2-8 傭兵は本心を偽る

「……おい。起きろ。そろそろ次の船が来る」


 シェスティンは深く寝入っていたという訳ではなかったから、途中からそこに誰かが立ったというのは気付いていた。傍らにいたスヴァットが、特に注意も促さなかったので気にしてもいなかったのだが、どうやら控えめに告げられたその言葉はシェスティンに向けられたものらしい。

 顔を上げると、厳つい傭兵がまるで周囲からシェスティンを隠す様にそこに立っていた。


「おいっ……」


 シェスティンが返事をしないからか、男は組んだ腕の上で指先をとんとんと動かしながら先程よりも少し声音を上げる。ただ、顔は明後日の方を向いたままだ。

 シェスティンは同じように男を見上げていたスヴァットと顔を見合わせた。

 焦れた男が眉間に皺を寄せたままシェスティンを振り返る。


「…………あ」


 まともに目を合わせたシェスティンは、その顔に指をさして小さく声を上げた。その仕種に男は更に嫌そうに顔を顰める。


「聞こえてんなら、返事くらいしろってんだ」

「なんでここに……って、討伐隊に参加するならおかしくはないか」

「こっちのセリフなんだが。あんた、本気で参加するつもりだったのか?」


 その傭兵は、広場でシェスティンが声を掛けた男だった。革の胸当てに、小さな鞄がいくつか下がった幅広のベルト、頭には赤だか茶だか見分けがつかない薄汚れた布を無造作に巻いている。背中には広場では見掛けなかった長剣を背負い、そうしていると寄せ集めの中でも一際経験豊富そうな感じがしていた。


「お陰さまで無事登録出来たよ」


 立ち上がってもまだ見上げなければならないほど身長差があり、男の鋭い視線はかなりの迫力を伴っていたので、周りから見たらシェスティンが脅されているように見えたかもしれない。


「そうじゃねぇよ。騎士団だけじゃねぇんだぞ? こんな、狼の群れに羊を投げ入れるような真似をすんなってんだ」


 シェスティンはきょとん、とした後、さも可笑しそうに笑った。


「なんだ。心配して、そこに立っててくれたのか。ちゃんと登録の時に注意も受けたし、そんな不届き者は、コトを達成する前に儚くなることになるから心配ない。ワタシは呪われてるんだ」

「し、心配なぞしてない。するかっ。ここに立ったのはたまたまだし――呪い?」


 男は眉を顰めたまま捲し立てていたが、聞き慣れない言葉に一瞬言葉を無くした。


「そう。呪い。あなた達には縁の無い言葉だろう? まぁ、そういう訳だから、そう心配してくれるな」

「お、おぅ? いや、じゃなくて。心配はしてないし、しねぇけどな? あんたみたいなのと組まされて迷惑をかけられても、だな」

「わかってる。自己責任だとも聞いたし、なるべく迷惑はかけないようにするさ。忠告ありがとう」


 ちょうど船が入ってきたのか、人々の動き出す気配を感じて、シェスティンは男の脇をすり抜けた。後にスヴァットも続く。

 船は二階層になっていて特に座席も無く、窓ガラスも嵌っていなかった。いかにも輸送だけが目的といった風情だ。すでに乗り込んだ傭兵たちが好き勝手に座り込んでいて落ち着かない。シェスティンは一通り辺りを見渡して、結局後部の甲板に落ち着くことにした。

 にゃーん、と鳴くスヴァットの視線を追うと、少し離れたところに先程の傭兵の姿があった。目が合うとわざとらしく逸らされて、手摺にもたれかかったりしている。


「なんだか先日からお人好しに当たるな」


 笑いを含んだシェスティンの独り言に、何故だかスヴァットが誇らしげな声を上げた。




 船上で多少好奇の目に晒されていたものの、例の傭兵が睨みを利かせていたからか、シェスティンに絡んでくる者はいなかった。

 皆、基本座り込んで武器の手入れなどをしていたが、時折偉そうな人物が傭兵たちの間を歩いている。よく見ると左腕に黄色い布を巻いていたので、あれは騎士団の人間なのだろう。試しにどのくらいで河口の街に着くのか聞いてみると、明日の朝には着く予定だと間髪入れずに返ってきた。


 船内には定員以上の人間が乗っているのだろう。全員が横になるスペースなど無く、夜になるとシェスティンも何とか背を預けられる壁を見付けて座ったまま眠る。この船でひとりの死傷者も出なかったのは、あの傭兵のお陰かもしれなかった。

