3-5 言葉に偽りはない

 何店か宝石店を巡った後、男は個室のあるレストランにシェスティンを案内した。地元で獲れるシーフードをふんだんに使ったコース料理に、彼女はやや気後れする。


「気にしなくていいから。ここは兄が勝手に予約した所だし、払いも終わってる。使わなきゃ使わないでうるさいんだ」


 鯛に海老と帆立のムースを詰めて蒸し上げ、クリームのソースがかかった一品にナイフを入れながら、シェスティンは上目遣いに男を見る。目が合って慌てて逸らすと小さく笑われた。


「個室だし、何か話すのも周りを気にしなくていいだろう? 作法だって……もっと崩してもいいぞ。何でも出来て、どれが本当の姿だか分からないな」


 自分がそうしたいのか、シェスティンに気を使ったのか、男は行儀悪く手にしたフォークでシェスティンを指して揺らした。


「……あなたはもう少しそれらしく振舞った方がいいのでは? お兄さんが心配するのも頷ける」

「家は兄が継いでる。俺が自由にやることに、もう文句は言われたくない」

「そうもいかないだろう。しがらみってもんは何処までもついて回る」

「だから、あんまり帰ってきたくないんだ。うちのことを知らない東の方はなかなか面白かった」


 目を眇めて、シェスティンはわざとらしい溜息を吐いてみせる。


「あっちに行ってて、よく無事だったな。治安はこっちより大分悪いだろう?」

「俺だって向こうではそれなりに注意してたさ。まぁ、何度か荷物は盗まれたりしたが……危なっかしく見えるんだとしたら、こっちに帰ってきたからどうにかなるって甘えが出てるんだろう。そこは反省するよ」


 男は肩を竦めて、パンで皿のソースを拭った。


「で? 兄に何を話したいって? この様子を見たら、田舎貴族の娘ってのがあながち嘘でも無いような気がするんだが」

「貴族の娘ではないさ。生きていくのに色々知ってるってだけだ」


 ノックがして、次の料理が運ばれてくる間、ふたりは少し黙っていた。テーブルの下でシェスティンから料理を分けてもらっているスヴァットが、次の料理は何かと首を伸ばしている。


「メシュヴィッツでクリスマスパーティがあると聞いた」


 男の目は誰に、と問うていたがシェスティンは気付かぬふりをする。


「それに出たい。お兄さんになら、招待状も来てるのではないかと」

「兄と行きたいと言うのであれば、それなりの理由がいるぞ?」


 シェスティンは頷く。


「それが難しいというのはわかる。だから、あなたを使う」


 『使う』と言われて男はさすがに渋い顔をした。


「あなたに渡した割れた竜の鱗、もう誰かに売り渡したりしてしまったか?」

「いや、兄にも話していない」

「助かる。一枚分割れていないものと取り換えてくれ」

「……あれは元々君のものだ。取り換えなくとも、返すのはやぶさかでない」

「慰謝料だと言っただろう? あの街の医者がひとりいなくなって大変だったんじゃないのか?」

「た、確かに次の医者が決まるまで手伝いはさせられたが……」


 彼の兄自身が有力者だったのだから、確かにあの医者を失っても彼はそれほどダメージを受けないのかもしれないが、一度手放したものを返せと言う気はシェスティンには無かった。


「ともかく、割れたものが欲しいんだ。をね」


 シェスティンの話はおおよそこうだった。

 父母の急死の後、彼女に残された遺産の整理をしていて、ひっそりと使われていない倉庫を見つけた。慎重に開けて見ると地下に大きな楕円形の美しく固いものがいくつも収められていた。以前に彼女が父親から譲り受け、お守り代わりにと身につけていた欠片に似ている。調べてみると竜の鱗じゃないかというところまで見当がついた。けれど、これを公に出せばきっと混乱する。どうしたものかと頭を悩ませていた時、旅の薬師と出会い、その薬に惚れ込んだ。

 竜の鱗は薬にもなると聞く。人の為に役立ててほしいと、彼女はそれを薬師に託したいと思い立つ。けれどタダでという訳にもいかない。彼女だって生きていかねばならないのだ。そこで、今勢いのあるメシュヴィッツが目をかけている事業に学びたいと。その為に出来れば伝手を作りたいのだと。元手は鱗を少し売って作ればいい。


「それ、他に伝手など作らなくとも、俺が入り婿になればいいだけの話だと言われるぞ」

「ワタシは貴族の娘だが、爵位は継げない。さらに、私は子が望めない。それではあなたにあんまりだと。そんなところでどうだろうか」

「俺がそれでもいいと言い張ったら?」

「何故言い張る。元々結婚は考えてないし、この機にひとりでも生きていける方法を模索するつもりだ、とでも言うさ」

「どう考えても、金持ちと結婚した方が早い話に思えるがな……えぇっと、つまり君は薬師としての俺に投資を考えてる結婚はしたくないお嬢さん、ということか」

「そうだ。金が出来た暁には店を持たせたいと。あなたにもいい話だろう?」


 男は首を傾げて瞬く。


「――という演技だろう?」

「ワタシの過去話は現実のものじゃないが、あなたの薬がいいと思ってるのは本当だし、落ち着く気があるならちゃんと鱗も店も提供しよう。そこを嘘にしてしまっては、あなたが騙されただけになってしまう」

