8日9日 ~ときには、癒しが必要です~

 健太の自宅から、もみじまでは徒歩十五分だ。

 距離の近さもあって健太は頼まれていない時も、もみじへはよく足を運んでいる。


「こんちはーっす」

「あらケンちゃん」

「おう……健太か」

「健太くん。久しぶりね」

「まぁ今日は朱里ちゃんも一緒なのね」

「あいかわらず仲が良いなぁ」


 健太がレクリエーションルームに入るや、利用者たちの歓迎に包まれた。

 デイケア施設の利用者と言っても、車椅子を使用している者や要介護者はおらず、杖は付きながらも全員が自分の足で立って歩いている。

 この健康年齢の高さこそ、辰原が長寿の町と呼ばれる所以ゆえんだ。

 中でも少々腰が曲がっているだけで足取りも軽い春さんは、齢百を過ぎていながら健太に匹敵するほどの生気を放っている。


「春さん。あれでもう百過ぎてるんだぜ」


 そう朱里の耳元で伝えると、心底驚いたらしく、目を丸くして健太と春さんを交互に見た。


「すごい。七十歳ぐらいの人と同じに見える」

「だろ?」


 春さんを知らない人に、彼女の年齢の話をして驚かせるのが健太は好きだった。

 小さい頃から実の孫のように接してくれた春さんは、両親ともに祖父母の居ない健太にとって、血は繋がらずとも家族である。


「ケンちゃん。ダン爺はどうしとる?」


 そう尋ねてきたのは、健太よりも一回りも背丈の大きい男で、名を倉島くらしま玄達げんたつという。

 百二歳の彼は少々耳が遠いながらも、利用者一の健脚を誇っており、未だに毎朝のジョギングをこなしている。


「倉島さん。ダンじいちゃんは」

「あ?」

「ダンじいちゃんは元気だよ!」

「そうか。元気か」

「ねぇ。ケンちゃん。おやつ食べる?」


 ぽってりとした酒饅頭を差し出してきたのは、加島かしまとめという小柄の老婆で、ころっとした印象はハムスターを髣髴ほうふつとさせる。

 健太がもみじに来ると、必ずおやつを与えて、可愛がってくれた。


「いいの? 食べる! 食べる!」


 健太がとめさんから饅頭を受け取ると、我も我もと利用者の老人たちがお菓子を片手に健太に群がり始めた。

 まるで、父親に遊ぼうとせがむ子供のようであった。

 そんな光景を少し離れた場所で見守りながら、


「人気者なんだね……」


 誰に告げるともなく朱里が呟くと、春さんは干し柿のような頬を持ち上げて自慢げに言った。


「ケンちゃんはねー。この町のご長寿のアイドルだからねー」

「俺は、アイドルってガラじゃないってば」


 だけど、そう言ってくれるのが、とても誇らしい。

 健太が居ることが彼等の幸せなら、健太は彼等のために生き延びねばならない。

 辰原町のご長寿たちの生き甲斐を奪わないためにも。

 この人たちに一日でも長く楽しい時間を過ごしてほしい。

 そのためなら、なんだって出来る自信がある。

 どんな辛いことにも耐えられる。

 大切な人たちのために、この命を守るのが何よりも優先される使命なのだ。







 もみじからの帰り道、朱里の足並みは、嬉々としていた。


「意外だよ。健太くんがあんな顔するの」

「あんな顔?」

「なんか……お父さんって感じかな?」

「え!? あんな馬鹿親父に似てるとかやめてくれ!」

「そういう意味じゃないよ」

「じゃあ、どういう意味だ?」

「子供と遊んでるみたいに楽しそうだったんだよ」

「そうか?」

「うん。楽しそうだった」

「なんか……昔から好きなんだ。お年寄りと過ごすの」


 母親が福祉の道に携わっている影響もあるのだろうが、それを加味しても健太は、辰原の老人たちと過ごす時間が好きだった。

 同世代の友人たちと居るよりも、気安く過ごせるし、会話も弾む。

 今まで意識しなかったが、朱里に指摘されると自身の気性が不思議に思えてくる。


「なんでだろうな。前世と関係してんのかな」

「かもしれない。でも私も楽しかったよ」


 世辞の類ではないことは、付き合いが短いながら健太にも分かった。

 最初は、彼女の言葉を信じられなかったが、今では彼女の話していることが真実なのだと分かる。

 だからこそ気掛かりは、辰原の歴史だ。


「あれからずっと考えてたんだけどさ、朝倉さんの言う生贄が事実だとして……俺の因果と関係があるなら、俺の前世は生贄を捧げることを決めたやつなのかな? 例えば村長とか」

「どうしてそう思うの?」

「なんていうか……罪って気がするから」


 人は、時として狂気を受け入れる。

 龍神の怒りを鎮めるためなら、人の命すら――。


「生贄を捧げる決断をしたやつが、生贄に捧げられた人の怨念を受けている。そう思わないか?」

「分からない……でも、健太くんの前世が被害者って言うこともあるんじゃないかな」

「俺の前世は、生贄の方か?」

「生贄にされた無念に囚われているのだとしたら? 私にはそう思えるんだよ」

「……なんか、話がオカルト染みてきたな」

「最初からそうだよ。未来から来た女の子と、自分の魂を殺し続ける因果を解こうって話なんだよ?」

「……そうだな。確かに映画みたいな突拍子もない話かもな」

「オカルト染みた夢物語。例えそうだとしても構わないんだよ。健太くんが十年後、あの変な女はなんだったんだ? 何も起こらなかったじゃないか、って言ってくれたらいい。どう馬鹿にされてもいい。それでも私はあなたを助けたいんだよ」

「朱里っていいやつだよな」

「そうかな?」

「うん。スゲーいいやつだ。ありがと」


 死の因果という運命に、唯一感謝するのは、彼女と出会えたこと。

 命を天秤に掛けた出会いは、得難い幸福を運んできてくれた。


「俺、多分どんな結果になっても後悔だけはしないと思う」

「わたしは、健太くんを後悔させない。絶対に、だよ」


 例え死を逃れられなかったとしても、きっとこの時間は宝物になる。

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