光陰

@otaku

第1話

「ねえ、ジャネーの法則って知ってる?」

 ある日の確か夕食後に妻が得意げにそう訊いてきたのである。

「じゃあねの法則?」

「じゃあねじゃなくて、ジャネーよ。ポール・ジャネーっていうフランスの哲学者が考えたの」

「知らないな」

「ジャネーの法則というのはつまりね、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価される現象を言うらしいのよ」

 よくよく考えてみると理屈としては簡単で、例えば、5歳の人間にとって1年の長さは人生の5分の1に相当するが、50歳の人間にとっては50分の1でしかないという話なのである。そしてそれは言われてみれば実感の伴っている法則のような気もしてくる。

「と、すると僕たちの先行きは案外長くないのかもしらんな」

「そうよ。だからもうね、今から最期の五分間に愛する人たちに何を伝えようか、考えておいた方がいいわ」

「何故、五分なんだい?」

「そりゃあ、スピーチ時間の相場は五分って決まってるじゃない」

 それは息子の結婚式の挨拶にて、私がダラダラと当初予定されていた時間の二倍も喋ってしまったことに対する嫌味だったのだろうけれど、そこではたと私は考え込んだ。

「なあ」

「はい」

「もしジャネーの法則が正しいのなら、死ぬ間際最期の五分間なんて、それこそ矢のように過ぎ去ってしまわないか?」

「それなら、BGMをかけるのはどうかしら?」

「BGM?」

「ほら、音楽を聴いている間の時間はね、平等に流れているんじゃないかと思うの。それに、クライマックスに音楽が流れるのって、何だか映画のスタッフロールみたいで素敵じゃない?」

 そうして、お互いの最期の瞬間にはお互いの最も好きな音楽を流すという取り決めが交わされたのであるが、結論から言うと私はそれを守ることが出来なかった。十五年前、妻は駅前の交差点でトラックに轢かれて、報せを受けた私が病院に駆けつけた時にはもう既にこの世を去った後だった。

 今の今まですっかり忘れていたのだが、今になって漸く思い出した。けれどもそれは、結局二人の間でのみ共有されていたことだった為、間抜けな話、私がいざ死ぬという時、音楽をかけてくれる者は傍らに居なく、更にはこれは実際に当事者になって初めて分かったことだけれど、最期の五分間に何かを口にするような気力なぞ到底残されておらず、つまりは目を閉じこんなことを思い出していたらやっぱりあっという間にすり抜けて行ったのだった。

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