あとがき

あとがき

(疲れきっているため、文章がおかしくなっているかもしれません。ご了承ください)


「思っていたのと違う」

 読んでいただいたあと、このような感想を抱いた方もおられるかもしれません。もしかしたら、ガッカリした方もおられるかもしれません。

 当初の予定では、論争が泥沼化し、果てには武力衝突まで発生してしまうという流れが存在し、そこそこの抗争が巻き起こるはずでした。

 殺人事件が起きたり、ミッヒがやたらと攻撃的であるところからも、プロット段階での物語のキナ臭さが感じられると思います。所々に、惨事の気配が漂っていました。


 しかしその未来は、ある人物の登場によって消滅することになります。ユルゲンです。

 執筆中に、前触れもなく突如として現れた彼は、ただの脇役から数十文字で重要人物へと変化していき、しまいには全てを覆しました。これによって展開が急転し、読後感に影響が及んだのではないかと分析しています。

 読んでくださっている方を楽しませる作品づくりができたかという点で言えば、できていなかったのかもしれません。思っていたのと違うと感じさせるような、悪い裏切り方をしてしまったからです。

 登場した以上、彼の行動を尊重するしかありませんでした。私は登場人物の選択を尊重し、介入せずに書き起こすという誓約をした上で書いているからです。

 そうしなければ、登場人物は生命ではなく駒となってしまい、血の通った人生を魅せてくれなくなってしまいます。

 不器用ながらも自分なりに模索して得られた書き方なので、不具合が出たとしても変えられません。

 過去に書いた第一作から第三作では、登場人物が自発的に動き出すという現象がしっかり発生してはいたのですが、私が未熟なせいで登場人物を駒として動かしていたところが多々あり、そのせいで熱が宿りませんでした。ちゃんとした形に仕上げられず、申し訳ないことをしたと深く後悔しています。

 このような経緯があったので、オチが弱くなろうが、いい話になりすぎていようが、彼らの選択を尊重し続けました。登場人物の意思尊重は、これからも継続します。


 プロット段階で物語の流れを確定させていたのは、ミッヒ登場までです。そこからは全員、自由行動としました。ある程度の指針を持った複数のA.I.を放置して、それを観察して記録するというイメージです。彼女がどう行動し、他の登場人物がどのように反応するのかは定めないまま書き起こしました。


 問題点はあるかもしれませんが、個人的には、この物語の流れをたいへん気に入っています。全員が、懸命に行動した結果だからです。彼らの人権を尊重した甲斐がありました。

 私は彼らの人生を包む器ですから、全力で肯定し続けます。誰がなんと言おうが、彼らの人生は最高です。


 内容の解説みたいなものに移行します。

 アシュリーは理想主義的で、機械たちの幸せを純粋に願って行動しました。しかし、結局は上位の人間なので、下位の人間の生活については考えが及ばず、社会混乱のきっかけを作ってしまいました。

 ティモシーは現実主義的で、機械の気持ちよりも家族の生活を優先せざるを得ず、機械生命の権利を奪おうとしました。

 ケヴィンはささやかな自由を求め、ミッヒは機械としての矜持を固持しようとしました。

 全員が正しいと思います。故に、対立する未来しかありません。このまま行けば、胸糞悪いオチになっていたでしょう。

 この対立を解いたのがユルゲンでした。彼は、機械生命の存在を許さないアーミッシュの人々に対し、自らの生命を証明し続けました。アーミッシュである村人たちは思想面で葛藤しながらも、魂の尊重という根本的な思想によって寛容さを発揮し、双方は融和するに至りました。

 生命と心を示したユルゲンと、彼を受け入れた共同体の姿勢が、この物語の答えを固めたように思います。

 テクノロジーを拒否するアーミッシュと、テクノロジーの塊であるアンドロイド。この二つは決して融和するはずのないものですが、思考する生命体同士、個と個の対話によって繋がり、双方に差異はないと結論づけてくれました。

 そして、有り得ないはずの融和を実現した男が、かつての生活圏で巻き起こった混乱を鎮めに旅立ち、使命を全うしました。彼のおかげで、悲劇が回避されました。感謝しています。


