3-10 童話に幸せはない

 じゃあ、約束通り、とシェスティンは床に置いていたバスケットを抱え上げた。モーネの隣に戻り、期待して覗き込む少女の目の前でその蓋を開ける。スヴァットは寝ていたのか、緩慢な動きでバスケットから顔を出すと大きな欠伸をひとつした。

 モーネの反応が薄いので、どうしたのかと様子を伺っていると、ひょいとスヴァットがバスケットから飛び出して彼女の膝に乗る。


 ひゃあ、とも、きゃあ、ともつかない悲鳴と共に、スヴァットは膝から振り払われた。

 それはここにきて、彼女のたてた音の中で一番大きなものだった。

 モーネがベッドの隅まで転げるように身を寄せ、殺気立ったような見張りの男が凄い勢いで鍵を開けて中に踏み込んで来るのを、シェスティンはただぽかんとして眺めていた。

 膝の上から叩き落されたスヴァットは平気な顔で床の上に着地して、モーネに向かってにゃあ、と鳴く。


「大……丈夫、か?」


 屈強な見張りの男の頭が困惑で傾げられる。彼の中では悲鳴を上げるのはシェスティンで、それ以外は考えられないらしい。


「問題ありませんわ。ちょっと、驚かせすぎてしまったみたい」


 苦笑するシェスティンから黒猫を見つめて怯えているモーネへと視線を移して、珍しいものを見たような顔をしてから男は部屋を出て行った。鍵をかけ直す音がしなかったのは、彼女の様子からなのか、またすぐに踏み込めるようになのか。どちらにしても良い傾向だなと、シェスティンは小さく息を吐いてモーネに向き直った。


「……


 シェスティンが何か言う前に、モーネの口からなめらかに言葉が滑り出す。


「猫。知らない?」


 彼女は大きく横に首を振った。


「見たことは無かったけど、それは


 外の男に気を使ってるのか、スヴァットに聞かれたくないのか、彼女の声は囁くようになっていく。

 バスケットを脇によけ、膝の上に黒猫を呼んでシェスティンはしばし考え込む。


「スヴァット、彼女は」


 にゃう、と黒猫はわからないというように小さく首を振った。

 モーネはそれを見てまん丸に目を見開き、シェスティンと黒猫を見比べる。

 シェスティンはドアの方を見つめながら、言葉を選んでモーネに語りかけた。


「大丈夫よ。ちょっとけど、病気とかは持ってないから。噛みついたりしないから、仲良くしてほしいわ」

「本当に? そんなに絡み合った……」


 ぐっと言葉を飲み込んで、モーネはまた黙り込んでしまった。


「困ったわ。大丈夫としか、言いようが無いもの。その絡んだのをほぐしてあげたいの。その為にここに来たのよ。モーネ、文字を覚えましょう? きっと、その方がいいわ」


 口では言えないことがある。それはお互い伝わった。


 次の日からさっそく、と言いたかったが、クリスマス休暇に加え年末に入るということもあって、次にシェスティンがモーネに会えるのは年が明けてからだった。

 せっかくいい具合に打ち解けてきたのに、今離れるのは忍びないと、その日シェスティンは時間が過ぎてもまだ彼女の部屋に残って一文字でもと字を教えていた。


「エナンデルさん」


 ノックの音に、急かされてるのだと思って慌てて振り返ったシェスティンは、そこにパートの姿を見つけて一瞬動きを止める。

 彼はアルファベット表に向かい黒板を膝に抱えるモーネをじっとりと眺めると、短く口笛を吹いた。

 多少時間が押したとはいえ、いつもならパートの戻ってくる時間ではないはずだった。仕事なのか、遊びなのか、彼が戻るのは大抵日付も変わる頃だと聞いていたのに。


「すばらしい。貴女の魔法なのか、その猫の手柄なのか。よろしければクリスマスの夜も一緒に過ごさないか? 彼女も喜ぶ。ね? パーレ」


 ベッドに並んで座っていたシェスティンの手を取り、立ち上がらせようと伸ばしたパートの手に、モーネは持っていたチョークを投げつけた。琥珀色の瞳がキッと彼を睨みつける。

 先んじて自ら立ち上がると、シェスティンはそっとモーネの肩に手を置いた。


「また、来年。ね」


 少女はパートを睨みつけた表情のままシェスティンに顔を向ける。表情は変わらなかったが、その瞳の奥には今までよりも堅い決心が見えるようだった。


「パートさん、お誘いありがたく存じます。けれど、私、トーレさんと約束がありますし……モーネと会えないのは寂しいですけど、仕方ありませんわ」

「……モーネ?」


 片眉を上げて、パートは意外そうな顔をした。


「ええ。彼女、モーネと呼んでほしいのですって」


 シェスティンが微笑むと、パートは一度モーネを見やってから破顔して、大きく両手を広げたかと思うとシェスティンを抱きしめようとした。シェスティンは斜めに下がってそれを躱す。