 翌朝、船着き場の出口で騎士らしき鎧を着こんだ男が、腕の青い布を確認しながら固いビスケットのような物と水を配っていた。

 ついでのように、この先は歩きになると先行く者たちを指差す。

 馬車で行きたければ自腹だと、暗に言っているのかもしれない。


 懐にはまだ余裕があったので、シェスティンは馬車でも良かったのだが、そうすると周囲にますます馬鹿にされるのが目に見えていたので、彼女はとりあえず傭兵たちについて歩き出した。

 ひとりの時は森や山の中を歩いたりもしていたので、街道を行くくらい苦でもない。固いビスケットをナイフで削って肩の上のスヴァットと分け合いながら食べていると、誰かが横に並ぶ気配がした。


「無理しねぇで馬車で移動しとけばいいんじゃねぇのか」

「別に歩くのは苦じゃない。山越えに比べれば楽なもんだろう?」


 シェスティンは腰の小物入れから干し肉を出して長剣を背負った男に放り投げた。

 男は少し驚いてそれを受け取り、軽く匂いを嗅ぐと端を小さく噛み切った。


「……猪か。あんたが?」

「ひとりで狩ったわけじゃないがな。少しは心配が減ったかい?」

「……心配は、してねぇ。だが、まるっきりのシロウトじゃねぇことは分かった」


 何故か不満気な男にシェスティンは苦笑する。

 肩の上でスヴァットが催促するように鳴いたので、彼女はもうひとつ干し肉を取り出し、小さく裂いてから分けてやった。


「その、ペットも役に立つのか?」

「ウサギくらいなら一緒に狩るぞ? 夜は暖もとれるしな」


 なん、と鳴くスヴァットを男は口をへの字に曲げて見ていた。


「分かっただろう? もうワタシに構わなくていいぞ」

「構ってねぇ」


 ぷいと前を向いて、男はシェスティンを追い越しスタスタと先に行く。

 しばらく黙って歩いていると、傭兵たちの足がぴたりと止まった。シェスティンもつられて足を止める。何かと前を覗いてみれば、一台の馬車がやってくるところだった。

 よく磨かれた銀色のその馬車は素人目にも高級そうで、ドアには紋章が浮き彫りにされている。シンプルな杖と盃に蛇の巻きついたもの。そして背後に翼。同じ紋章の旗を掲げて通り過ぎていく。

 馬車が行ってしまうと一行はまた歩き出した。


 『大陸の傷コンティネントソール』の底を流れる川の終着点では、さらに何本かの川に分かれ、長い年月に渡って運ばれた土や砂が海に向かって扇状に溜まりながら豊かな土地を作る。最終的に辿り着く海は細長い湾になっていた。

 幾つかの橋を越えて『人魚の街』に辿り着いたのは、水平線に太陽の底がついてからだった。言われた通り、街の北側の原っぱに簡易テントが並んで設営されている。


 夜用の食事(パンと缶詰)を中央の本部でもらうと同時にテントが振り分けられ、シェスティンが示されたのは端の方のテントだった。数人しかいない女傭兵を固めたらしい。

 彼女たちは男性たちとほとんど変わりない屈強な体格でよく日に焼けており、シェスティンと顔を合わせると皆一様に心配そうな顔をした。


 ただ、それもその時だけだった。

 その晩、女性テントに夜這いをかけた不届きな一団があったのだが、大の男が女性達に次々と取り押さえられる中、シェスティンに手を出そうとした者は一人残らず彼女に首を掻き切られて死んでいた。それから彼女に手を出そうとする者も、彼女を見下す者も、表面上はいなくなった。


「容赦ねぇんだな」


 次の日、隊分けの籤を引いていたシェスティンに長剣を背負った男がぼそりと言った。


「ワタシは自分が強くないことを知ってるからな。容赦できないのさ」


 シェスティンの手の中の番号をちらりと覗き込むと、男はふぅん、と言って去っていく。皆が籤を引き終わり、同じ番号同士で五人一組の班を組む段になって戻ってきた男は、何食わぬ顔でシェスティンの隣に立っていた。


「同じだったのか?」

「そうみたいだな」


 男の手の中にはくしゃくしゃになった紙が握られていて、確かにシェスティンの引いたのと同じ番号が書かれていた。


「迷惑って言ってなかったか?」

「籤で決まっちゃあなぁ。文句も言えねぇ」


 世の中、そんなに都合のいい話はない。男の態度は白々しいものの、その籤自体は本物のようなので、シェスティンにはそれ以上突っ込むことはできなかった。残りの三人とも簡単に挨拶していると、腕に黄色い布を巻いた男性がやってきた。