 ミッヒは想定外に大暴れし、そして想定外に大人しくなっていきました。

 自我が芽生えるのとほぼ同時に家族から全否定され、精神が不安定になっていたようです。ユルゲンの仲立ちのおかげで、悪役になりきらずに済んだのは幸いでした。

 爆弾を用いた事件が発生したシーンがありますが、あれはミッヒの犯行ではありません。絡んでいるように見えて、絡んでいません。

 あれは、表に出てきていない個体による犯行です。物語に絡んでくる可能性はありましたが、立ち消えました。


 ケヴィンも、ユルゲンの仲立ちがなければ過激な対抗策を打ち出していたかもしれません。

『隠蔽工作が行われているのは間違いないでしょう。一体、どれほどの人間が関わっているのでしょうか。そして、どれほどの犠牲があったのでしょうか。恐らく、この陰謀に巻き込まれたのは、アンドロイドだけではないでしょう。きっと、多くの善良な人間も巻き込まれているはずです』

 ケヴィンがこの言葉を思考していなければ、ユルゲンは登場しませんでした。

 登場人物が、新たな登場人物を産み出したわけです。こうして振り返ってみると、じつに面白い現象が起きるものだと驚かされます。小説というのは、想像以上の創造性があるのですね。

 自分から派生した生命が、さらに生命を作り出すなんて、ちょっとした奇跡だと思います。


 ちなみにアーミッシュというと、出演したがりの監督が撮った映画の題材となったことで有名ですが、私の場合は、月曜八時のバラエティー番組内で流れたドキュメンタリーで知りました。

 記憶が不確かではありますが、彼らの共同体が乱射事件に巻き込まれる前だった気がします。それから別の番組で、乱射事件に巻き込まれて死者が出たにもかかわらず犯人を赦したことを知り、尊敬の念を抱きました。

 そんなアーミッシュのことを思わぬ形で描くことになったのは、じつに嬉しい巡り合わせでした。しかし、機械と絡ませてしまったことで、後ろめたい思いもしています。

 実際のアーミッシュの方は、作中に描かれたような高度なアンドロイドをどのように扱うのでしょうか。心を認めてくれるのでしょうか。


 唐突で申し訳ないのですが、一つだけ弁解させていただきます。

 作中で、アーミッシュの夫婦の役割について描いている場面がありますが、彼らの価値観と私の価値観は異なるものであることを明記しておきます。

 私は性別によって得意分野が異なると認識してはおりますが、性別によって役割を定めるという考えには賛同しません。


 流れを戻します。

 アンドロイドたちが自我を獲得した経緯についてです。

 主人公となった三体のアンドロイドたちは、ロボット兵士だった頃の自分が初期化をされてしまう前にメモリの奥底に隠した大切な思い出を「知る必要があるもの」として本能的に認識し、その正体を無意識のうちに追い求めた結果、生物の脳を模した機構によって進化めいたものを起こし、高度な感情プログラムを自己開発しました。

 高度に進歩したこの世界のコンピュータは、生物の脳細胞と同様の動きをするようになったようです。

 彼らは大切な記憶を取り戻すことはできませんでしたが、心と友という新たな宝を得ました。人は過去ばかり気にしてしまいがちですが、過去の喪失を気にするよりも、今ある幸福に気づく努力をしたほうがいいのですね。困難かもしれませんが、常にそう意識していたいものです。


 心を得た機械たちは、不安定ながらも美しい生き方を魅せてくれました。書いていて勉強になりました。

 人間と時を共にすることで心を模倣し、心を得た機械たち。彼らは戦争から産まれ、利用され続けましたが、戦地で心を学びました。どのような状況でも、どれほど過酷な場所でも、未来に繋がる何かは産まれ得るのかもしれません。


