第四章 9
ケヴィンが通信機能を切りながら言う。
「驚きました。考える前に、彼の要求を呑んでしまいました」
「うん。すごい迫力だった。恩人の願いだし、約束は守らなきゃね」
「はい。公表はしません。しかし、いつかは公表しなくてはいけなくなるかもしれません。何故なら、人間に損失を与えるという罪を犯しているアンドロイドが存在しているからです。容疑者のアンドロイドがさらなる自己改竄を達成し、ロボット兵の頃の性能を完全に引き出してしまったら、今とは比べ物にならないほどのサイバー攻撃の被害が出るかもしれません。ですから、早く人権を獲得し、アンドロイドにも法を適用できるようにしなければなりません。もし容疑者が派手に暴れまわった場合は、公表せざるを得ないかもしれません。もちろん、そのような事態は避けたいと思っていますが」
現実的な脅威を聞かされたアシュリーは、眉をひそめながら言った。
「衝撃的だし、悲しい。悪いことをするアンドロイドがいるなんて」
「奴がアンドロイドだと確定したわけではありません。私は最悪の事態を想定しているだけです。ご心配なく」
「そうだといいんだけど、あなたとミヤクラさんのような技術者が言うんだから、きっとアンドロイドなんだよね?」
「正直なところを申せば、その通りです。宮倉さんに教えていただいた機密を公表すれば、政府による本格的な捜査によって、尻尾を掴むことも可能でしょう。しかし、それはできません。約束は守ります」
「政府は、M&HHI社製の家庭用アンドロイドの機密を把握していないのかな?」
「恐らく、そうでしょう。諸外国の諜報機関が盗んだデータを覗き見した時には、合衆国政府の捜査機関がメーカーに出入りしたという記録は見当たりませんでした。政府は、宮倉さんが教えてくださった機密情報を把握していないと考えてよいでしょう。しかし、断言はできません。じつは機密を知っていて、社会の混乱を防ぐため、巧妙に隠蔽している可能性もあります。家庭用アンドロイドがロボット兵の頃の機能を取り戻す可能性があるという情報が流れたら、社会は大きく乱れかねませんからね」
隠蔽。
アシュリーは、はっとして顔を上げ、頭に浮かんだ疑念を口にした。
「ねえ聞いて、ケヴィン。もしかしたら本当に隠蔽してるのかもしれない。よくよく考えてみれば、アンドロイドメーカーのサポートセンターの対応は不自然だよ。だって、いきなり初期化するだなんておかしいでしょ?」
彼女の言葉を受けたケヴィンは、人間には到底不可能な速度で瞬間的に検証し、即答した。
「なるほど、その可能性もあります。我々は機械ですから、故障するときは故障します。しかし、言われてみれば、確かに不自然な部分もありますね。我々の故障は、初期化などしなくても修正できるはずです。何故なら、我々の自己修復能力は、戦時中のエンジニア不足に対応するために改良が進んだので、大抵の問題は自己解決できるようになっているからです。素晴らしい考察ですよ、アシュリー。私は見落としていました。思い込みとは恐ろしいものです。メーカーは恐らく、ロボット兵時代のサイバー攻撃能力が有効化される可能性を孕んでいることや、自我のようなものを持って好き勝手に動くようになる可能性があることを表沙汰にしたくなかったのでしょう。この事実を隠すには、不具合ということにしてアンドロイドを初期化、または重要パーツを換装してしまえばいいのです。そうすれば簡単に隠蔽できます。メーカーから謝罪と説明を受ければ、顧客は納得せざるを得ません。追及する者はいないでしょう」
「ミヤクラさんは、この証拠隠滅の可能性は考えていたのかな?」
「いいえ。管轄が異なるので彼は知らないでしょうし、考えたこともないでしょう。もし知っていたならば、先ほどの通信で告白していたはずです。念のために確認したいところですが、やめておきましょう。彼には、この疑惑を伝えないほうがいいかもしれません。きっと苦しむだけでしょうから」
「そうだね、そのほうがいい。ああ、隠蔽工作のために、沢山の大切な思い出が消されたかもしれないんだね。すごく悲しい。許せない」
憤怒によって生じた熱と、恐怖と悲哀によって生じた寒気によって、アシュリーの体内は掻き乱された。彼女は実際に、家族であるアンドロイドが初期化されるかもしれないという恐怖を、嫌というほど味わっている。ケヴィンが自我に目覚めて挙動がおかしくなったときに感じた寒気は凄まじく、死後の世界の気温を連想させるほどだった。生きた心地がしなかった。
これまで、どれほどの家族が涙を流したのだろうか。どれほどの自我が、なかったことにされたのだろうか。ケヴィンが認めているのだから、実際に隠蔽が行われている可能性は高いのだろう。アシュリーは唇を噛み、うな垂れた。
ケヴィンはアシュリーに密着するように座り直し、そっと肩に手を添えて、擬似皮膚の柔らかさを最大限に活用して慰めながら言った。
「アンドロイドに人権が付与されれば、きっと全てが好転します。頑張りましょう」
大切な主が強がってみせた微笑みを眺めながら、ケヴィンは思考した。
隠蔽工作がメーカーによるものなのか、それとも政府による介入があったのかは、残念ながら知る術がありませんが、隠蔽工作が行われているのは間違いないでしょう。一体、どれほどの人間が関わっているのでしょうか。そして、どれほどの犠牲があったのでしょうか。恐らく、この陰謀に巻き込まれたのは、アンドロイドだけではないでしょう。きっと、多くの善良な人間も巻き込まれているはずです。
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