「世間はまたかと言うだけだ」

「ワタシがいいと思うものを馬鹿にされるのは気に食わない」


 ちょうどそこで、デザートと食後のコーヒーが運ばれてきた。男は椅子の上で落ち着きなく姿勢を正して咳払いをひとつした。


「それは……もう会えなくなっても成されるものか?」

「幸い、お兄さんがここから動くことはなさそうだ。お兄さん宛てに色々託せば、チェックも出来て喜ばれるんじゃないか?」


 男は少しの間息を詰め、それからその瞳に力を込めた。


「わかった。君とは『友人』であり続ける。だから、何かある時は直接来てくれ」

「いいのか? それを今決めて。少なくともお兄さんに会わせていただくまでは時間があるぞ」

「いい。決めた。年に一度でも数年に一度でも無事な顔を俺が見たい」

「ワタシは死んだりしない」

「なら、なおさら。『友人』に会いに来るくらい簡単だろう?」


 シェスティンは苦笑する。


「放浪の身には確たる約束は難しいが」

「連絡の取れる時はちゃんと手紙でも寄越してくれ。俺も少なくとも兄とは連絡を取れるようにするから」

「そうすれば、今回の件、協力してくれるということでいいか?」

「ああ」


 シェスティンは大きく頷いた。


「では、そういうことにしよう」

「ひとつ確認だが、これと先日託された薬との関係はないよな?」

「別口だが。何か」


 男はドアの方を一瞥して、声を落とした。


「あの薬、竜の鱗が使われてるのはそうだったんだが、オピオイドも反応があった。アヘンかモルヒネか……」

「……アヘン系の……そう、か」

「竜討伐だからな。一度きりの服用なら多分問題はない。ほとんどが戻ってないんだ。追及する者もいないだろう」

「騎士団が常用してるとか、そういうことじゃなきゃいいんだがな。あれは中毒性が高い」

「少なくとも、表には出ていない。兄にもそれとなく注意は促しておいたから」


 二、三度頷いて、シェスティンは小さく息を吐く。


「疑い出したらキリがない。竜討伐の恐怖心を薄めるためと言われればそうだしな。一人一包も頷ける量だ。良心的とも言えるか」

「……メシュヴィッツの息子がケシの栽培をしてる。うちにも回ってくるし、竜討伐ではもしかして随分儲けたんじゃないかと」


 医療で使われる鎮痛薬だ。違法ではない。ただ、シェスティンはその使い方によって高まる依存性を快く思っていなかった。東の方で何度も落ちていく人間を見ていたから。

 顔に出たのだろう、男が心配そうな表情になった。


「それを作ってるからって悪い訳じゃない。使い方、だな」


 口ではそう言ってみたものの、『人魚の涙』の件といい、嫌な印象だけが募っていく。

 腕を組んで何気なく黒猫に視線を落として、はたとシェスティンは思い出した。


「スヴァット」


 呼ばれて黒猫は顔を洗っていた手を止めてシェスティンを見上げる。


「どうだったんだ? 『人魚の涙』」


 なぁん。とスヴァットは首を振りながら残念そうな声を上げた。

 彼の姿が見えない男は不思議そうな顔をする。


「宝石を見たかったのは、猫君なのか?」

「いや……そうじゃないんだが……そう、ともいえるか?」

「……へぇ。じゃあ、猫君にも何かプレゼントするべきだったかな」


 あんまり真剣に言うので、シェスティンは思わず吹き出した。呆れて抗議するように鳴くスヴァットの声も男には伝わらないようで、ごめんごめん、と見当違いに謝る様に彼女はもうひと笑いしたのだった。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 傷薬を受け取り、鍛冶屋を紹介してもらうとシェスティンの表情は一変した。洗練されたワンピースとコートで身を固めているのに、真剣に刃物を吟味する姿は主婦ではなく、一廉ひとかどの傭兵のようだ。

 対応していた鍛冶屋の親父も初めは面食らっていたが、そのうち幾つかの剣を並べて二人で何やら真剣に相談し始めたので、男と黒猫は顔を見合わせて苦笑し合う。こちらの姿の方がと、珍しく意見の一致をみたのだった。

 たくし上げたスカートの中から鉤のついたナイフを取り出し、その場の全員を呆れさせたシェスティンだったが、それの研ぎも依頼するとほくほくとして帰途につく。


「宝石を贈った時より嬉しそうにされると、なんだか複雑だな」


 シェスティンに聞こえないように零れた呟きがスヴァットの耳に届き、黒猫は同情をこめて彼の靴にぽんぽんと手を添えた。

 近いうちにと名残惜しそうな男と別れ、シェスティンはスヴァットと店仕舞いを始めている市場で慌ただしく買い物をする。辺りは夕闇が迫り、ぽつりぽつりと灯りが点き始めていた。


 売れ残りをあれもこれもとサービスでつけられて、両手で紙袋を抱えながらシェスティンは空を見上げる。せっかく晴れているというのに、月は夜中に出て昼に沈んでしまっていた。昼の白い月ではスヴァットは話せないようだ。自らが光るわけではない月の光は、元は同じだというのに太陽の光に負けてしまうらしい。

 シェスティンの想いが伝わったのか、足元でにゃーん、と声がする。荷物のせいで姿は見えないが「仕方ない」と言ってる気がした。


 スヴァットが再び薬師からの手紙を持ち帰り、薬師の兄の家の夕食に招待されたのは、クリスマスシーズンアドベントに入る直前の事だった。




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