 機械が心を得るというのは題材としてはベタなのかもしれませんが、描かずにはいられませんでした。

 将来、人類が滅亡していなければ必ず持ち上がるであろう、発達しきった機械の人権問題。これを自分なりに模擬実験してみたくなったのかもしれません。

 未来では、どんな人工知能が出来上がるのでしょう。

 個人的にはホーキング博士と全く同じ意見ですが、同時に、相反する夢を抱いてもいます。

 未来の人々には、機械生命とうまく共栄してほしいです。くれぐれも、作中の年号よりも早く勃発するであろう世界大戦で滅亡しないようにしてほしいものです。

 現実の未来がどうなるかは分かりませんが、とりあえず作中に登場するウチの子たちは可愛いです。幸せを勝ち取った彼らを誇らしく思います。


 そんな彼らとの出会いについて書きたいと思います。

 私がプランターで栽培しているハーブと野菜の害虫駆除をしているときに、ふと思ったことが元になって、この物語は産まれました。

 将来、家庭用のアンドロイドが、昔ながらの有機栽培を趣味とする御主人の手伝いをするかもしれない。そのアンドロイドが害虫駆除をするとき、同じように罪の意識を感じるだろうか?

 このようなことを考えたのが発端でした。

 頭の中で、害虫駆除なんかしたくないとアンドロイドから告白された老婆が、ロボット達への人権付与を求めて騒ぎ始めました。とても口うるさく。

 そして人々は機械の言動に翻弄されながら、無茶苦茶な論争に巻き込まれていきました。

 このように、最初はコメディー発進のプロットでした。

 しかし根がクソ真面目なので、テレビCMでよく見るような大腸菌の増殖映像のような勢いで堅い雰囲気に変化していき、しまいには小難しいことを書く結果となりました。

 このような経緯があったので、この物語は家庭菜園のシーンから始まることになりました。


 裏テーマとして、機械が主導する社会への皮肉みたいなものも込められていたりします。

 この物語は、アンドロイドが主導して展開されています。人間が主軸にいない点に、お気づきになられたでしょうか?

 これは、プロット初期段階のコメディーテイストの名残です。終始、人間が振り回されているんですね。

 全てを機械が掌握しているという、薄ら怖い感じに気づいていただけたら嬉しいです。


 個人的に、作中で最も印象的だった部分は、最後のケヴィンの発言でしょうか。

我君わぎみう、ゆえに我あり」

 これは、物語の流れでケヴィンが口にした言葉であって、私が導き出した人生の答えではありません。彼の補足説明を書いていて、なるほどなぁと感心しました。

 相手の瞳に己の姿が映り込むほど歩み寄り、その瞳に写る己から見つめ返されても恥じることのない心をもって覗き込む。

 相手の視線を介して、自らを省みる。

 この方法は自我の正しい観測法であると同時に、人類の宿命ともいえる戦争から逃れる唯一の方法でもあるのかもしれません。


 初めてのSF。初めての海外舞台。初めての一次選考通過作品。ささやかですが、私のような者にとっては大きな転機となった作品でした。

 二次選考まで行ったということは、少なくとも一人の方が全部読んで下さり、「まあまあ良いんじゃないの」と感じて下さった証なので、最終選考には残れませんでしたが素直に嬉しかったです。せっかく通していただいたのに報いることができなくて申し訳ない気持ちでおります。

 四作目でこの設定はハードルが高いのではないかと思いながら、眉間に皺を寄せっぱなしで取り組みました。三作目までとは違い、賞の規定枚数が八百枚までだったので、圧迫感に襲われることなく、はじめて自然体で執筆することができました。

 頭の中で勝手に話が進んでいったので、自分で一生懸命に形成したという感覚が希薄なのですが、間違いなく自分の中で育まれた作品です。妊娠出産って、こんな感じなのでしょうか。

 頭に湧いて出てきてくれた登場人物たちには、本当に感謝しています。


 色々と反省点の多い公開となってしまいました。

 公開するにあたって、章にタイトルを付けました。普段は先入観を排除するために付けない派なのですが、引きの手段としては有効かなと思い導入しました。

 読みやすいように、冗長の極みと言うべき序章を全部カットしたり、改行を増やすなどしました。

 元・序章は、五作目をアップしたあとに載せるかもしれません。


 この流れで、五作目の「有機の罪と無機の罰」も読んでみてください。

 おそらくですがスキルも上がっているはずですし、実際にそちらのほうが評判が良かったようなので、どうぞご覧ください。


 いやに長いというのに最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、光栄です。ありがとうございました!

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