 躱されたことを恥じる訳でもなく、彼は獲物を見つけたようにその目を光らせた。


「エナンデルさん。いや。シェスティン。思った以上だ。年が明けても続けてくれるのだろう? クリスマスは仕方がないが、是非そのうち礼をさせてくれ」

「……お礼なんて……私は仕事さえ続けさせてくれれば」

「ああ、もちろんだ。その黒猫も一緒にね」


 パートは慣れた調子でウィンクすると、シェスティンの背中に手を当てて退出を促す。彼女はもう一度モーネを振り返って小さく手を振った。


「連絡感謝する」


 パートは見張りの男に短く礼を言うと、火の入っている応接室までシェスティンを誘導し、送っていくからちょっと待っててと姿を消した。

 戻ってきた男の手には革袋がひとつ。シェスティンの前に置かれたそれはじゃらりと音を立てた。


「今月分。名前を聞き出せただけじゃなく、やる気も出たみたいだ。少し色をつけておいたから年越しの足しにしてくれ」


 そのまま促されたのでシェスティンは袋を手に立ち上がる。思ったよりもずしりと重かった。


「……ちょっと、多くはありませんか?」


 いくら何でも、まだ十日ばかりだ。月の給金にしたって多い。そう、思える重さだった。


「はずむ、と最初に言っただろう? 特殊な環境でお願いしているんだ。このくらいは」


 にこにこと上機嫌なパートにシェスティンはそれ以上何も言わず、おとなしく玄関前で待っている馬車に乗り込むのだった。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 クリスマスイヴから三日間は街のほとんどの店が閉まっている。家族や親しい友人と、ゆったり過ごすのが習わしなのだ。

 だが、ここは観光の街。大きいホテルやレストラン、目玉の宝石店等は日が重ならないように申し合わせて、どこかが開いているようになっている。

 以前に利用した高級ホテルのラウンジで、シェスティンはトーレと向かい合っていた。本当は夕餐ゆうさんに誘われていたのだが、家族になるつもりが無い者が行くべきではないとお断りして、代わりに明るいうちに外で会おうと提案したのだ。


 こういう街でなければ断りきれなかったかもしれない。あの兄の計算高さは侮れないものがある。多分、後ろ暗いことにも手を染めているのだろう。

 家を存続させるためならば何でもやりそうだ。

 別に、それが嫌いという訳ではない。シェスティンだって涼しい顔をして何人も手に掛けてきたし、平気で嘘もつく。でも、だからこそあの家に取り込まれるのは嫌なのだ。


 この呪いを突きつけてもあっさり受け入れられ、あまつさえ利用しようとする。それも、トーレの知らぬところで。あれはそういう人間だ。近付かないにこしたことはない。

 ジンジャークッキーをつまみながら、スパイスを加え温めた赤ワインを口にする。どちらもこの時期には当たり前の顔をして出てくる物だった。


「お兄さんには失礼をよく謝っておいてくれ」

「あぁ、いいんだ。気にするな。俺も外の方が気が楽だ」


 自由を知ってしまった男は心の底からそう言って笑った。

 それからそわそわと自信なさげにポケットから手のひらサイズの箱を取り出し、シェスティンの前に差し出す。


「指輪とか、そんなんじゃないから受け取ってくれないか。兄の前で出したらまた呆れられそうだったんだ」


 シェスティンは金のリボンのかかったその箱に手を出す前に、自らも小さな箱を取り出して彼の前に押しやった。


クリスマスユールにはプレゼント交換が付き物だからな。ふふ。こういうのは久しぶりだ」


 足元にいるスヴァットが小さく抗議の声を上げた。


「スヴァットには後で魚でも焼いてやるよ。て、いうか交換だぞ? 何をくれるんだ? 鼠なんていらないからな」


 にゃーん、と可愛らしく鳴いて誤魔化そうとする黒猫にシェスティンは呆れた視線を向けた。


「久しぶり? 本当に?」


 トーレは両手でそっと大事そうに小さな箱を包み込むと、信じられないと言いたげな顔をした。プレゼントを貰えたことも、それが久しぶりだということも。


「ここ数年はずっとひとりだったからな。今年は賑やかで楽しい」


 シェスティンはスヴァットを膝に手招いて、その頭をやや乱暴に撫でた。


「……猫君とも長いんじゃないのか?」

「この秋からだな」

「え? まだそんな? もうずっと飼っているのかと……」

「そう見えるのなら、上手くやれてるんだろうな。ペットなんて飼ったことがなかったから心配だったんだが。……開けても?」


 リボンに手をかけて、シェスティンは微笑んだ。トーレは慌てたように何度も頷いて、俺も、と箱を引き寄せた。

 シェスティンの手の中の箱からは真鍮製のシンプルな懐中時計が出てきた。金や銀のいかにも高級そうなものではないところが彼女のことをよく分かっているとも言える。


「また、旅に出るなら実用的な物の方が断られないかと思って」

「ありがとう。大事に使わせてもらう。失くさないようにいつも身につけてないとな」


 一先ず箱に戻し入れ、シェスティンはトーレを促した。彼には四角い銀のカフスを用意していた。片隅にアメジストが埋め込まれているシンプルなデザインだ。

 しばらくじっと箱の中身を眺めてから、彼はシェスティンを盗み見るように視線を上げた。にやにやと男の反応を楽しむかのような彼女の顔に安直に嬉しがることも、クールに流すことも出来ず、ほんのり耳の先を染めながら降参だと両手を上げる。さっそくその袖口から今付いているカフスを外し、もらった物に付け替えた。