 二班を一分隊として騎士団からひとり指揮官が付くようで、これが黄色の布を巻いた者だった。


 とりあえずの指令は、竜の目撃された地点までのしらみ潰しの探索で、班ごとに範囲が決められる。夕刻までに一旦戻り報告すること、緊急の時は色分けされた狼煙を上げるか、笛を吹いて周囲に知らせることを言い渡され、それぞれが配給された。


「現地は野生動物も多く、負傷した物はそちらで手当てが受けられるが、くれぐれも気を付けるように。先に説明した通り死亡者は連れて帰れないこともあるということを心してくれ」


 本部横には昨日すれ違った馬車に描かれていた紋章と同じものが描かれたテントがあり、どうやら医務室となっているようだった。

 と、すると、あの紋章は医者を表しているのだろうか。医者を必要としない上に世俗に疎いシェスティンには今一つピンとこなかった。


「早々に世話になるのだけはやめてくれよ」


 テントを見つめるシェスティンに何を思ったのか、男はそう言った。


「大丈夫だ。その必要はない」


 シェスティンはそう返して、『大陸の傷コンティネントソール』の北の森へと進軍を開始した一団に足並みを揃えるのだった。


 第一の難関は森へ入る以前に出現した。森は崖の上にあり、そこへ行くにはどうにかしてその崖を登らねばならない。先発隊がロープを設置してくれていたが、若い傭兵の中には上手く登れない者も少なくなかった。

 そんな中、難なく登りきったシェスティンは、崖を覗き込みながら班員を待っていた。同じく剣を背負ったまま登りきった男も並んでいる。


「どうも、調子狂うな」

「大丈夫か? 具合悪いなら戻って寝ててもいいぞ」


 一瞥もくれず、抑揚も無いセリフに男はぽりぽりと頭を掻いた。

 程無くして全員が揃ったので、指示のあった地点へと向かう。シェスティン達の班はまだ優秀な方だった。

 手分けして藪を払いながら竜の痕跡を探す。

 藪を払っている時点で竜の痕跡などあるはずもないのだが、しらみ潰しにというお達しなので黙々と作業に没頭していた。

 時折空を見上げて飛ぶものが無いか確認する。今日は雲の切れ間からちらりと青い空が覗いていて、うっかりした白い竜が見えてしまいそうな気がした。


「なんもねぇな」


 ぶんと音を立てて長剣が横一線に薙がれる。それだけで目の前の藪は見通しが良くなった。


「こんなとこで見つかるようじゃ、先発隊が一戦交えてなきゃならないだろう?」


 お終いとばかりにシェスティンは剣を収めようとして、森の奥がざわめいたのに気が付いた。ざわめきは右に左に方向を変えながらもこちらに向かってくる。シェスティンは収めようとした剣をゆっくりと構え直し、同じように長剣を正眼に構えてそれを待ち受ける男を横目で盗み見てみた。

 譲った方がいいだろうか、と普段誰かと並ぶことがないシェスティンは迷う。

 スヴァットの鋭い鳴き声と共に、下半分残っていた藪の向こうから何かが飛び出した。


 シェスティンの正面、その位置では彼女の迷いも意味をなさない。身体の方が先に反応した。一歩踏み込んで両手でつかんだ剣をその眉間に合わせる。後は向こうが飛び込んでくるのを待つだけだった。

 思った以上の重さに、二、三歩後退さるシェスティンの背中を誰かの腕が支えた。ぴたりと壁にでも当たったかのように安定する。

 深く深く根元までその額に剣を飲み込み、巨大な猪はどうと倒れ込んだ。


「よく迷いなく踏み込んだな。竜だったらどうすんだ」

「竜なわけない。そんな小さいものを探してる訳じゃないだろう?」

「小さ……くもねぇけどな」


 足を掛けて、両手で引き抜こうとしてもなかなか抜けないシェスティンの剣を、男は彼女をちょいちょいと追い払い、同じように足を掛けて片手で引き抜いた。

 ほいと渡された剣をシェスティンは複雑な気持ちで見つめる。腕力の差は如何ともしがたい。


「迷いはねぇが……やっぱり危なっかしいなぁ。押し負けてたじゃねぇか」

「惰性だ。問題無い」

「竜には通じんぞ?」


 竜とはやる気がない、とは言えなかった。シェスティンは押し黙る。それを負けん気だと思ったのか、男は彼女の頭をぽんぽんと叩きながら笑った。


「まぁ、ここまで仕留められねぇヤローどもよりよっぽど頼りになるがな」




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