっ、と法ノ月は愉快そうに。

 青ざめた三日月の唇で。魔女みたいに嗤い続ける。


「どうしてこんなこと……?」


 つい口からこぼれた疑問。

 まさか、という思いが先に立つ。はめられた? 僕が? 法ノ月に……? 


「君が嫌いだから」


 しかしながら。はっきりと、くっきりと、法ノ月は答えた。


「もしかして、私を誑そうとしていたわけ? あんなのに誰が騙されるっていうの? 甘いよサル君。自分が世界を操っているとでも思ってる? 私は無自覚なバカが一番嫌い。ああ、もう嫌いで、嫌いで嫌いで嫌いでッ……君といるだけで、ほら蕁麻疹じんましん


 セーラー服の袖をまくって腕を見せつけてきた。

 白い肌にまばらに散った赤い発疹ほっしん。無言の僕をあざけるように嗤い続ける。


「そうかよ……ッ!」


 ここまできたら認めるしかないだろう。僕は彼女にしてやられたのだ。

 砂漠のように乾いた感情が沸き上がってきていた。

 もう、コイツは、駄目だ。

 駒にならない。今後は会話をすることも避けよう。視線を合わせることも。うん。かかわらない方が良い。彼女の言葉に耳を貸してはならない。

 一刻も早くここを離れたかった。

 今思えばそれは、本能的な危機感だったのかもしれない。きびすを返そうとした僕を、「待ってよ」と法ノ月が呼び止める。


「でも、ちょっとは読んでくれたんだよね。どうだった、私の小説?」

「どうだったって……」


 もう、ヤケクソだった。


「そもそも僕、推理小説に興味ないし。アマチュア小説家って意味わかんねえし――それ以前に何だよ、あの文章。何かのパクリ? お前みたいのがやる気出したって、しょせん、人気作品の劣化コピーだろ。ひとっかけらの可能性も感じねえ。数行で読む気なくしたよ」


 思うところをぶちまけた。飾らず偽らず、一切の本心を。


「そっか」


 あっけらかんと呟き、法ノ月が後ろで束ねた髪を解く。蛇モチーフのバレッタを手に握っている。真鍮しんちゅうの蛇。


「じゃあさ――設楽くんが面白くしてよ」


 氷のように冷たい目をしている。獰猛な、蛇の目だ。


「? なに言って」


 視界が、ゆがんだ。

 蛍光灯が抜かれた天井がぐるぐると回っている。耳鳴りがする。こみあげる吐き気に、僕は立っていられなくなり、跪いてえづいた。


「私ね、特殊能力があるんだ。自分が創った世界に、人間を『転送』できるの。設楽くんで三人目。ちなみに、還ってきたのは一人もいないけどね」


 法ノ月は愉快な調子だった。

 こいつは何を言っているのだろう。特殊能力? 転送? まったく理解が追い付かない。薄れゆく意識のなか、僕は法ノ月を見上げる。


「いってらっしゃい。物語を終わらせたら還してあげる」

「ま、待て……」


 片手をあげて制した僕の要求は、当然のように無視された。

 最後に目にした彼女の表情は邪悪そのものだった。

 断末魔の悲鳴、肉が引き裂かれる音、迸る血しぶきが大好物の拷問好きな女王、いや魔女。

 バレッタの蛇が黄金色に光り出す。まばゆいまでの広大な光に包まれ――

 僕の意識はさらに遠く、暗く、冷たくなった。

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