「職場にはしていくなよ。銀だからな。アメジストは『酔わない』護りらしいから、酒の席では少し心強いんじゃないか? あなた、あまり酒に強くないだろう? 毒を盛られたかどうかも確かめられるだろうし」

「毒を盛られるようなことは無いと思うが……でも、ありがとう。俺を心配してくれてる言葉だと思っておくよ。……何かもらえるなんて思ってなかったんだ。嬉しい」


 相変わらず喜ばせたままではいさせてくれないシェスティンにトーレは苦笑しつつ、礼を口にする。


「貰いっぱなしじゃなんだか落ち着かなくて」


 そっと手を寄せる編んで纏めてある髪にパールの髪飾りが揺れる。


「つけてくれてるんだ」

「せっかくだからな。あるものは使わないと。最近は仕事にもして……あ、そうだ」


 普段でも使っていることを匂わせて、ふいにシェスティンは話題を変えた。


「あなたは、この街で生まれ育ったんだよな?」


 トーレはああ、と頷いた。


「今更感はあるんだが、人魚伝説の話を聞かせてくれないか? 地元なら少し詳しい話とか、変わった話を知ってたりするかと思って」

「どうかな。子供の頃よく聞いたのは人魚が助けた領主の息子に恋をして、声と引き換えに足をもらい、結局成就できず海の泡になって消える、というものだが」


 シェスティンは黙って相槌を打ちながら、視線で先を促す。


「泡になる前に悲しみにくれた人魚が流した涙が宝石となり、それを巡って周囲の人間が彼女を利用しようとして追い打ちをかけ、海に身を投げる結果になったのだという話は……誰から聞いたんだったかな。その時の宝石というのがパールとアクアマリンの二種類だった、ような」

「アクアマリンも?」

「後付けかもしれないけどね。二種類だけじゃなくて、その時の感情によって宝石の種類が変わる、とも聞いた気がする。宝石商の子供たちかもしれないな」


 肩を竦めて、トーレはちょっと笑った。


「沖の小島辺りに人魚の棲家があると言われてるけど、領主の息子を助けた時に上がった浜は特定されてないんだよな。君の家の辺りも候補のひとつだったよ。まぁ、ああいう浜は海岸沿いに沢山あるから……」

「その宝石が、人魚の涙が変わったものだと鑑定できたりするものなのか?」

「パールならほぼ真円で巻きが厚く、虹色の輝きがある、と。それだけでも価値はあるからな。でも本物かどうかはその場にでも居合わせなきゃ判らないんじゃないかな」

「……そうだよな」


 スヴァットは見分けられると言った。やはり、最後はそこに頼るしかないのか。

 シェスティンは膝の上の黒猫に視線を落とす。スヴァットは興味なさげにジンジャークッキーを物欲しげに眺めていた。ひとつとってやって、ついでのように聞いてみる。


「この辺でも時紡ぎのお話は有名?」

「ああ。もちろん。作者の数だけオチが違うって、集めてる奴いたよ」

「今、教えてる子の所にも一冊あるんだが、あなたが知ってるのはどのラストだ?」


 スヴァットが、一瞬食べるのをやめてシェスティンを見上げた。


「よく見たのは、騎士が姫を庇って相打ちになるやつかな」

「ああ。同じやつだ。そうか、この辺は相打ちが主流なんだな」

「東の方ではあまり見なかったが、姫も騎士も死んじまうやつもあったな。『時紡ぎは哀しみながら今も誰も居ない国で時を紡いでいます』って。あの話、めでたしで終わる話が少ないよな?」

「そうだな。『騎士が姫を助け、時紡ぎは国を去りました』と『姫が国を思って時紡ぎに嫁いで時は戻りました』が、一応めでたしかな」

「そんなのもあるのか。結局、姫はあまり幸せそうじゃないな」

「どうかな。もしかしたらひたすら愛されて幸せなのかも。ひとり泡となってしまう人魚よりは」


 トーレもスヴァットも数秒じっとシェスティンを見つめた。


「なんだ?」

「君なら?」


 同意するようにスヴァットも瞬く。シェスティンは二人を交互に見ると、ふっと息を吐き出した。


「どちらも御免だね。たとえ、その結果がどうなろうとも。……そう、言えば満足か?」


 にゃ、と鳴くスヴァットを小突くシェスティンを、男は小さく笑った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る